震災から6年 復興事業をめぐる現場と行政の温度差 -福島県精神科病院入院患者地域移行マッチング事業への福島県の冷徹な対応

「普通だったら、続けていないと思う。でも今までに県外で帰りたがっている患者さんたちの顔を見ちゃったから...」

震災から6年が経とうとしている。

福島県では震災の「あの日」を境に、県内の原発事故がきっかけで翌日の平成23年3月12日から17日にかけて、原発から半径30キロ圏内に精神科病床を持つ病院が入院患者の移送を命じられ、合計840床もの精神科病床が無くなってしまう未曽有の事態となった。

患者さんたちは「また荷物は取りに行けるから」とその時は言われ、着の身着のまま、自分のカルテをもたされ次々に手配されたマイクロバスに乗りこんだのだが、これが800名余りの行先の定まらない逃避行のはじまりだった。

バスに乗り込んだ患者の中には、座位が保てない寝たきりの患者や、点滴等の医療器材のストックが十分でないままの人もおり、途中雪も降り、寒さで凍える天気のなか、移動中に命を落としてしまったケースも数多くある。このような地獄をみた逃避行の先に生存患者たちは一同に県内の一時避難の病院数か所に集められ、トリアージュの後、肌身離さずもっていたカルテと一緒に、全国各地の避難先病院へ散らばっていった。

震災から2年が経過しても、なおも10都道府県にわたる県外避難は続き、平成25年7月、福島県 保健福祉部障がい福祉課が「福島県精神科病院入院患者地域移行マッチング事業(以下、マッチング事業)」を設置した。この事業は、復興庁の補助金を財源とし、特に「県外避難者をまず福島県内(の病院)に帰還させる」こと、そして「そこから地域の居宅、施設への退院を目指す」という事業であった。

マッチング事業の拠点は、福島県立矢吹病院(以下、矢吹病院)に設置され、転退院調整コーディネーターが、帰還対象者の把握や直接県外の避難先病院へ赴き、患者本人と丁寧な面会を重ね、そこで福島帰還希望の意向が明確なケースについて、福島県に帰還するための転退院調整を日々遂行していった。

平成29年3月現在において転退院調整コーディネーター(以下、コーディネーター)3名が配置されている。コーディネーターのうち、2名は平成26年5月より着任した看護師2名で、ほか1名は平成28年7月から着任の精神保健福祉士 である。

(私は、このうちの1名として主に矢吹病院に常駐し、県外を訪問して福島帰還の意思の聞きとりをしていた看護師2名の後方支援や彼女たちが福島帰還に繋げた患者さんたちの退院支援に尽力していた矢吹病院相談室のお手伝いをさせていただく業務にあたった。)

特に私の同僚である看護師2名の「県外訪問部隊」の並々ならぬ熱意と尽力で、平成29年1月末には全体で789人の対象者のうち、県外避難継続が確認されたのが98人(全体の12.4%)にまでになっていたのだ。この実績は「原発事故からの復興」に加え、「障がいのある方々の地域移行」という日本および世界で誰も経験したことがないミッションにおいてめざましい成果であることは言うまでもない。

しかしながら、3人は平成28年12月上旬に県庁障がい福祉課に召集され、なんの前触れもなく「来年度から事業を縮小する、県の意向であなたたちの単価も減らす、これは決定事項だから。」と伝えられた。

事業が縮小することについて、具体的には

今まで転退院チームの人件費に充てていた国の基金(復興庁の補助;補助率10割)を運用せずに

(1)平成28年7月から着任した コーディネーターは平成29年3月いっぱいで契約終了。

(2)コーディネーターのうち看護師2名は、福島県の給与体系で個別に報酬を計上するので、今より10万円は確実に下がる月給となる

といった内容であった。

これまでに現場のコーディネーターらになんの相談の経過もなく(こうなるまでに現場サイドで事業を統括する立場からの交渉はあったようだが)、現場のコーディネーターたちは、一方的な障がい福祉課の姿勢に唖然とし、突如として今後の生活に不安を抱かざるを得ない日常を余儀なくされることになった。

この決定をめぐって年明けにも、障がい福祉課からの調整は入ったものの、内容としてほとんど変わらず、議会の決議や財政ヒアリングを通しての「人件費の調整」として2人の給与単価を日額5000円以上下げる内容であった。

私は、実名をもって2月上旬に県の人事行政相談、人事委員会審査課へ措置改善の相談をしていたが、(表向きの理由として)「地方公務員法の解釈上、特別職(我々の身分)は相談を受けられる対象ではない。」という非常に曖昧な判断による対応に収束されるにとどまっていた。

彼女たちも「普通だったら、続けていないと思う。でも今までに県外で帰りたがっている患者さんたちの顔を見ちゃったから...」、「今まで私たちが無我夢中でやってきたことを、評価されないのがものすごく悔しい。」 とそれぞれに胸の内を語ってくれたが、来年度を打診されているうえでこの契約条件を返答するのに、今まさに苦渋の思いを味わっている。

国が先渡しで地方へ拠出した財源の運用について、行政と現場の温度差で、現場の状況に沿わない事態が起こっている。そして現場の人材も確保するのが不透明にもなっているわけだが、このことは県外で避難継続中のマッチング事業の対象患者さんたちに不利益をもたらすことにも波及している。

昨今のメディアにて、県知事も前面に出る復興PR活動が頻回になっている背後で、本当に必要な復興の財源を減らすこと自体が、現場で従事する人たちのパフォーマンスを減らし、余計「捨て金」にしてしまうのではないだろうか。

いま明確に県外で帰還を望む患者さん98名がまだ残るなかで、マッチング事業が縮小されることになんの意義があるのか。福島の外からやってきた私自身が、マッチング事業を通して震災後の福島の現状を知ることになり、思い半ばで離れざるを得ない状況に無念や悔しさを抱いている。

そのうえで今まで毎年の3・11の時期に関係なく、福島の現場で長期間にわたり地道に目下のケースワークを丁寧に積み重ねてきた2人が、「いつもどおり」の仕事を継続できるように、懇願するばかりである。

(2017年3月6日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)

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