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2018年07月02日 12時58分 JST | 更新 2018年07月02日 12時58分 JST

『菊とギロチン』瀬々敬久監督インタビュー。「大正末期と今は似ている」

伝統とは、自由とは何か。

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

『ヘヴンズ ストーリー』や『64 -ロクヨン-前編/後編』の名匠、瀬々敬久監督の念願の企画である映画『菊とギロチン』が7月7日より公開される。

 関東大震災直後の大正末期、混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へと向かう時代に実在したアナキスト集団「ギロチン社」の若者たちと、女であるだけで厳しい扱いを受けた時代にあって、強くありたいという思いを糧に女相撲に挑む女たちの姿を描いた青春映画だ。

 彼らは出会い、互いに共鳴しあうが、軍部が権力を強め、世の中から自由が失われていく中、ギロチン社の若者たちはそんな社会を革命しようと孤高に戦い続ける。女相撲の力士たちは、自分の力で生きていきたいという切なる願望に動かされ、差別のはびこる社会と向き合う。

 関東大震災直後に広がる閉塞感、女の自立を阻む差別的な社会、言論弾圧、そして女相撲を猥雑と決めつけ排除する風潮。瀬々監督はそんな大正末期と3.11以降の現代日本を重ね合わせる。

 伝統とは、自由とは何か、理不尽な世の中に果敢に挑む若者を通じて瀬々監督は観る者に問いかける。暴力や性、希望と弾圧、観念と肉体、あらゆるものが混沌とした世界の中でせめぎあうパワフルな作品だ。

 瀬々敬久監督に本作について話をうかがった。

近代化以降に作られた伝統と女相撲

――『菊とギロチン』は、瀬々監督が以前から映画化を熱望されていた作品とのことですが、今年はちょうど女性が土俵に上がることの是非の議論が活発になりました。偶然かもしれませんがタイムリーなタイミングでの公開になりましたね。

瀬々敬久(以下瀬々):あれを言っているのは、現在の相撲協会ですよね。相撲というのは本来はもっと大きなくくりのものであって、学生相撲もあるし、ちびっ子相撲もあるし、その中心として大相撲があるわけですよね。

 この大相撲がいつ出来たかと言うと、江戸時代頃から江戸に勧進相撲、大阪に大坂相撲という興行団体があったんですけど、それが大正14年に一つになって大相撲というのが出来て、いろいろ体系化していく中で相撲は神事なので女性は入れないということにしたんですよね。

瀬々敬久監督(中央)

 明治以前はもうちょっとそのあたりは緩やかなものだったと思うんですけど、今言われている伝統の多くは、明治以降の近代化の産物であるものが多いんですよね。わいせつっていう概念もそうだと思うんです。江戸時代までは銭湯も混浴で入っていたわけですよね。それを近代化する時に女子と男子は別々にしましょうという発想が出てきたわけで。

――春画も明治以降に取り締まりの対象になる等、江戸時代には普通だったものが、明治になって急に風紀を乱すものだとなったわけですね。

瀬々:そうですね。日本を近代化しなくちゃいけない時に、多くの変化があったと思うんですが、女性が土俵に上がることの是非もその一つの例だと思うんですよね。

――女相撲の門を叩く女性たちはどんな理由でその道に進むのでしょうか。

瀬々:土俵で戦ってる女性たちが輝いて見えたんだと思います。例えば現代だと、女子プロレスに憧れる女の子たちの気持ちもどこか通じるところがあるかもしれない。土俵の上で戦ってることで、何か生き生きしているように見えたんだと思うんです。

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

猥雑さを失った社会はどうなる?

――女性たちには輝いて見えた女相撲も、明治以降は猥雑だとされてしまっていたんですよね。監督が描かれたこの時代は、社会から猥雑なものを排除して、「正しく」あろうとしている時代のように見えました。なんだが現代とリンクしているなと思いました。

瀬々:そこはやっぱり僕がピンク映画の世界で育ったのが大きいと思います。僕が学生の頃は高橋伴明さんや、日活ロマンポルノで曽根中生さんや神代辰巳さんとかが面白い映画を作ってた時代です。

 当然、一般の人たちからしたら、成人映画って低級なものだと思われてたんでしょうけど、実際に映画館に行ってみるとエロ目的の人だけじゃなく、純粋に面白いものを観たい人とかいろんな人たちが来てたんですよね。いろんな人が集まる所って、猥雑だけどパワフルというか、そういうごった煮みたいな場所から面白いものが生まれるんだと思っています。

 僕は、映画は全て平等だと思ってますし、一般の映画と違わない面白さがあるんだと思って作ってきたので。そういう意味で、女相撲にも同じような魅力があるように感じるんですよね。

――猥雑なものが社会から無くなると、社会全体の活力もまた減ってしまうと。監督は現代社会に対しても同じように感じますか。

瀬々:それはそう思いますね。今の社会はキレイなものばかり残してる気がします。社会全体が安全とか安心みたいな方向に行きがちなんですよね。コンプライアンスという言葉がまさにそれを象徴してると思うんですけど、危険なものや猥雑なものはあらかじめ排除しようという、そういう空気はすごく感じますよね。

 こないだも京大の立て看板がなくなる話があった時に学内の座談会に呼ばれて行ったんですけど、これも似たような話だと思うんです。

 立て看板が街と大学と学生をつないでたんだと思うんですよね。学内は今こんな感じなのかと市民がそれで知ったりしてたわけです。そういうものを一切排除して壁の向こうは大学です、そこにはキレイな壁があるだけで中は見えないというのは分断化だと思うんですよね。立て看板は雑多で猥雑だったかもしれないけど、そういうものをなくしていくと世の中がどんどん分断化していくような気がします。

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

観念的な男たちと地に足ついた女たち

――この映画は大正末期に時代を設定しています。この時代に設定したのはなぜですか。

瀬々:それはそもそもギロチン社のことを描きたいと思っていたからです。20歳の時に彼らのことを知ったんですけど、彼らは関東大震災後に弾圧が激しくなって運動が尻すぼみになっていく時代に、何かを起こそうとした若者たちでそこに惹かれてたんですね。

――最初はギロチン社について描こうと思ったわけですよね。それだけでは何か足りないと思われたのでしょうか。

瀬々:まあ、暗殺とか言ってる人達なんで(苦笑)、リャク(掠奪の意)と称しては企業からお金を巻き上げて、その日暮らしで酒飲んでばかりとか、女性を買ったりとか。言い方はあれですけど、一般の人から見るとちょっとついていけんわという感じがありますよね。(笑)

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎


――尊敬できるかというと・・・難しいかもしれないと。(笑)

瀬々:そうですね。そう言いながらなんとか世の中を変えたいという思いは確実にある、僕はそういう人たちは好きなんですけど、それだけで一本の映画にはできないなと思ってたんですよね。それで、当時女相撲の興行が行われていたという事実を知って、二つを合体させたら面白いと思ったんです。

 ギロチン社の彼らは、社会を変えたいという切実な思いはあるんですけど、なんというか身体性が伴っていないところがある。観念だけで生きてるというか。それとは対照的に、女相撲の人たちはまさに身体性があって、地に足をつけて生きている。

 当時は農村の女性は家を継げるわけでもない、家の中でも差別されてて、そんな自分たちの境遇を変えたいと思っているわけです。彼女たちの願いは地に足がついている、そんな彼女たちとギロチン社が出会うことでドラマが生まれないだろうかという発想です。

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

3.11以降、脚本を書き換えた

――韓英恵さんが演じた十勝川という在日朝鮮人の女性が登場します。このキャラクターを入れようと思ったのはどうしてですか。

瀬々:韓英恵さんは、映画の公式サイトで出演者の募集を始めた時に、自ら連絡してきてくれたんです。韓さんと山田真歩さんは自ら出演したいと言ってきてくれたんです。そういう意思が本当にありがたかったですね。

――韓さん自身があの役を希望されたのですか。

瀬々:彼女がやりたいと言った時には、彼女はこういう役があることは知らなかったです。

――彼女のキャスティングが決まる前から十勝川というキャラクターは在日の設定だったんですか。

瀬々:そうです。実は3.11以前と以後で脚本がかなり変わってるんです。3.11以降に関東大震災を調べ直したんです。当時、弾圧も強まり社会が右傾化していく中で朝鮮人の虐殺というものは、やはり大きなテーマだと思うので、十勝川というキャラクターを作り直しました。実は最初は北海道出身の女性という設定でした。だから十勝川なんですけど。

 最近は、日本だけじゃなく世界中が右傾化している傾向がありますよね。日本ではちょうど3.11の震災以降にそういう傾向が加速してきて、国家の体制も含めて生きにくくなってる。それが関東大震災直後の日本に似ていると思うんです。

韓英恵さん演じる十勝川 © 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

――今回脚本を相澤虎之助さんにやってもらったのはなぜですか。

瀬々:彼の所属する空族って現代社会への批評的視点がありますよね。それと彼の作品って南方の方に理想郷があるみたいなモチーフが多いんですけど、それがこの物語にはまるんじゃないかと思ったんです。

――女相撲の面々とギロチン社の2人が皆で浜辺で踊っているシーンがありますが、あれはもしかして相澤さんのアイデアですか。

瀬々:そうです。あのシーンは彼のイメージなんです。脚本段階でジャンベというアフリカの打楽器を使うと書いてありましたしね。

――あの楽器は当時の日本にはないものですよね。

瀬々:ないです。豪快な嘘です。(笑)あのシーンで東出(昌大)くんが歌ってる『アパッシュの歌』もフランスのならず者たちについての歌です。そういう時代と地理を股にかけるみたいな発想は彼独特のもので、すごく良いなと思いましたね。

――猥雑さと理想を求める心が一体となったすごいパワーのあるシーンでした。

瀬々:そうですね。女相撲の人たちは自分たちの境遇を変えたいと思ってるし、アナーキストたちは社会を変えたいと思っている。そういう夢とか欲求の塊みたいなものがこのシーンに具現化されていると思います。ある意味、自分たちが目指す社会の理想みたいなものがここに現れているのかなという気がしますね。

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎