フォーエヴァースペシャル2016-「2016年で消滅」の列車-

JRグループ及び、一部の大手私鉄などは、2016年3月26日にダイヤ改正を実施。その際、消滅した列車を取り上げてみよう。

JRグループ及び、一部の大手私鉄などは、2016年3月26日にダイヤ改正を実施。その際、消滅した列車を取り上げてみよう。

①JRグループ編

■急行〈はまなす〉

〈はまなす〉が鉄路に花を咲かせたのは、1955年6月1日。当時は函館―網走間の夜行準急で、1961年10月1日のダイヤ改正で急行に格上げ。網走へ向かう列車ながら、運転区間は度々変わり、1968年10月1日のダイヤ改正で1度廃止された。

北海道新幹線接続の夜行列車として、存続してほしかったが......

青函トンネルが開業した1988年3月13日、急行〈はまなす〉が青森―札幌間の列車として、20年ぶりに復活。当初、14系客車は座席車のみだったが、1991年夏の2段式B寝台連結を皮切りに、リクライニングシートのドリームカー(急行〈まりも〉の特急格上げに伴い転用)、横になれるのびのびカーペットも加わり、指定席を充実させた。

しかし、客車、機関車ともども老朽化が進んだことに加え、海峡線(在来線)と北海道新幹線共用区間の架線電圧を交流20000ボルトから25000ボルトへ昇圧、保安装置の更新なども重なり、JR北海道は北海道新幹線開業4日前の廃止を決めた。JR北海道は混乱を避けるためなのか、青森行きと札幌行きの最終列車を全車指定席として運転した。

2016年3月22日の終点札幌到着をもって、再び過去帳入り。これにより、青函トンネル開業時からの旅客列車、JRグループの定期急行列車、14系客車の定期運転が1度に姿を消した。

■臨時寝台特急〈カシオペア〉

E26系は"20世紀最後の寝台客車"となった。

JR東日本は、"寝台特急〈北斗星〉のグレードアップバージョン"として、1999年にE26系を投入。オール2階建て客車にして、スペースの確保に努めたほか、寝台車をすべて2人用A寝台個室にするなど、"列車の旅"に特化した車両となった。

同年7月16日に寝台特急〈カシオペア〉としてデビュー。1編成しか在籍していないため、定期運行は実現しなかったが、市販の時刻表では2015年3月14日のダイヤ改正まで、定期列車の扱いを受けていた(時刻表示は定期列車がゴシック体、臨時列車が明朝体の斜字)。また、しばらくのあいだは臨時寝台特急〈北斗星81・82号〉を設定し、上野―札幌間3往復態勢を維持した。

2015年3月14日のダイヤ改正で、臨時寝台特急〈北斗星〉(同年8月廃止)とともに、日本最長距離旅客列車(1214.7キロ)の座に就いたが、先述した北海道新幹線の開業に伴い、2016年3月21日の終点上野着をもって、一般旅客列車としての幕を閉じた。同年6月以降は、北海道方面への団体列車として復活する予定だ。

■特急〈白鳥〉〈スーパー白鳥〉

〈白鳥〉が鉄路に羽ばたいたのは、1960年12月28日。当時は秋田―鮫間を結ぶ準急で、2度も進行方向を変える列車だった。

翌1961年10月1日のダイヤ改正で、大阪―青森・上野間の特急にコンバートされ、大きく飛躍。その後、運転区間を大阪―青森間に統一、ルート変更による走行距離の短縮、電化区間の拡大に伴い、車両を気動車から電車に置き換え、スピードアップを図る。一時は福井―青森間運転の列車も存在していた。

北海道連絡の使命を与えられた特急〈白鳥〉だったが、国鉄の分割民営化前から全区間乗り通す乗客が皆無という状況もあり、2001年3月3日のダイヤ改正で1度廃止された。

"新生〈白鳥〉"は、「北海道直通」の役割を与えられた。

翌2002年12月1日、東北新幹線盛岡―八戸間の延伸に伴い、JR東日本の特急〈はつかり〉函館直通列車と、JR北海道の快速〈海峡〉を統合する形で、八戸・青森―函館間に特急を新設。前者は引き続き485系3000番代充当(臨時列車では1000番代が充当されたこともある)の〈白鳥〉、後者は789系充当の〈スーパー白鳥〉と名乗り、鉄路を舞う。

特急〈スーパー白鳥〉用の789系。のちに785系300番代も加わる。

当初、特急〈白鳥〉は6両編成、特急〈スーパー白鳥〉は5両編成を基本に、多客期は8両編成に増結する態勢をとる。のちに後者は基本編成6両、付属編成2両に改められている。また、2010年12月4日の東北新幹線の全通に伴い、両列車とも新青森―函館間の運転に変更され、特急〈つがる〉共々、新青森―青森間は自由席利用のみ特急料金を不要とした。

こちらも北海道新幹線開業に伴い、2016年3月21日をもって青函特急としての羽を休め、〈はやぶさ〉と〈はやて〉に後を託した。

■快速〈アイリス〉

人知れず廃止された感のある快速〈アイリス〉(画像出典元:裏辺研究所)。

国鉄分割民営化半月前の1987年3月15日に瀬棚線が廃止され、同線を直通していた快速〈せたな〉は、翌日から運転区間を函館―長万部間に短縮、列車愛称もアヤメ科の属名である〈アイリス〉に改称し、再出発した。当時は1往復設定され、下りは夕方、上りは朝の運転だった。しかし、2000年3月11日のダイヤ改正で、下り列車が廃止された。

その後、老朽化が進むキハ40系の運用見直し、特急〈スーパー北斗〉の増発に伴い、2016年3月25日をもって29年の歴史に幕。JRグループでは、2年連続でアヤメ科のネームドトレイン(定期列車)が消滅した

■特急〈川内(せんだい)エクスプレス〉

鹿児島本線川内―鹿児島中央間運転の特急〈川内エクスプレス〉(画像出典元:裏辺研究所)。

485系の定員制列車(乗車整理券300円を購入すれば着席が保証される)、快速〈さわやかライナー〉(朝運行)と〈ホームライナー〉(夜運行)の787系特急格上げに伴い、両列車のダイヤをそのまま引き継ぐ形で2011年3月12日に登場した。同区間を走行する快速〈オーシャンライナーさつま〉より停車駅は多いが、車両性能でカバーしており、川内―鹿児島中央間の所要時間は約5分の差をつけている。

料金は乗車整理券300円から特急料金に変わり、自由席の25キロまでは従来通り300円で利用できたが、それ以上の区間については600円(現在620円)に"値上げ"された。参考までに、九州新幹線同区間の自由席特急料金は830円(現在850円)、所要時間は約10分である。特急料金が若干高くても、スピーディーに移動できる以上、1往復の特急〈川内エクスプレス〉を利用するメリットが少ない。

2016年3月25日をもって、5年の歴史に幕。翌日のダイヤ改正で、伊集院―鹿児島中央間の普通列車が増発され、下りのみ事実上の"代替列車"となる。同区間の所要時間は17分で、特急〈川内エクスプレス〉に比べ、わずか2分増にとどまる。

■特急〈くまがわ〉

1959年4月1日に門司港―人吉間の準急としてスタート。列車愛称は肥薩線沿線を流れる球磨川にちなんでいる。1966年3月5日より急行に格上げ。1980年以降は、運転区間の見直しを重ねた末、熊本―人吉間に落ち着く。

国鉄の分割民営化後は、急行形気動車の普通車座席をボックスシートからリクライニングシートに取り換えたほか、ジョイフルトレイン『アクアエクスプレス』を使用するなど、居住性の改善を図った。

急行形気動車の老朽化もあり、2004年3月13日のダイヤ改正で特急に格上げし、キハ185系を充当させることになった。JR九州の保有車は20両で、同区間の運転本数を急行時代と同じ6往復にするには、効率のよい車両運用が求められた。

特急〈くまがわ〉は急行時代に比べ、地味な存在となった。

同社は特急〈あそ〉を別府―熊本・人吉間運転の〈九州横断特急〉に改称し、特急〈くまがわ〉をサポートすることで、熊本―人吉間6往復態勢を維持した。そのため、特急格上げ後の〈くまがわ〉は、下り3本、上り2本に減少した。その後、同区間は5往復に減少。内訳は特急〈くまがわ〉が下り2本、上り1本。特急〈九州横断特急〉が下り3本、上り4本である。

特急〈くまがわ〉は2016年3月25日をもって、57年の歴史に幕。翌日のダイヤ改正で、特急〈九州横断特急〉は同区間の運転をとりやめたほか、両列車の代替として、熊本・八代―人吉間を結ぶ快速が4往復お目見えした。また、指定席つき普通列車〈いさぶろう1号〉〈しんぺい4号〉も熊本―人吉間で快速運転を行なう。

参考までに、快速(熊本―人吉間)の平均所要時間は90.4分で、特急〈くまがわ〉〈九州横断特急〉の87.6分に比べると、大差がない。

②私鉄編

■小田急電鉄 区間準急

「区間準急」という種別は、東武鉄道などにも存在する。

小田原線世田谷代田―喜多見間の複々線完成に伴うダイヤ改正を2005年12月11日に実施した際、区間準急が新設された。"準急に比べ通過駅が少なく、各駅停車区間が多い"列車で、おもに新宿―唐木田間を8両編成で運転。新宿―梅ヶ丘間は代々木上原、下北沢以外の駅を通過し、梅ヶ丘以西は各駅に停まっていた。

先述の複々線完成により、多摩急行(東京メトロ千代田線直通列車)の増発も相まって、区間準急は小田原線から多摩線への直通列車増強という役割を担う。しかし、日中時間帯に新宿から区間準急唐木田行きに乗車し、多摩線方面へ向かう場合は、代々木上原で多摩急行唐木田行きに乗り換えたほうが早いので、利便性の高い列車とは言えなかった。

区間準急は2016年3月25日をもって、11年の歴史に幕。翌日のダイヤ改正で、日中時間帯は千代田線方面―唐木田間の列車を増発し、種別も多摩急行から急行に変更。また、新宿―小田原・藤沢間の快速急行も増発された。

■東武鉄道 通勤急行

通勤急行の最終列車は10000系10両車を充当(撮影:大塚真氏)。

東上本線和光市―志木間の複々線化工事完成及び、営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線との相互直通運転に伴うダイヤ改正を1987年8月25日に実施した際、上りの平日朝ラッシュ時に通勤急行が新設された。始発駅から志木までの各駅と、和光市(同日より急行も停車)、成増に停車。急行に比べ通過駅が少ない。のちに、急行停車駅に朝霞台(JR東日本武蔵野線乗換駅)を追加し、利便性を向上させたが、通勤急行は引き続き通過した。

2008年6月14日のダイヤ改正で、上りの平日朝ラッシュ時に急行を新設。その後、増発もあり、通勤急行の存在意義に疑問を持つ方が多かったと思う。念のため、森林公園6・7時台発(平日。2013年3月13日ダイヤ改正時)、森林公園―池袋間の平均所要時間を調べたところ、急行が66.9分、通勤急行が70.6分、準急が72.1分。通勤急行と準急に大きな差がなく、ダイヤによっては、3種別とも所要時間が同じ列車もあった。

通勤急行は2016年3月25日をもって、29年の歴史に幕。翌日のダイヤ改正で、準急に置き換えられ、平日朝ラッシュ時に朝霞台、朝霞停車の列車を増やし、両駅利用客の利便性向上を図っている。

【特記以外の画像は筆者撮影】

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