日本国憲法第9条

「作らず、持たず、持ち込ませず」 御存知、非核3原則だ。

■日本国憲法第9条とは

「作らず、持たず、持ち込ませず」

御存知、非核3原則だ。

2006年最大の出来事は、北朝鮮のミサイルと核兵器の実験ではないだろうか。世界を震撼させる大きな出来事で、北朝鮮を「北」と略すことが定着するほどである。

安倍晋三総理大臣(当時第1次政権)は、ただちに経済制裁を表明したが、北朝鮮は核兵器の実験を現在(2014年)も続けている。

それと共に日本国憲法第9条(以下、憲法9条)の見直しをめぐる論争も活発だったと思う。1947年5月3日に日本国憲法を施行し、憲法9条は民主主義社会のシンボルとして光り輝いている。その条文を御紹介しよう。

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本は世界で唯一の被爆国で、同じことを繰り返さないために戦争の参加を放棄した。これも世界で唯一の戦争に参加しない国である。

その憲法9条が見直されてしまうと、日本人は戦争に参加しなければならなくなってしまう。自衛隊だけが派遣されるとは限らず、庶民や大富豪なども強制的に招集されてしまうのだ。今まで広島と長崎で行なわれてきた原爆式典の積み重ねがムダになってしまう。国民、特に原爆を落とされた広島と長崎の人々にとっては、その想いを粉々にする。私は憲法9条改悪に反対だ。

憲法9条を変えようとしているのは、政治家の大半は日本で戦争を経験していないこと、外国では現在も戦場が存在していることを熟知しているから、そう言うのだ。北朝鮮への経済制裁を含め、防衛庁を防衛省に格上げしたことにより、憲法9条改悪のステップとしていく恐れがある。

■平和意識の低下

憲法9条改正が関心を集めているのは、日本国民に対する警告ではないかと思う。

(1)平和意識が低下していること。若い世代にとって、"平和は当たり前"で、熟年の世代は"平和はかけがいのない宝物"という感覚の違いがあると考える。

(2)若い世代はゲームをやる。特に格闘技といったファイターものにハマると、命の尊さというものを忘れがちになってしまうのではないかと懸念する。

(3)日本国民の大半は戦争経験がない。戦争の恐ろしさというものを肌で感じていないので、"日本はいつも平和である"という実感がわかないのではないか。

教育の現場も平和意識の低下を防ぐべく、とある中学校では平和教育に力を注いだという。いくら教師が熱弁をふるっても、生徒が身につかなければ、学んだことにもならず、憲法9条の改悪に拍車がかかる。戦争の恐ろしさ、平和の尊さはいつでも学ばなければならないし、憲法9条には常に感謝の心を持つことも大切だ。

■憲法9条を世界に広めよう

憲法9条改悪のきっかけは、2001年9月11日に発生したアメリカの同時多発テロだと私は考える。これによって日本はテロを警戒し、鉄道の駅はゴミ箱を撤去。警官や警備員を増員するほど、神経質になった。

北朝鮮がミサイルや核実験を強行したのも、あのテロは"アメリカの弱さを見た"という感覚ではないだろうか。"俺の国はアメリカよりも強い"ということを魅せつけたかった気がする。

すべての政治家に言いたいのは、憲法9条を改悪する以前に、「憲法9条」を日本だけではなく、すべての国に提案して広めて欲しい。「平成

という和暦は"世界中の平和が達成できますように"という願いを込められている。もう1度、初心に戻って考え直してもらいたい。

憲法9条を改悪するのなら、政治家は広島と長崎の式典に参列しなくていいし、「平成」という和暦も改めるべきだと考える。

※岸田法眼のRailway Blog.「日本国憲法第9条」から転載。

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