誰がどう見ても、おっさんと言われる歳になった。
10代や20代のころ、まさか自分がおっさんになるとは思いもしなかった。
テレビに出てくるどこかの会社の偉いさんたち。
出世する連中のどこが偉いのかまったくわからなかった。
もっと、すごいこと、もっとわくわくすることがあるだろうと思った。
そんなおっさんになりたくなかった。
スーツ姿でひとりで飲んだくれて、就職活動をしている僕をつかまえ、営業で会社なんかに入るんじゃない。理系だったらなんで研究職にいかないんだとうるさくからんできたおっさん。
そんなおっさんになりたくなかった。
薄汚れた白衣を着て、誰も知らないような海洋微生物の資源量の研究をして、日が暮れたら院生と研究室で酒を飲んで噂話。モノクロの毎日。
そんなおっさんになりたくなかった。
毎日、7時半にきっちり帰ってくる父。
辞める辞めると言い続けて会社を辞めなかった父。
そんなおっさんになりたくなかった。
歴史小説が好きで、そこに生き方のヒントを探す。
豊臣秀吉の話を何回読んでるんだよ。
そんなおっさんになりたくなかった。
仕事が終われば毎日のように、安い居酒屋に飲みに行く。
同じメンバー、同じ話。
そんなおっさんになりたくなかった。
現場から上がってくる部下の話は店晒しにするくせに、自分の方針を上司に否定されたらすぐにやり方を変える。社長や、取締役に声をかけられたときの、満面の笑顔。
そんなおっさんになりたくなかった。
カラオケに行ったら、昔の歌ばかり、同じ歌ばかり。
飲みに行ったら、昔の手柄話ばかり。・・・その話は5回目です。
そんなおっさんになりたくなかった。
自分の人生は失敗だったと言い、「自分の」失敗を子供や後輩がしないように、いつもうるさく言う。
あるいは、自分の人生は成功だったと思っており、そのささやかな成功以上のものはないと思っている。そして、自分の成功体験を、自分の子供や後輩におしつける。
そんなおっさんになりたくなかった。
いまでは、僕もおっさんになった。
僕がなりたくなかった、そんなおっさんになってしまっただろうか?
Yesでもあり、Noでもある。
たしかなことは、ようやく僕にも、「そんなおっさんたち」が見ていた風景が見えるようになったということだ。
その風景は、昔僕が嫌悪していたほどには、悪くもないし、絶望するほどでもない。
僕も「そんなおっさん」のひとりになってしまったことは間違いないことなのだが、せめて、路傍の石のように、なにげなく存在していて、必要なときだけそっと出てくる、「路傍のおっさん」のような存在になりたいと思っている。
photo from www.lifeofpix.com
(2014年9月20日「ICHIROYAのブログ」より転載)