BLOG
2018年10月22日 11時51分 JST | 更新 2018年10月22日 11時51分 JST

ろう文化の豊かさへの扉を開く映画『ヴァンサンへの手紙』

我が子の耳が聞こえるのと、聞こえないのと選べるとしたら、どちらを選ぶだろうか。

ろうの俳優レベント・べシュカルデシュによるパフォーマンスは圧巻
©2015 Kaléo Films
ろうの俳優レベント・べシュカルデシュによるパフォーマンスは圧巻

 我が子の耳が聞こえるのと、聞こえないのと選べるとしたら、どちらを選ぶだろうか。

 おそらくほとんどの人が耳の聞こえる方を選ぶに違いない。障害を差別するわけではない、我が子の耳が聞こえないからと言って愛さないわけでもない、健聴の子と等しく愛情を注ぐだろう、けど障害はないに越したことはないから、と。

 しかし、我々健聴者は自分を基準にそう決めてしまうのだが、ほとんどの人間はろう者の「音のない世界」を体験したことはない。我々はろう者の世界の何をどの程度知ってそう判断しているのだろうか。

 10月13日から公開されているドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』は、そんな健聴者の目を覚まさせるような、新鮮な体験を与えるだろう。ろう者の文化には「聴文化」とは異なる豊かさがあることを本作は教えれくれる。

 

ろう文化が示す肉体の饒舌さ

©2015 Kaléo Films
監督の友人ヴァンサン

 

 ろう者の男性、ヴァンサンが自殺した。本作の監督でもある友人のレティシア・カートンは生前、彼と一緒に映画を撮る約束をしていた。その果たせなかった約束を、彼の死による喪失を埋め合わせるかのように、レティシア監督はろう者の葛藤と苦しみ、そしてろう文化の美しさをカメラに収めてゆく。

 本作は友人の自殺という悲しい事件に端を発するものだが、その謎を追いかけないし、社会に対する敵対心をむき出しにした作品でもない。健聴者が支配的な社会で、ろう者がいかに差別されてきたかについてももちろん触れられているが、それ以上にろう者が聴者とは別種の美しい文化を育んできたことを描いている。

 この映画には手話演劇や手話詩のシーンがある。ヴァンサンが憧れていた、ろうのベテラン俳優レベント・べシュカルデシュによる、パリのリヨン駅での手話詩のパフォーマンスは目を見張る美しさであり、肉体という言語がかくも饒舌なものであるのかと感嘆させられる。

 

 手話教室の講師の教えも、手話という言語の奥深さを物語る。手話はわずかな表情筋の付け方だけで意味が変わる。ゆえに手話をあやつる人々は大変に表情が豊かである。

 ろう者の表情の豊さについては、2017年に日本で公開された韓国のドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』を観た時にも実感した。ろうの両親を持ち、自らは聴者である娘のイギル・ボラが監督したこの映画では、聴者の文化とろう者の文化を両方知っている監督だからこそ描けるろう者の文化の豊かさがたくさん映されていた。

 ボラ監督の両親は、韓国語の教育をきちんと受けられなかったせいで、読み書きがあまり得意ではない。なので、昔から日記の代わりにとカメラで動画を撮影していたそうだ。2人とも実にフォトジェニックで、言葉でばかりコミュニケーションする健聴者の自分は、あんなにもたくさんの顔の表情を持っていないなと思わされた。

©2015 Kaléo Films

 

『ヴァンサンへの手紙』は、そんなろう者の豊かさに迫る一方、社会がいかにろう者を抑圧しているかを描くことも忘れていない。

 筆者が最も重要な問いかけだと思ったのは、ろうの子どもに対する人工内耳手術をめぐる選択についてだ。この映画によると、赤ん坊や子どもの耳が聞こえないとわかった時点で、医者は必ず人工内耳の手術を進めるそうだ。なぜなら、聞こえないよりは聞こえる方がいいと医者は考えるからだ。人工内耳で完全に聞こえるようになるわけではないことなど、情報開示の問題もここにはあるが、果たして耳が聞こえることと、聞こえないことは「障害」として峻別されるべきなのか、という問いをこの映画は投げかける。

 耳が聞こえないという「状態」は障害なのか、それとも1つの個性であるのか。「音のない世界」には音のある世界とは異なる固有の文化があるのか、本作は健聴者が知らないその固有の文化についての想像力を与えてくれる作品だ。

 

映画を配給した牧原依里の想い

©2015 Kaléo Films

 

 本作の監督、レティシア・カートンは聴者で、ろう文化に興味を持ち手話を習い始めたそうだ。ろう者の集うデフクラブでの友人募集を通じてヴァンサンと知り合い、さらにろう文化の豊さに魅せられていった。

 彼女は本作の製作動機について、最初は怒りと悔しさだったと語る。しかし、本作にはそんな怒りの感情よりも親しい友人たちとの慈しみの感情が勝っている。聴者がろう者を観察しているのではなく、彼ら/彼女らと喜びをともにしたその場にカメラをそのまま持ち込んでいる。

 本作の日本での配給は、ろう者の映像作家、牧原依里が率いる聾の鳥プロダクションが担当している。彼女は全編無音のろう者の「音楽」を描いた『LISTEN リッスン』の監督として知られる。

 彼女はこの映画を観て「私の人生そのだった」と語っている。聴者の立場からろう者に「寄り添おうと」する人たちにげんなりしていたそうだが、そんな彼女はこの映画を「ろう者の価値観でろう者に寄り添う」映画だと評している。

 

 今までに観たことのないものを見せる映画は傑作である。しかし、観客を今まで立ったことのない視点に立たせてくれる映画はもっと傑作である。聴者にとってこの映画は、圧倒的に後者だ。聴者の観客は、この映画で新しい世界の見方を獲得するだろう。