もうすぐ「8月6日の広島」がやって来る

実は数年前から「戦争と交通」をまるまる1冊の書籍としてまとめるか、1章として取り上げ、当時の軌跡をたどってみたいと考えている。

広島市は、平和記念公園内などでドローンの使用を禁止している。

■外国人観光客が急増

近年、日本は外国人観光客が急増している。都心へ行くと、外国人を見なかった日すらない。2020年の東京オリンピックが決まっており、注目度の高さがうかがえる。しかし、それは東京だけではない。

私は2015年7月、3年ぶりに広島を来訪した。広島電鉄の路面電車に乗って、原爆ドーム前で降りると、目の前には外国人観光客が集まっていた。夏休みシーズンにもかかわらず、平日午前のせいか日本人観光客が少ない。

広島空港は国際線も離着陸するので、広島県を訪れる外国人も多い。

原爆ドームは言わずと知れた世界遺産。日本にとっては、"敗戦の象徴"といえる建物で、長年にわたり無言で「平和」を訴え続けてきた。外国人は、原爆ドームや案内板を食い入るように見つめ、デジカメのシャッターを切る。日本人が長年積み重ねてきた"想い"を理解していただいたと思う。

しかし、アメリカ人の多くは、現在でも「原爆は必要な手段だった」と主張しており、謝罪をする気すらない。私は現職の大統領が訪日し、「6月23日の糸満」、「8月6日の広島」、「8月9日の長崎」を自身の目で見てほしいと願っている。謝罪を「する」「しない」は別として、日本が長年積み重ねてきた"平和への想い"を肌で感じるだけでいい。

■式典に向けて

"平和記念公園の緑を永遠に保つため"と思われる補植工事。

平和の灯は、点検中でも炎が消えない。

広島市は8月6日に平和記念公園で行なわれる式典に向けて、準備を進めている最中だった。公園内の植栽は、971万円をかけて補植工事が行なわれており、7月中に完成した模様。平和の灯でも、ガス業者の手により点検が行なわれていた。

式典に向けて準備が着々と進んでいる。

原爆死没者慰霊碑を通り過ぎると、左右の芝生には、無数の特設テントが建てられていた。2006年8月6日の式典に行った際は、一部分しか設けられていなかったが、高齢者の増加と熱中症対策を兼ねているのか大幅に増設した模様だ。この記事が掲載されている頃には、パイプ椅子も用意されていると思う。

■戦争に触れることはタブーなのか

私は戦争を経験していない者として、先人たちの想いを受け継ぎ、後世に伝えていかなければならない。

実は数年前から「戦争と交通」をまるまる1冊の書籍としてまとめるか、1章として取り上げ、当時の軌跡をたどってみたいと考えている。無論、調べるのに相当な時間などを費やすと思う。これまで数社に打診したものの、「売れない」、「費用がかかる」、「読者が減る」という理由で断られている。企画が通れば、県や市などに企画書を出せるので、御協力いただけると思う(「個人の研究」という名目では、協力しないだろう)。

日本では、1995年に『鉄道ジャーナル』誌(当時、鉄道ジャーナル社刊)が2回(同年9・10月号)にわたり、特別企画として「戦争と鉄道」を取り上げている。幸いこの企画は多数の読者の理解を得られたという。

当時、社長兼編集長を務めていた竹島紀元(たけしまとしもと)氏(2015年7月26日、肺炎のため89歳で永眠)の編集後記によると、日本の鉄道誌で、「戦争と鉄道のかかわり」、「戦中や終戦直後の研究や記録」は非常に少なく、ブランクに近い状態だという。毎年、テレビ局は積極的に特別番組を組んでいるのに対し、鉄道誌、鉄道書などの多くが"なんらかの理由で避けている"ともいえるのだ。

今回の記事は、竹島氏の言葉で結びとする。

平和を願う気持ちは大切ですが,過去の失敗や悲劇に目を塞(ふさ)ぎ忘れ去ることが平和な世界を築く道ではないはずです.敗戦直後,「敗戦」を「終戦」と言い替え,「占領軍」を「進駐軍」と呼んだあたりから,日本人は〝敗戦〟という冷厳な現実を直視する勇気を早くも失っていたように思います.

出典:『鉄道ジャーナル』誌1995年9月号(当時、鉄道ジャーナル社刊)

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