商売人の血、僕に流れる血

小学校時代のTくんは、たしかに大きくて強く、親分肌で、怖いところがあって、でもやさしいところもあって、ジャイアンそっくりだった。

ドラえもんをちゃんと見たわけじゃないから、ジャイアンの人となりを詳しく知っているわけではない。

でも、小学校時代のTくんは、たしかに大きくて強く、親分肌で、怖いところがあって、でもやさしいところもあって、ジャイアンそっくりだった。

中学校時代、体が小さくて意気地のない僕には、怖い連中がいたのだけど、Tくんはグレていたわけではなく、また、その連中を恐れてもいなかった。

ただし、勉強はそんなに得意ではなかった。

その後接点もなく、すっかり忘れていたそんなTくんに、40年ぶりに再会したのが、去年の正月。

高級割烹料理店でおこなわれた小学校、中学校の小さな同窓会に呼んでもらったのだ。

Tくんは、割烹料理屋のオーナーになっていた。

その立派な店は、彼の店であった。

今年も同じ同窓会があり、Tくんのそばに座ることができたので、すこし話を聞くことができた。

細部は間違っているかもしれないが、おおむね、こんな話であった。

彼は高校卒業後、料理屋に勤めた。

その後、独立して自分の店をもった。

現在の割烹料理店をつくるために、多額(僕には考えられない額)の借金をした。

担保があったわけではなく、ある出資者が、彼の人物をみこんで、そのほとんどを担保なしで貸してくれたのだという。

まだその借金の一部は残っているが、ほとんど返すことができた。

彼には何人かの子供がいて、そのうちのふたりも、自分で商売をはじめており、すでに5店のオーナーになったり、彼に多額の小遣いを置いて行ったりと、彼以上にうまく商売をやっているという。

昔から、まっすぐなところのある彼は、お客様を喜ばしたい一心で、ついつい最高の素材をつかってしまい、気がついたら、100万円近い売上があった日の仕入れが80万だったなどということも往々にしてあるそうだ。

同じ55歳の人間として、Tくんがまぶしかった。

勤め人ではなく、独立事業者になる人には、なにか一定のタイプがあるような気もするが、僕が見ている範囲でもそれぞれの個性はさまざまで、ひとつの枠におさまるようなものではないように思う。

たとえば、僕もいまの事業を10年以上やってきているので、独立事業者のひとりであって、そういう意味では、僕とTくんは、商売人として同類である。

しかし、Tくんには、いわば「商売人の血」が流れているのではないかと思う。

子供たちが、そんなにも早く揃って成功をおさめていると聞くと、やはり、彼にはそういう血が流れていて、それが子供に受け継がれたのではないかと思わざるをえない。

僕にはない、「商売人の血」が。

「おまえらみたいな、勉強のできるやつ、嫌いやったわ。みんな、〇高とか△高に行きやがって、ショックやった」と彼が染み入るような笑顔で言う。

もちろん、そんなことは、自分の血のままに生きる人生に、なんの関係もないことはわかっている。

彼にも、僕にも、みんなにも。それぞれの55年の人生がそれを証明している。

僕はこう返した。

「俺がお前のことを、はっきりと覚えているのに、これだけ昔話をしても、お前が俺のことをぜんぜん思い出してくれへんことのほうが、よっぽどショックやわ」

Tくんに僕の商売のことや、歩いてきた道を話す機会は、今回もなかった。

たぶん、彼は僕のことを、いつかまた、すっかり忘れてしまうだろう。

そして、いつの日か、僕に流れる血が、僕にこういう人生を歩ませたと、風の便りに彼に届く日は、来るんだろうか、とぼんやりと考えた。

(2015年1月2日「ICHIROYAのブログ」より転載)