子どもの明るさと貧困の鮮烈なコントラストを描く、『フロリダ・プロジェクト』ショーン・ベイカー監督インタビュー

「この映画はリアリズムに根ざしたいと思っていました」
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

 全編iPhoneで撮影した映画『タンジェリン』で知られるショーン・ベイカー監督の最新作『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』が5月12日より公開される。

 前作の『タンジェリン』が話題になった理由の一つには、たしかにiPhoneで映画を作ったということへの驚きがあっただろう。しかし、映画はそれに留まらない魅力を備えていた。ロサンゼルスのトランスジェンダーの娼婦たちの1日の悲喜劇をリアリティあるタッチで描いた見事な作品だった。ショーン・ベイカー作品の魅力は社会のリアルを見つめるその視線にある。

『フロリダ・プロジェクト』でベイカー監督が描くのは、「ヒドゥン・ホームレス(隠されたホームレス」だ。特定の家を持たない、モーテル暮らしの人々を指す。

 今、アメリカのモーテルは、社会的信用がなく、アパートを借りることもできない人々の駆け込み寺のようになっている。安いアパートに比べると、モーテルの宿泊費も決して安くはないが、雨風をしのげる場所が他にないので、本来短期滞在のためのモーテルにずっと住み続けている人たちが、全米に大勢いるのだ。

 本作は、ディズニーワールドで有名なフロリダのオーランドにある、モーテルを舞台にした映画だ。かつてはディズニーワールド目当ての観光客を当てにしていたこの地域のモーテルだが、貧富の差が拡大し、今ではヒドゥン・ホームレスたちの住処となっている。カラフルで一見楽しげに見える街の風景だが、そこには地獄のような貧困が広まっているのだ。

 しかし、映画はそんな貧困を吹き飛ばすかのような楽しさにあふれている。ディズニーワールドに行けなくても、子どもの目には全てが冒険の対象。そんな子どもたちの底ぬけの明るさと、先の見えない貧困地獄の対称的な姿が胸を撃つ。

 今回は、ショーン・ベイカー監督に本作について話を聞いた。

ショーン・ベイカー監督

この現実に色をつけたくなかった

――この映画はパステルカラーの美しいビジュアルが印象的です。建物などは撮影のために色を塗ったりしたのでしょうか。

ショーン・ベイカー監督(以下ベイカー):いいえ、元々の建物の色をそのまま使用しています。編集段階で若干カレーコレクションしていますが、オリジナルの発色を少しハッキリさせる程度で、実際のロケ場所にある建物の色そのままです。

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――それはすごいですね。ではストーリーはどうでしょうか。監督は現地取材もたくさん行ったと聞いていますが、これは映画なので、やはりドラマチックな誇張を加えているのでしょうか。

ベイカー:あの地域のモーテルに暮らしている人々の生活は、誇張するまでもなくドラマチックなんですよ。ですから今回は映画らしくするための誇張はほとんどしていません。そういうことは彼らに失礼だと思いました。例えば、主人公のムーニーが車に轢かれそうになるみたいな展開はね。

――ほぼ取材の中で出会ったエピソードで構成されているのでしょうか。

ベイカー:自分の少年時代の体験から取ったエピソードもありますが、ほとんどは現地の取材で得たエピソードです。例えばモーテルのブレーカーが落ちるエピソードなども現地のモーテルオーナーから聞いた話です。映画同様、そこに住んでる子どもたちのイタズラだったんです。シングルマザー同士のいざこざなども実際に現地で聞いた話です。

 この映画はリアリズムに根ざしたいと思っていました。あそこで暮らす人々に、自分たちの映画だと思ってほしかったんです。オーランドでプレミア試写を行った時に、取材に協力してくれたモーテルの住人たちも招待しましたが、実際にそう感じてもらえたで嬉しかったですね。

鶴のシーンはウィレム・デフォーによるアドリブ

――映画の中のあるシーンにお聞きします。大きな鶴がモーテルにやってくるシーンがありますね。あのシーンは脚本段階ですでに想定していたんですか。

ベイカー:あの鶴は元々、モーテルの敷地内に住み着いてしまっていたんです。毎朝7時くらいになると、クチバシでガラス戸をコツコツ叩いて餌をねだりにくるんです。モーテルの受付けの人たちがいつもジャンクフードを与えていましたね。それを見ていて、ウィレム・デフォーと同じようなシーンを撮れないかなと思って急遽撮影することにしました。色々な制約があって、一発勝負にならざるを得なかくて、台詞も用意せずに撮りました。ウィレムにはとにかくあそこに行って戻ってきてくれとだけ指示しました。「No harm, no fowl〜」のジョークも全て彼の思いつきです。

――物語全体においては、必要ないシーンとも言えます。そこまでしてなぜあのシーンをなぜ採用したのでしょうか。

ベイカー:そうなんですが、この作品は私にとって人生の一瞬を切り取ったもの、あるいはエピソードであって、観客にもマジックキャッスルでひと夏を過ごしたような気持ちになってほしかったんです。

 人生はいつだって、映画の脚本のように綺麗な三幕構成になっていませんし、起承転結もなく、もっとゆらゆらとした感じでしょう? あの鶴のシーン以外もそういう理由で採用しているし、全体の構成もそうなるよう断片的な構成になっています。

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子どもの視点で見つめた貧困

――この映画は貧困を描いていながら、幸福感に溢れていることに驚きました。それはおそらく子どもの視点で描いたからだと思うんですが、なぜオーランドの街の現実を子どもの視点で描こうと思ったのでしょうか。

ベイカー:彼らのような存在は、2011年に共同脚本のクリス(バーゴッチ)から教えられました。フロリダのオーランドには、ディズニーワールドがあって、子どもにとっては世界で最も幸せな場所であるはずにもかかわらず、こういう貧困の現実があるということにショックを受けました。そして、その対比がすごく印象的だと思いました。

 この対比は悲しい皮肉ですが、この問題を観客により深く伝えることができるんじゃないかと考えたんです。

 あと私は、ハル・ローチの製作した『ちびっこギャング』という短編シリーズが大好きで、以前から子どもを主人公にした作品を作りたいと思っていたんです。100年も前に作られたシリーズなのに、今観てもとても進歩的な内容です。大恐慌時代が舞台なんですが、子どもたちの喜びや冒険心がとても良く描けている作品です。

 リーマンショック後に多くの人が家を失いました。その余波の中で生きる子どもたち描くことは、大恐慌時代の子どもたちの冒険を描くことに通じるんじゃないかと思ったんです。結果的には、高い娯楽性を保ちつつ、社会問題にも迫った作品になったと思います。

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――キャスティングについて伺います。この映画にはいろんな人種が登場しますが、今アメリカ映画界は、人種のバランスに配慮したキャスティングを求められます。あなたもバランスに配慮したからこのようなキャスティングになったのか、それともシンプルに現実を反映させた結果として、こうした多様な人種が登場する映画になったのでしょうか。

ベイカー:後者ですね。私の映画は現実に根ざしたものを目指していますから、やはりその土地に住んでいる人々のことを反映しなければいけない、というより自分の方法論はそれだけなんです。

 あの土地のモーテルに住んでいる人は、多くはニューヨークやプエルトリコなどから移住してきた人で、白人が40%、ヒスパニック系が45%、黒人系が10%くらいの人口比率で、映画の登場人物も大体そうなるようにしました。

 主人公のムーニーも、白人でもヒスパニックでもどちらでもいいなと思っていましたが、ブルックリン(キンバリー・プリンス)のナチュラルな魅力と演技のスキルが素晴らしかったので彼女にしたんです。

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