中学生の頃、ジャック・ロンドンの『野生の叫び声』と『白い牙』を旺文社文庫で読んで読書の楽しさを知った。
高校生の頃、勉強に飽きると北杜夫氏の『どくとるマンボウ航海記』と『どくとるマンボウ青春期』を開いて、何度も何度も飽きずに読んだ。
畑正憲氏の『ムツゴロウの青春期』を読んで、恋に憧れた。
司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』と『竜馬がゆく』を読んで、やがて僕が出港することになるであろう人生の航海を思って胸を熱くした。
上温湯隆氏の『サハラに死す』を読んで、僕はどこまで勇敢になれるだろうかとこころ震わせた。
水産学科専攻だった大学時代、スティーヴン・ジェイ・グールドが『ワンダフル・ライフ』に描いてみせた進化の秘密にときめいた。
エド・マクベインの87分署シリーズに人生の機微を知った。
ジェームス・サーバーの軽妙な絵と短編に、人生の苦さを垣間見た
ソール・ベローの『オーギーマーチの冒険』のように、僕も何を求めてどこへいくのか、わからないまま冒険に出るのだと思った。
スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティー、レイモンド・チャンドラーなど、村上春樹氏の翻訳を浴びるように読んだ。
だけど、会社でうまくいかず、泥水のなかを這いまわっているようなとき、僕を慰めてくれたのはボブ・グリーンのコラム集だった。
僕にはなぜたくさんの友達や、親友と呼べる人が少ないのかと悩んだ時、デール・カーネギーの『人を動かす』は、その悩みから生涯僕を開放してくれた。
働き盛りのころ、城山三郎氏の『官僚たちの夏』に感動し、自分の姿を佐橋滋氏に重ねて突っ張った。
そして、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んで、僕は小説もエッセイも本も嫌いになった。
なにもかも圧倒的だった。
何かを書くということが、僕の手の届く範囲にないということがわかった。
以来、活字の世界に何かを探すことをしなくなり、僕の目は現実にだけ向けられるようになった。
大好きだったから、大嫌いになった。
そんな僕が本を出させてもらうことになった。
若いころの僕が本屋さんでみかけても、絶対に手に取りそうもない本、会社員時代の失敗の数々のことを書いた本。
冒険にも出ず、日本を変えようと行動したこともなく、一度は志した生物や水産の道を極めもせず、そこにいるだけで胸のときめくニューヨークに住んだわけでもない。
大阪に住み、普通の会社に勤め、失敗を重ねた18年のことを書いた。
僕を形作ってきた名著の数々との落差は、何万光年もある。
だけど、ともかく、僕が世に産み落としたものだ。
卑下するのはやめよう。
会社や組織に属して働き、さまざまな悩みをもっている普通の人に向けて、僕がいまできる最大限のアドバイス、メッセージを込めて書いた。
そこには新しい働き方の提案もなければ、しゃれたコンセプトもない。
僕が直面したのは、古くからある組織と個人の間の葛藤であり、人生の意味と矜持の問題だ。
おそらく、過去の働き方で今や未来を語るな、あるいは、古い価値観を若い人に押しつけるな、という人もおられるだろう。いや、すでに、ブログの記事にそういう意見もいただいている。
しかし、僕には、変わらないものがある、そして、それが見えにくくなっている面がある、と思っている。
この本を出版してくださり、帯のコピーを考えてくださったバジリコ出版の長廻社長も同じ思いだ。
正直に、そして心から、お願いします。
僕のこの本、買ってください。
ブログ記事や寄稿記事と重なっている部分もありますが、時系列に書き直し、半分以上、新たに書き足しています。
最後に、本からちょっと気に入っている部分。
僕は、思っている。
職業人は、社会に出てから二度死ぬのだと。
一度目は、何ものでもない自分というものを受け入れる過程で。
そして、二度目は40才の声を聞く中年となった頃、やはり自分は何ものにもなれずに人生を終わるのだということを受け入れる過程で。
今回僕が書いた体験は、一度目の死と再生の物語、そして二度目の死の物語だ。
ー レイモンド・チャンドラー・イチロー
作者: 和田一郎
出版社/メーカー: バジリコ
発売日: 2015/02/20
(2015年2月21日「ICHIROYAのブログ」より転載)