ここには現金はないが貧困もない。インド山村の歌巡るドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』監督インタビュー

監督二人に、本作の魅力や狙いについて語ってもらった。
© the u-ra-mi-li project

10月6日より公開される『あまねき旋律(しらべ)』はとても珍しいものを見せてくれるドキュメンタリー映画だ。

この映画が見せるのは、インドの北東部、ナガランド州の小さな村の伝統文化と生活だ。ナガランドと言えば、国際的にはアジアで最も長く続く分離独立運動の場として有名だ。だがこの映画はそうした政治的側面は遠景に遠ざけられ、もっぱらこの土地に根付く文化と生活を見つめている。

ナガランド州はインドの国土の右上の出っ張りの部分のミャンマー国境沿いにある。ナガランドとはナガの人々という意味だが、居住地はインドとミャンマーの両側にまたがっており、さらには多くの部族が共存している。人種はモンゴロイドが多く日本人に近い外見をしている。土着の文化の色が濃い土地だが、宗教はキリスト教徒が多い。

以下の地図のインド東の出っ張り部分の赤いところがナガランド州

PlaneMad/Wikimedia CC BY-SA 3.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:India_Nagaland_locator_map.svg

映画はナガランドのペクという山間の村の、「リ」という労働歌の伝統を持つ村の人々の農作業を中心に捉えている。稲作の作業時に歌われるこのリズミカルな歌に魅せられたアヌシュカ・ミーナークシとイーシュワル・シュリクマールの二人の監督が6年の歳月をかけてこの映画を完成させた。

インド各地を旅し、日常と労働の中にある歌やパフォーマンスを探してきた監督二人に、本作の魅力や狙いについて語ってもらった。

ナガランドついてはインド人もほとんど知らない

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――ナガランドについては撮影前、どの程度詳しかったのですか。

イーシュワル・シュリクマール(以下イーシュワル):アヌシュカはナガランド出身の友人がいるので多少は知っていたようですが、私はほとんど知らなかったんです。あまり興味を持ったこともなかったですし、インド北東部といえば、軍事衝突のこととか、かつて首狩り族が住んでいただの物騒なイメージを持っていただけでしたね。そういうイメージは実際にナガランドに行ってみて完全に覆されました。生涯の友人ともいえる人々とたくさん出会えましたから。

イーシュワル・シュリクマール監督(左)とアヌシュカ・ミーナークシ監督(右)

――イーシュワルさんの当初持っていたイメージは、多くのインド人が一般に抱いているものなのでしょうか。

イーシュワル:はい。インドの学校では北東部について学ぶ機会はほとんどありません。我々はあの土地の州知事が誰であるかすら知らないんです。逆にナガランドの人たちはインド全体についてよく知っているのに。我々は本当に何も学ばされてこなかったんだと痛感しました。

――アヌシュカさんはどこでナガランド出身の人たちと知り合ったのですか。

アヌシュカ・ミーナークシ(以下アヌシュカ):デリーで働いていた時の同僚です。デリーは大都市なので全国から人が集まります。ナガランドからも仕事や進学のためにやってくる人がいます。

――ナガランドは国際的には、長い独立運動で知られていますが、この映画にはそういった要素は少なく、人々の日々の生活に密着しています。映画にする時、何を一番大事にしようと考えましたか。

イーシュワル:私は日々の生活こそが政治的なものだと思います。生活には我々の価値が反映されているのですから、人々が裕福な生活を望むなら政治家は経済活動に力点を置くでしょう。そうやって政治と生活はつながっているものだと思います。

この映画はコミュニティについての映画です。私は昨今、コミュニティというものの価値が見過ごされているのではないかと感じます。実際にそうしたものについての物語が少なくなっているように思いますし、それはまさに人々の価値観の反映でしょう。

ナガランドのコミュニティには生きる喜びが溢れていて、私にとって驚きでした。それに彼らの音楽、「リ」は皆で作り上げる労働歌ですが、それ自体がメタファーになりうると思いました。多数の声が響きわたり共存している様は、政治や文化の理想のあり方のメタファーとして映画の中心に置こうと考えました。

ナガランドの歌はラップのようなコミュニケーション手段

――あの歌は楽器を使用せず純粋に人の声だけで演奏されるのですか、

アヌシュカ:農作業中の労働歌ですので楽器は使いません。でも祭りの時などは一弦の弦楽器を使いますし、バイソンの角で作った笛や丸太のドラムのようなものもありましたね。あの地域は部族ごとにいろんな音楽を持っています。

――ではこの映画が、ナガランド全体の文化を代表していると思ってもいけないんですね。

アヌシュカ:他の部族の歌を聞いたら全く異なるものでしたね。ポリフォニーであることは共通しているんですが、ピッチやスタイルが全く異なるんです。

――稲作の作業時、彼らは「ムレ」というグループで活動しますが、あれは稲作のためのグループなんですか。

アヌシュカ:概ねそうらしいのですが、稲作以外の時にも助け合う互助組織のようなものです。家を建てる時にも助け合うそうですし、メンバーの家族が亡くなった時にケアしたりなどいろんな場面で助け合うグループなんです。

イーシュワル:家族や隣人、友人同士などいろいろなつながりでムレは構成されています。他にも水の利権のつながりとか。構成メンバーは変わることもありますし、新しくムレを立ち上げることもあります。

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――結構ゆるやかなつながりなんですね。ムレによっても歌も違うのですか。

アヌシュカ:そうです。彼らの歌には署名性のような側面があって、それぞれのムレによって傾向があるようです。あれらの歌は即興で歌われるので、ムレごとの特徴が反映されるんです。

――それは聞き分けられるものなんですか。

アヌシュカ:外部の人間には難しいですね。歌の内容を通訳してもらう時に、ある歌詞について通訳の方たちが随分長いこと議論しているので、何をそんなに話しているんだろうって不思議に思っていたら、歌詞の一部分の解釈について議論していたんです。と言うのも、誰がその言葉を発したかによって意味が全く変わるのだと言うのです。彼らの歌の全てを理解するには人間関係も把握しないといけないんです。

イーシュワル:一応、スタンダードな歌詞の規則はあるようですけど、基本的には即興なんです。彼らの緊密な人間関係の中から、ささいなやり取り、例えば「お前昨日仕事サボったな」とかそんな歌詞を誰かが歌い、それに対してまた即興で返していくんです。

――ラップのあり方に近いですね。ラップは新しい音楽文化だと思っていましたけど、インドの奥地の伝統音楽に似たようなものがあるのは面白いですね。

アヌシュカ:そうなんです。そう言えば、私の誕生日に村の男性4人が即興で歌を作ってくれました。そうやって日々新しい歌が生まれているような場所なんです。

ここには金もないが貧困もない

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――映画は稲作中心に取り上げていますが、他の作物も作られているのでしょうか。

アヌシュカ:いろんな野菜を栽培しています。最近では朝鮮人参や生姜、オレンジなどの現金作物も作り始めています。

イーシュワル:映画で稲作中心に取り上げたのは、稲作が共同作業だからです。他の農作物は個人で作られているものも多いですし、コミュニティについて取り上げたかったので稲作に注目しました。

――あの村の人々の経済水準はどの程度のものなのでしょうか。

アヌシュカ:これは、私たちがあの村を題材に選んだ理由にも関係することですが、あの村の人々は自分たちで土地を所有しているんです。それはつまり、誰もが自給自足で生きているということです。

確かに、あの村には現金は多くありません、しかし貧困もないのです。お金はなくとも日々の生活に困っていません。そういう意味では彼らの生活水準は高いと言えるでしょう。

――現金はないけど貧困もないというのは面白いです。我々の社会では考えられませんね。

イーシュワル:おっしゃる通りです。銀行口座には100ルビーほどしかないと言っている人もいましたが、そんな人も家も土地も所有しているんです。あの村で、貧しさとは、豊かさとは果たして何なのだろうかという問いを突きつけられましたね。

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