たま社長代理ウルトラ駅長追悼 『第4回貴志川線祭り』と『たま電車』

2009年3月21日に開催された『第4回貴志川線祭り』で、在りし日のたまと同日デビューの『たま電車』を振り返ってみたい。

和歌山電鐵のたま社長代理ウルトラ駅長が、黄泉の国へ旅立った。今回は2009年3月21日に開催された『第4回貴志川線祭り』で、在りし日のたまと同日デビューの『たま電車』を振り返ってみたい。

■2つのたまが主役の『第4回貴志川線祭り』

2009年3月21日9時過ぎ、和歌山電鐡貴志川線『いちご電車』の貴志行きワンマンカーは伊太祁曽(いだきそ)に到着した。車庫では『たま電車』がお披露目されており、多くの人々の注目を集める。向かいのホームに『おもちゃ電車』の和歌山行きワンマンカーが到着。なんと、"貴志川線電車の3本柱"が構内に集結した。 

私は終点貴志まで乗り通したあと、折り返しの和歌山行きワンマンカーで伊太祁曽へ。『第4回貴志川線祭り』は、伊太祁曽駅の車庫敷地内(第1会場)、伊太祁曽神社(第2会場)の2か所で行なわれる。早速、駅構内で『たま電車』のサポーターとして、1口1,000円を寄付すると、バッチをプレゼントされる。図柄を見ると、幼児の喜ぶ顔が思い浮かぶ。10口以上だと1号車にお名前が掲示されている。後刻車内に入ると、個人名のほか、企業等が名を連ねていた。関心の高さ、貴志川線を愛する心が感じられる。  

『第4回貴志川線祭り』は、10時30分に伊太祁曽駅で開会を迎えた。

司会者のボケで始まる。おめかしをした、たま執行役員(当時の役職)と同居する小山商店のおかみさん、和歌山電鐵小嶋光信社長がお立ち台に上がり、開会宣言。

司会者が代理で、雄たけびをあげ、和やかな雰囲気を作り出す。続いて小嶋社長のあいさつ。岡山電気軌道の社長(両備グループの代表でもある)でもあり、貴志川線の重要性を唱えた沿線住民の心意気を買って、子会社となる和歌山電鐵を立ち上げた偉人だ。

 

司会者と同様に周囲を笑わせる。社内では『たま電車』を「たま様電車」と称するのが"礼儀"であるようだ。それもそのはず、2008年10月28日に和歌山県知事より、県勲功爵(けんくんこうしゃく)(わかやまでナイト) の称号を授与されたのだ。しかも、この年に新設され、たまは第1号となった

小嶋社長によると、"たま様電車"は、たま自身がおこづかい7万円のうち、10口1万円を寄付。車内放送で「ニャーン」と鳴くらしい。これからも多くの皆様が沿線に住んでいただけるよう、頑張ってゆくことを宣言した。 

続いて和歌山県知事、和歌山市長が登場。和歌山市長は「全国から猫好きと鉄道好きがやって来た」と喜んだ。和歌山県は暗い話題が多く、野上電気鉄道、有田鉄道の廃止(後者はバス事業を存続)。南海電気鉄道(以下、南海)も和歌山港線和歌山港―水軒間及び和歌山市―和歌山港間の途中駅を廃止、貴志川線の運営も和歌山電鐡に後を託した。

紀の川市長によると、南海が貴志川線の運営に手を引いたときの年間利用客数は190万人に落ちていたが、2008年は210万人に回復。2009年は220万人になるのではないかと予測している。着実に観光客を増やしていきたい方針だ。沿線はのどかなので、住民が増えれば、利用客も増えてゆく(定期外の利用客は増えているものの、定期客は減少しているという)。

今後は不動産業者と一体となった町づくりを進めて、貴志川線を永遠に存続してほしいと願っている。居住地から半径1キロ以内に病院、スーパーマーケット、コンビニエンスストアがあり、クルマがなくても"不自由感"を与えないのが理想だと思う。

あいさつが終わり、次はテープカット。マスコミが数社駆けつけ、上記の方々のほか、JR西日本和歌山支社長、『貴志川線の未来を"つくる"会』の会長、ドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治氏を交えて、ハサミを持ち、テープカット。終了後、小嶋社長と、たまが"たま様電車"の運転席に乗り込む。

『たま電車』は11時00分から4時間、一般公開が行なわれる。たまは11時00分から30分間、1号車の乗務員室に滞在して、"仕事"をこなす。

■伊太祁曽神社へ行く

『第4回貴志川線祭り』は15時00分まで行なわれ、私は迷いもなく第2会場の伊太祁曽神社へ。『たま電車』の展示会で人が殺到するのは目に見えている。

伊太祁曽神社は規模の大きい神社で、かつては天皇陛下が御来訪された由緒あるところだ。貴志川線は日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社といった、「西国三社」を結ぶ鉄道でもある。

『貴志川線の未来を"つくる"会』では、今まで様々なイベントを実施しており、今回の『第4回貴志川線祭り』を盛り上げている。第2会場の広いスペースでは、貴志川高校の生徒たちがスタッフとして参加。ステージイベントを心地よく、楽しい表情で青春を謳歌している。生徒たちは、貴志川線を大切な足として、今日も走っていることに対する喜びをかみ締めている様子だ。

同校の文化祭では、『いちご電車』、『おもちゃ電車』、『たま電車』のイラストロゴマークの壁画を制作し、1日だけ展示したという。タテとヨコは各5メートルで、和歌山電鐵に感謝の意を表したいと、2年生の生徒が発案。写真は同社から提供され、放課後に作成し、完成までに1か月を要した。その後、3つの壁画を同社に寄付したという。

■魅惑の『たま電車』

いよいよ第1会場へ。『たま電車』に入る前、車体側面を改めて眺めると、白いボディーを基調に、たまが101匹描かれている。見ているだけで楽しさがあふれる電車だ。

『いちご電車』『おもちゃ電車』の外観は、先頭車の連結器、冷房機、乗降用ドアを赤としていたが、『たま電車』はグレーというオーソドックスなカラー。乗降用ドアも車体に合わせてホワイトになっている。車内外のいたるところにたまが描かれている。乗車券のみで乗れるのがすごい。

床は『いちご電車』『おもちゃ電車』と同様のフローリングで、吊り手は3色としており、ドーナツのような配色だ。カーテンはすだれの和と、たまのイラストつきの2種類。通勤形電車でありながら、客室に猫のキャンドルライトもあり、斬新だ。

ロングシートは、『おもちゃ電車』以上に楽しさがあふれており、厚めのリビング席は社長やカップル向きの席といえる。ザブトングシート(「座布団」と「ロングシート」を掛け合わせた造語)も斬新で、背もたれに木材を使用し、湾曲した6人掛けは、グループや家族連れにピッタリ!! お子様向けのTAMAシートが5席用意している。

1号車の車端部は、貴志寄り右側に読書用(?)のロングシートがあり、周囲は本棚に囲まれている。今後は本を増やしたいところ。貴志寄り左側は乗降用ドア付近に車椅子スペースと、たまグッズ(売り物ではない)を設けている。ここにもデートにピッタリのロングシートがある。「ロングシート」と言っても、"らしくない"のがほとんどだ。 

のれんをくぐって、2号車へ。車端部の貴志寄り左側は、たま文庫、いちご文庫、ぽち文庫と名づけられた本棚だ。この文庫はちゃっかりロングシートも兼ねている。貴志寄り右側は車椅子スペース、たまスーパー駅長刊行物コレクション(車内での販売はない)、ロングシートの構成だ。

このほか、たまスーパー駅長のパネルを使った駅長室、円形のベビーベットがある。座席配置は1号車と異なっており、貴志寄り右側の猫の背もたれには「た」「ま」「え」「き」「ち」「ょ」「う」の7人掛けロングシート。貴志寄り左側は、動物の背もたれに「D」「M」「R」の文字が刻まれている。「ドッグ(犬)」「マウス(ネズミ)」「ラビット(うさぎ)」の頭文字からとったもので、"和歌山電鐵はみんなのもの"と解釈できる。

1号車の車端部から、2号車にかけて、たまのあしあとがあり、"終点貴志で下車すると、基本的に日曜日以外の昼間は会えますよ"と誘っている。

■『たま電車』開幕戦  

伊太祁曽駅のホームは大変な混み具合となった。『第4回貴志川線祭り』は15時00分で終了しているが、多くの参加者は『たま電車』に乗らなければ、終わった気分になれない。ホームの和歌山寄りと線路脇には、テレビ局のカメラマンが集結。全国ネットか、関西ローカルなのかはわからないが、注目度の高さを表している。  

15時40分に双方(貴志行き、和歌山行き)の電車が発車したあと、車庫から『たま電車』の和歌山行きが入線。実は定期列車である。

2番線内にポイントがあるため、ホームを一旦はみだして停車したあと、駅員は手動でポイントを動かす。運転士は隣の2号車へ移動し、運転を再開。停止位置に止めて、入線が完了した。乗降用ドアが開くと、ドーッと乗り込んで、たちまち満員御礼となる。レールファンよりも、地元の人たちが圧倒的に多い。  

15時57分に発車。沿線では多くの人たちに見送られ、『たま電車』は華々しいデビューを飾った。通常はワンマンカーだが、この日は車掌が乗務し、すべての乗降用ドアが開閉する。  

沿線でも撮影隊を見かけた。レールファンよりも地元の人たちが多く、携帯電話で、その雄姿を撮っている(動画かもしれない)。  

岡崎前で貴志行きワンマンカーと行き違うと、対向電車に乗っていた人すべて、『たま電車』に目がテン。派手な外装だけではなく、乗客の多さに圧倒された様子だ。

日前宮で、『おもちゃ電車』の伊太祁曽行きワンマンカーと行き違う。終点をもって、この日の運転を終了。代わりに『たま電車』が任務にあたる。『おもちゃ電車』が「頑張ってくれよ」とエールを送るかのような行き違いである。  

田中口を発車すると、右へ曲がり、JR西日本紀勢本線に合流し、16時14分、終点和歌山9番のりばに到着した。  

『たま電車』は上々のスタートを切り、折り返しの貴志行きでも、座席はほぼ埋まり、16時23分に発車。山東から先、沿線の人たちは『たま電車』の姿を見て、喜びに満ちあふれ、特に貴志では多くの人たちが到着を楽しみにしている姿が目に浮かぶ。

■和歌山電鐡のエリート

たま駅長が誕生するきっかけとなったのは、和歌山電鐡初日の2006年4月1日にさかのぼる。貴志駅の売店、小山商店の猫小屋を公道に置いていたため、貴志川町(現・紀の川市)から撤去を命じられていた。おかみさんは開業式典終了後、小嶋社長に「貴志駅構内に置いてもらえないか」と相談した。この日より、貴志駅は無人駅となっていた。

小嶋社長は、たまをひと目見た瞬間、「駅長就任」をひらめいた。即実行とはいかなかったが、2007年1月5日に、たまを駅長、ちびとミーコを助役に大抜擢した。この一報を聞いた私は斬新なアイデアに感心しつつ、「任期なし」が気になった。犬や猫は人間より短命なので、"「在任中の死去」だけは避けてほしい"と切に願っていた。

たまの駅長就任で、国内外から観光客を呼び寄せる招き猫と化し、利用客の増加に大きく貢献。写真集が発売されるなど、社会現象となった。同業他社も追随し、あらゆる動物を"即戦力"として駅長に就任させてゆく(一部の鉄道では、在任中に死去、任期満了に伴う退任が発生した)。

たまは2008年以降、スーパー駅長(課長職。同年1月5日付)、執行役員(2009年1月3日付)、常務執行役員(2011年1月5日付)、社長代理(2013年1月5日付)、社長代理ウルトラ駅長(2014年1月5日付。貴志川線14駅の総駅長職)に昇進し、和歌山電鐡を代表するエリートとなった。

2015年6月22日、急性心不全のため永眠。享年16歳。人間だと80歳に相当するという。名物駅長の死は、海外でも伝えられた。

たまの死後、小嶋社長は社葬(貴志駅で執り行なわれた)で「名誉永久駅長」の辞令を出した。今は天空から全14駅を見守っているに違いない。「長いあいだお疲れさま」と、ねぎらいの言葉をかけるには、まだまだ早いのかもしれない。

(Railway Blog.「2009年の汽車旅2-6」「2009年の汽車旅2-7」より転載。加筆・修正しています)

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