『牡蠣工場』牛窓の課題は日本に通ず

日本では地方衰退が叫ばれて久しい。しかし、有効な手立てはなく、東京への人口流出が止まらない。

想田和弘と観察映画

想田和弘監督についてどのような印象を持っているかは、氏の映画を見ている人とツイッターだけを見ている人では大分異なることと思う。Twitterでは激しい舌戦を繰り広げる論客というイメージだが、映画はとても物静かな印象を与えるものが多い。(僕は映画監督としての想田監督が好きです)

その映画の印象は自身で名付けた「観察映画」という方法論に負うところが大きい。

観察映画とは、想田監督が自ら考案したドキュメンタリーのスタイルで、撮影前に台本を用意せず、監督が見たありのままを撮影し、編集していく。

ナレーションや音楽、テロップの類いも一切用いず、対象を観察するかのように撮影し、そこで発見したものを編集して再構成していく手法のことだ。想田監督は観察には2つの意味があると言う。

1つは作り手の観察。対象に対してなるべく先入観を排した状態で撮影に望む。そしてもう1つは、その作り手の観察の結果である完成作品を観客が観察すること。その観客の観察の結果の感想は多様なものとなる。

(Via 観察映画とは (想田和弘著 『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』 (講談社現代新書)より抜粋)

観察映画は「結論はこうである」という押し付けがない。その代わり観察映画にわかりやすくもないので、見る人によってはしんどい観賞体験になるかもしれないが、そんな難しさを楽しむのが醍醐味でもある。鑑賞者は自由に何を思っても構わない。

今回の観察対象は、岡山県牛窓町の牡蠣工場。小さく古い牡蠣工場で監督は何を目撃したのか。そこには現代日本の縮図とも言えるほど、問題が山積していた。

過疎化、労働力不足、移民問題・・・小さな町から日本全体の問題が見えてくる

日本では地方衰退が叫ばれて久しい。しかし、有効な手立てはなく、東京への人口流出が止まらない。牛窓町でも過疎化が深刻な問題となっている。この町にはかつて牡蠣工場は20軒ほどあったそうだが、今では6軒にまで減少している。その生き残った牡蠣工場のひとつ「平野かき作業所」が本作の主な舞台だ。

朝からおじいさん、おばあさんが牡蠣をひたすら剥く作業や、沖での牡蠣の水揚げ作業、作業員たちの平穏な日常生活を、時折ネコの映像も交えながらカメラは捉える。(想田監督は猫が好き。Twitterでももっと猫好きをアピールすればより多くの人に好かれるのではないか)若い人は少ない。今の日本の地方の仕事場ではありふれた光景かもしれない。

労働力不足の解消のため、牛窓の牡蠣工場では中国人の労働者を受けいれる動きが始まっている。日本全体でも労働力不足の解消のために移民をもっと受け入れるべきではないかとの議論が盛んだが、外国人労働者を受け入れることのリアリティを共有できている人はどれだけいるだろうか。

牛窓の牡蠣工場でも中国人労働者はそう簡単には定着しない。なにせきつい仕事である。言葉の問題、そして差別や偏見もある。実際に事件も起きる。岡山と並ぶ牡蠣の産地、広島では中国人労働者による殺人事件が起きた。離れた場所での出来事とは言え、似通った状況の牛窓にも得体のしれない不安感がただよう。

平野かき作業所は現在、宮城県南三陸町出身の渡邉さんによって運営されている。渡邉さんは南三陸でも牡蠣の仕事をしていたが、震災の影響で地元で仕事を続けられなくなってしまっため、一家で牛窓へ引っ越してきた。平野さんが高齢のため、工場を誰かに引き継ぎたいと考えていたところ、南三陸で仕事を続けられなくなった渡邉さんが引き継ぐこととなった。

この小さな諸問題はやがて国全体で揺るがすかもしれない

過疎化、労働力不足、外国人差別、、、問題が山積のところにやってきた被災者の渡邉さんという構図。震災で地元を追われ、新天地にやってきても多くの難問を解決しなければならない。小さな街に見事なほどに日本が抱える問題が重なり合う。山積の問題に立ちすくむ思いがするが、これはこの街固有の問題ではなく、日本のあちこちに見られるのだろう。

このような題材を発見できるのも想田監督の「観察眼」の鋭さゆえだ。監督の発見を、映画を通して「観察」する観客は一人一人が重い宿題を抱えることになるが、それら全てこれから日本で生きていくにあたって避けては通れないものだろう。

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