JR西日本221系近郊形電車-四半世紀を過ぎたアメニティライナー-

国鉄分割民営化から2年後の1989年、JR西日本初の新型車両として221系が登場した。

国鉄分割民営化から2年後の1989年、JR西日本初の新型車両として221系が登場した。「明るく静かで快適な車両」をコンセプトに、リラックスできる通勤時間、ハイグレードな居住空間、楽しさあふれる快適性を目指した。

■JR西日本初の新型車両は近郊形電車

JR西日本221系近郊形電車は、1989年2月に登場し、「アーバンネットワーク」と呼ばれる関西の主要地区に投入された。同社初の新型車両で、並行する同業他社に強い対抗意識を持っていたのか、「アメニティライナー」と大々的に宣伝していたが、人々に浸透しなかった。

221系はスムーズな乗降を重視し、3扉ながら転換クロスシートを採用した。2種類のブラウン系を使い、落ち着きと上質を兼ねたシートモケットだ。手すりを前か後ろに倒すと、向きが変わる。定員確保を優先したため、側扉付近と車端部は固定クロスシートとした(車端部はボックスシート)。

車端部には旅客情報案内装置を設け、列車案内、次駅案内、自社の宣伝などをスクロール表示する。乗っていると、まるで優等列車に乗っているかのような雰囲気だ(実際、221系使用による臨時急行〈マリン城崎221〉〈マリン白浜221〉が運転された)。

車体は鋼製を採用した。鉄道車両の車体は、おもに鋼製、アルミ、ステンレスの3種類あり、前者以外は色を塗る必要がないため、塗装費用がかからないこと、車両を軽量化できるメリットがある(鋼製は色を塗らないとさびてしまう)。

221系の隠れた特徴として、"重い"イメージを持つ鋼製車体なのに、アルミ車体に匹敵する軽量化に成功したことだ。特にクハ221形、サハ220・221形は、20メートル車では"異例"の30トンを切っている。国鉄車両とは違い、"硬さ"がなく、ピュアホワイトをベースに、ブラウン、ブルー、ベージュの帯を巻いた柔らかなボディーは、親しみやすさを覚えるデザインだ。加えて窓も大きい。特に乗務員室と客室の仕切り部分では、中央と右側の窓が大きく、小さな子供でも前面展望ができる。あらゆる面で"魅せる"工夫をしており、"JR西日本の威信をかけた車両"だ。

221系は同年3月6日にデビュー。当初、東海道・山陽本線の快速(京都・高槻―西明石間以外は普通電車)に充当させた。同年4月1日から新快速(当時、米原―姫路間などで運行)にも就く。3扉車の新快速は、1972年の113系以来17年ぶりだった。

同年4月10日から、関西本線、大阪環状線にも投入され、「大和路快速」という斬新な列車種別が新風を吹き込んだ。

大和路快速は、大阪環状線の天王寺が始発で、京橋方面大阪までは各駅に停車する。大阪から快速運転となり、新今宮で関西本線に入ると天王寺に戻る。発車すると針路を変え、奈良方面へ向かう。このルートは、国鉄113系快速時代から踏襲されている。

■アーバンネットワークのエースに君臨

1990年3月10日のダイヤ改正で、新快速は日中時間帯に限り、高槻、芦屋に停車。最高速度も110km/hから115 km/hに引き上げ、日中の京都―大阪間は29分をキープ、一部区間では所要時間を短縮し、利便性が向上した。117系も最高速度を115 km/hに引き上げた。この頃、新快速の車両は過渡期を迎えていた(117系の一部は、福知山線快速に転用され、塗装も変えた)。

一方、関西本線では、奈良―天王寺間の最高速度を100km/hから120km/hに引き上げた。大和路快速の奈良―西九条―大阪間は、47分から45分に短縮している。近郊形電車の120km/h運転は、JR東海311系に次ぐもので、急行列車よりも速くなった。快速列車の"革命"により、「急行」という種別が中途半端な存在となってしまう。

1991年3月16日のダイヤ改正では、新快速のほとんどが221系となり、併せて120km/h運転を開始した。221系が全盛期に突入したのである。

221系は利用客から好評を得て、並行私鉄からのお客を"獲得"することに成功し、JR西日本のイメージアップに大きく貢献した。特に新快速は利用客の増加で、日中の6両編成では、混雑が激しく限界を迎えていた。

1991年9月14日、北陸本線田村―長浜間の直流電化開業に伴い、新快速の運転区間を延長した(その後、湖西線永原―近江塩津間、北陸本線長浜―敦賀間も直流電化に変更された)。現在、新快速の運転範囲が広がり、現在の東端は北陸本線敦賀、西端は赤穂線播州赤穂、山陽本線上郡である。

同年11月21日から新快速の日中8両編成化が始まり、1992年3月14日のダイヤ改正までに完了。さらに朝夕ラッシュ時では12両編成の運転を開始した。その後、高槻、芦屋の終日停車化で各駅停車の接続を強化。尼崎を新規停車駅に追加して、JR東西線、福知山線に接続するなど、新快速は"アーバンネットワークの看板"を不動のものとした。

しかし、221系の全盛期は意外と短かった。1992年、総数が474両に達したところで増備が打ち切りとなる。1995年7月に223系1000番代、1999年3月に223系2000番代がそれぞれ登場し、同年5月10日から朝ラッシュ時の東海道・山陽本線草津―西明石間で、130km/h運転が始まった。221系は120km/h止まりなのだ。

2000年3月11日のダイヤ改正で、新快速全定期列車の130 km/h運転に伴い、221系は新快速の定期運用を外された。

■新快速定期運用撤退後は、運用範囲を広げる

2000年3月11日のダイヤ改正で、阪和線天王寺―日根野・和歌山間などの快速、福知山線(戸籍上の起点は尼崎)大阪―篠山口間の丹波路快速で新たな活躍を開始した(福知山線の定期運用は1999年秋から。なお、当時の丹波路快速は日中のみ運転で、朝晩の同区間は快速だった)。ともにスピードアップによる所要時間の短縮と、快適性の向上に努め、沿線に新風を吹き込んだ。

2001年3月3日のダイヤ改正では、221系を奈良線にも投入させ、みやこ路快速を中心に活躍している。当初、市販の時刻表では「快速〈みやこ路快速〉」と記載していたが、2008年3月15日のダイヤ改正から「みやこ路快速」が種別となった。同年から山陰本線京都―園部間などにも投入され、クモハ221形の一部に霜取り用パンタグラフ設置改造を受けた。

阪和線、福知山線、奈良線、山陰本線で共通しているのは、130km/h運転をする必要がないことで、120km/hで頭打ちの221系にとっては、好都合だった。その後、2010年12月1日をもって、阪和線と紀勢本線、2012年3月17日のダイヤ改正で、福知山線からそれぞれ撤退されている。

■221系体質改善車登場

221系は2011年6月からシートモケットの更新が始まり、2010年に登場した225系と同じタイプだ。225系のシートモケットは、117系を彷彿させるが、見た目がやや単調なせいか、坐り心地は変わらないのにグレードが下がってしまった印象を受ける。

2012年12月、221系体質改善車が登場した。営業運転を開始してから23年が経過し、品質が高い車両であることに変わりないものの、車椅子スペースがない、トイレが和式、ドアチャイムがないなど、"古さ"を隠し切れなくなっていた。

221系体質改善車は、225系に準拠し、安全性向上やラッシュ時の遅延防止対策を図っているが、座席定員の減少、客室の内装は暖色系から寒色系に変わるなど、高級感がなくなった。前面も灯具の変更や行先表示器の設置など、"別人"に映る。

221系体質改善車は、2013年1月11日から山陰本線で営業運転を開始した。2021年までに全474両が体質改善工事を受ける予定だ。

■JR西日本の車両寿命は最大46年?

JR西日本は発足直後から国鉄車両の延命化に取り組み、1995年から大きく発展した「体質改善車」が登場した。国鉄の通勤・近郊形電車、一般形気動車をできるだけ新型車両と同じ内装にしてグレードを高め、腐食対策も徹底し、車両寿命を新製から最大46年使用を想定している。

しかし、2002年に入ると、車両寿命を30年ほどに縮めたタイプの体質改善車に改めた。新型車両をある程度投入したほうがコストはかからないと判断したためだ。JR西日本は、JR東日本のように潤沢な資金がないため、首都圏のような"ほぼ一斉取り替え"ができず、古い車両を大事にしている。

221系は、引き続き"アーバンネットワークのエース"として、あと20年程度活躍するだろう。界磁添加励磁制御という旧式の省エネ車両であることや、設計当初から腐食対策を徹底していたからだ。

★備考

・住吉急行電鉄の日報plus「221系体質改善車」

・住吉急行電鉄の日報plus「奈良支所221系体質改善車」

Yahoo!ニュース個人より転載)

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