あこがれの球団に入りたい!! でも......

将来はドラフト会議をなくし、プロ入りを望む選手の多くが意中の球団、または誘われた球団に入り、よりのびのびプレーできる環境作りが大切ではないだろうか。

50回目のプロ野球ドラフト会議(新人選手選択会議)が2014年10月23日に行なわれた。高校生から社会人まで、自分の進路を左右する"運命の日"であることは、この先も変わらないのだろうか。

■あこがれの球団に入りたい!!

ドラフト会議は、契約金の抑制と戦力均等化を目的としたもので、1965年から始まった。現在は指名された選手しか入団できないが、1991年までは「ドラフト外入団」も認められていた。

この制度により、人生を左右された選手をいくつか取り上げよう。

●1978年

1978年のドラフト会議前日、「空白の1日事件」が発生し、世論が巨人と江川卓投手を非難した。

事の発端は、前年のドラフト会議にさかのぼる。江川投手はクラウンライターライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)から1位指名を受けたが、入団を拒否。同球団との交渉権が切れた翌日、野球協約第138条にもとづき、巨人と電撃契約をしたのである。

しかし、セリーグの鈴木龍二会長は、江川投手の選手登録を却下。巨人はこれを不服とし、翌日のドラフト会議をボイコットする。江川投手は4球団から1位指名を受け、競合の末、阪神タイガースが交渉権を獲得。ひとまず阪神に入団したのち、巨人に移籍した。

世間は江川投手を"巨人一辺倒"と思われているようだが、実は在京セリーグ球団なら、どこでもよかったという。

●1985年

この年のドラフトの目玉は、PL学園の桑田真澄投手と清原和博選手。世にいう「KKコンビ」である。

桑田投手は早稲田大学進学、清原選手は巨人希望をそれぞれ希望した。ところが巨人は、桑田投手を1位で強行指名。清原選手は1位指名した西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が交渉権を獲得し、入団した。

清原選手は1996年にフリーエージェント宣言後、巨人に移籍。桑田投手も引退後、早稲田大学大学院に入り、2人とも高校時代に描いた夢を実現させた。

●1989年

上宮高校の元木大介選手は巨人入りを熱望したが、その夢は叶わず、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)が1位指名した。入団を拒否したので、卒業後はアメリカにわたり浪人生活に入った。次のドラフト会議では、巨人が実施日前日に1位指名を宣言した。

なお、巨人が1989年に1位指名したのは、元木選手と同じ夢を持っていた慶応大学の大森剛選手である。

●1992年

星陵高校の松井秀喜選手は、阪神入りを熱望した。「ミスタータイガース」こと、掛布雅之選手にあこれがれていたのだ。

ほどなく、巨人の監督に復帰した長嶋茂雄が「御縁があったら(松井選手を)育ててみたい」と発言。ドラフト会議では、無論1位指名。阪神を含む複数の球団との抽選(くじ引き)で、交渉権を獲得した。

本人は喜んで入団し、長嶋監督(現・終身名誉監督)との師弟関係を築く。2013年5月にそろって国民栄誉賞に輝き、東京ドームで授賞式が行なわれた。ファンからの盛大な祝福を受けたあと、巨人のユニホームに袖を通し、偉大なる背番号55を披露。投手松井、捕手原辰徳、審判安倍晋三、打者長嶋という"豪華始球式対決"も話題となった。

●1998年その1

横浜高校の松坂大輔投手は、横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)入りを希望する報道があった。複数の球団が1位指名し、交渉権を獲得したのは、西武。数度にわたる交渉の末、入団を決意した。

●1998年その2

豊田大谷高校の古木克明選手は、ダイエー入りを希望している報道があった。しかし、1位指名をしたのは、38年ぶりの日本一に輝いた横浜だった。

ドラフト会議終了後、権藤博監督が同校へ。すぐに指名あいさつに訪れる素早い行動が古木選手の心に響き、入団を決意した。

●1998年その3

あえて名をふせるが、ある選手は意中ではない球団が交渉権を獲得したものの、本人は入団を拒否。数日後、スカウトが自殺した。

なお、本人は高校卒業後、大学に進んだ。

●2011年

巨人は2010年に原辰徳監督の甥、東海大学菅野智之投手の1位指名を発表し、翌年のドラフト会議で有言実行した。しかし、北海道日本ハムファイターズも1位指名し、抽選により巨人は交渉権を獲得できなかった。"想定外"の事態が発生し、原監督は憔悴、父の貢氏は激怒した。

菅野投手は巨人入団を信じ、大学卒業を1年延期した。2012年のドラフト会議で、ついに悲願がかなう。

●2012年

花巻東高校の大谷翔平投手は、メジャーリーガーを目指すため、日本のプロ野球には入らないと声明したが、日本ハムが強行で1位指名。球団が用意した資料と、粘り強い交渉によって、入団を決めた。

■アマチュア球界の"言論統制"はいかがなものか

1993年から、ドラフト会議は1・2位指名を対象に逆指名制度を設け、入団前から交渉が可能になった(その後、逆指名制度は「自由獲得枠」に変更したのち廃止)。

しかし、高校生のみ逆指名権の対象外となり、のちに日本高等学校野球連盟も1998年頃から逆指名発言を禁止する"強硬手段"に出た。未成年の自己主張が「生意気」、「高校生らしくない言動」とみなされるのだろうか。私には理解できない。今では大学や社会人にまで波及してしまった。アマチュア球界側よ、プロ入りを希望する選手が"意中の球団"を堂々と発言させない理由を説明していただきたい。

将来はドラフト会議をなくし、プロ入りを望む選手の多くが意中の球団、または誘われた球団に入り、よりのびのびプレーできる環境作りが大切ではないだろうか。

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