「12月1日就活解禁」をどう理解すべきか?

間もなく12月1日がやって来る。最早冬の風物詩といっても良いのかも知れないが、テレビ、新聞は「就活解禁!就活解禁!」という言葉を連呼し、就活生たちの焦燥感と不安を煽りたてる。

間もなく12月1日がやって来る。最早冬の風物詩といっても良いのかも知れないが、テレビ、新聞は「就活解禁!就活解禁!」という言葉を連呼し、就活生たちの焦燥感と不安を煽りたてる。一方、雑誌は面談における「パワハラ」、「セクハラ」の実態を特集してみたり、内定が貰えず鬱になったり、更にはそれを苦にして自死してしまったケースをあたかもドキュメンタリーの如く報じ販売部数を稼ぐ。

一方、服の量販店は男女を問わず「リクルートスーツ」と命名し、黒っぽいスーツを着用せねば内定が貰えないかの如き空気を作り上げ、就活生達に有無を言わさず売り付ける。出版社は色々な種類の「就活本」を発行し不安で胸がはち切れそうな就活生達に買わせる。得体の知れない「就職評論家」、「就職コンサルタント」は「どうすれば内定が取れるか?」というタイトルでセミナーを開催し小金を稼ぐ。多分、講演の中でちゃっかり自分の書いた「就活本」の宣伝をする事は忘れないに違いない。

こういう調子で就活生は無駄に金と時間を浪費した後、まるでカラスの大群が移動する様に一斉に合同説明会に行って、エントリーシートを書く。こういう日本独特とも受け取れる就活のルールを定め、就活文化を構築した企業はちゃっかり稼いでいるに違いない。そして、このルールや文化に問題があったとしてもマスコミ、出版社、「就職評論家」、「就職コンサルタント」はこれに寄生した上で利益をあげており、決して批判する側に回る事はない。結果、被害者は社会経験の少ない就活生という事になる。少なくとも「12月1日就活解禁」とは一体何なのか? を考えてみる事くらいはやるべきであろう。

「12月1日就活解禁」というそもそもの誤解

幾つかの誤解がありそうだ。先ずは、12月1日は「就活解禁」ではなく「新卒採用解禁」の初日という事実である。従って、就活生がそれ以前に就活を行う事に何ら問題はない。寧ろ、積極的に動くべきではないのか? 第二の誤解は、まるで国内の全ての企業が12月1日を以て新卒採用活動を開始すると思い込んでいる点である。12月1日は経団連が政府の要請で定めた指針に過ぎない。従って、経団連に所属しない企業にとっては何の縛りにもなっていない

「外資系企業なんて、日本企業の新卒一括採用などどこ吹く風。すでに青田買いを始めています」(損保人事部員)

外資系金融は、今がまさに募集期間。UBS証券は14日、エントリーシートの応募を締め切った。ゴールドマン・サックスは間もなく締め切る。

内定がもらえるのは、一流大学でもほんのひと握りの学生だから、さほど気にする必要はないだろうが、約束事を真っ正直に守っていてはバカを見る。学生が大手企業の内定を諦めてから目を向けがちなITベンチャー企業も、すでに採用活動にエンジンがかかっているのだ。

ベンチャー企業の人事部が結成した「ベンチャーズライブ」は、11月19日に2回目のイベントを開く。

今夏に開催した1回目の参加企業数は25社で400人の学生が参加。それが今回は新たに15社が加わり40社に拡大。前回よりも倍近くの学生の参加を見込んでいる。

イベントのホームページによると、〈40社合同選考会〉へのプレミアムチケット獲得のチャンスがあるグループディスカッションなど、学生と企業がマッチングできる演出も用意されている。

選考直結型のイベントが開催されているのであれば、当然の話として就職を望む就活性が積極的に参加すべきではないのか?

企業には「幹部候補生」と「兵隊」の二種類の採用がある?

それでは、果たして経団連に加盟している企業が指を咥えて外資、ベンチャー企業の青田買いを座視しているのだろうか? 私は決してそうは思わない。12月1日に拘束される事無く、就活生が話を聞きたいと大学の先輩を訪ねて来る事は何も不自然ではない。「幹部候補生」の資質を備えた良い人材であれば当然人事部に報告し、人事部が了解すればその後、ランチ、次いで夜の飲み会と発展するのは当然の成り行きであろう。勿論、唯単に先輩後輩が酒を飲んでいる訳ではない。先輩は後輩に自社が本当に第一志望なのか? どういう形にせよ内定を出せば必ず入社するのか? を確認しているはずである。

日本国内には3.4万の上場企業がある。極めて大雑把な推定であるが、55万人といわれる就活生の内5万人程度が「幹部候補生」として採用され、採用活動が正式に開始される12月1日以前に内定を貰っている様に思う。就活に懸命に取り組む就活生を揶揄する積りは毛頭ない。しかしながら、仮に私の推論が正しければ12月1日以降の就活を巡る大騒ぎは、大部分の就活生に取って企業の「兵隊」になるためのものという事になってしまう。

就活勝ち組が本当に勝ち組なのか?

例えばテレビ広告を大量に放送している様な著名企業数社から内定を貰う就活性がいる一方、苦労の末、何とか地味で認知度の低い中堅企業一社から内定を貰えた様な就活生もいるだろう。そして、日本のマスコミの仕分けでは前者は就活勝ち組、後者は負け組ではないものの勝ち組でもない中間というところではないだろうか? 私は、この判断は就活の表層しか見ておらず、正しいかどうかに疑問に感じている。

A君(男性)は都内の中堅私大生(文系)でスポーツマン、体育会系クラブに所属している。性格は明朗快活で人当たりも柔らかい。就活の結果有名企業数社から内定を勝ち得た。一方、Bさん(女性)は地方の国立大学生(理系)でインドア派。地味で社交的でもなく本来は大学院への進学を希望していたが家庭の事情で就職する事になり、就活には随分と苦労したが、漸く地方の中堅企業一社から内定を貰えた。問題は入社後の配属と処遇である。

A君は意気揚々と入社したものの、配属先は飛び込み営業の部隊。毎日毎日上司から怒鳴られながら飛び込み営業をやっているが、こんな事やってもスキルが付く訳もなく転職を考えている。一方、Bさんは社長直属の経営企画部に配属され会社に費用を負担して貰い英語の勉強をしている。入社二年目で重要提携先であるアメリカの企業に派遣される事が決まったからである。勤め先は大企業ではないものの業績は好調で3年後の上場はほぼ決定している。そして、Bさんは将来の幹部候補生として社長以下役員から期待されている。要は、A君は著名企業数社から内定を貰ったが、飽く迄、企業の「兵隊」としてのものであり、一方Bさんは「幹部候補生」としての採用であったという事である。この手のどんでん返しは、マスコミが報道しないだけで結構頻繁にあると聞いている。

価値を失う「大卒と言う学歴」

大卒という言葉は東大や東大に雁行する一部エリート大学卒業生から入社試験で試験用紙に自分の名前しか書けなかった様な低レベルの大学卒業生までを広く網羅している。一部エリート大学では国益に資する卒業生を世の中に送り出さねばならず、そのため優秀な学生を入学させ在学中に徹底的に鍛える。一方、下位の私立大学では入学する学生のレベルは勿論低い。しかも、入学の動機自体が勉学ではない。「大卒と言う学歴」が欲しいだけなのである。こんなレベルの低い学生を受け入れる大学もそこは心得たもので、「入学金」と「授業料」を納入さえすれば余程の事がない限り卒業させてくれる。卒業生の品質管理など聞いた事もない。

私の友人にはハーバード大学やコロンビア大学といった著名大学でMBAを取得した人間も何人かいる。彼らは決して学歴を誇ったり、自慢したりはしない。彼らが気にかけているのはMBAを取得した過程で何を学び、それを仕事にどう生かし、どの様な実績があり、今何をし、将来何をするか、出来るか、という事に尽きると思う。「大卒と言う学歴」の価値は既に毀損しており、「人物」と「能力」が伴わねば、余程の「コネ」でもない限り内定を得る事は今や極めて困難になっているのであろう。話は脱線するが、一時「みのもんた」を叩けば叩く程週刊誌が売れた背景は案外こういうところにあった様に思う。

維持できない「正社員」という身分

就活生が何とか「正社員」という身分を手に入れたいと切望し、就活が中々巧く行かず、その結果、焦燥感に悩む事になるのは良く理解出来る。終身雇用と年功序列にどっぷりと浸かって来た、彼らの両親がそれを強く望むからである。しかしながら、両親の時代とは状況は大きく変わってしまった。非正規雇用は労働者全体の3分の1を超え、過去最高の水準となっている。契約社員や派遣社員が増加し、この趨勢が継続すれば雇用形態における「正規」、「非正規」の垣根は果てしなく低くなるはずである。

一方、ITの台頭によりベンチャー企業の市場参入障壁が低くなるのは確実である。その反面、既存企業は商品サイクルの短縮化に頭を悩ます事となる。苦労して「優良ビジネス」を立ち上げても昔の様に長期間利益を得る事は難しく、あっという間に「薄利ビジネス」となり、更には「赤字ビジネス」に転落してしまう。そういう展開となれば企業に取って事業撤退は必然となり、担当事業部は縮小なり他部門と統合、社員は雇用調整の憂き目に合う。正社員としての転職は余程の実績、スキルがなければ難しいのが実態ではないのか? リストラされた社員は当然非正規雇用で職を求める事になる。

多分こういった背景があるからであろう、最近は地方公務員を志望する若者も多い様に聞いている。しかしながら、私は地方公務員の将来は限りなく暗いと考えている。第二次世界大戦後、製造業が成長するために必要なインフラは彼らが提供した。しかしながら、これからは日本企業の海外移転が加速し彼らの出番は最早ない。更に、日本の財政事情を鑑みれば地方交付税交付金削減は待ったなしと判断せざるを得ないからである。

繰り返しとなるが、法人税、住民税の減少が不可避であり、地方行政は待ったなしで業務の洗い出しを行い、民間に外部委託可能なものは極力委託する等して、職員を大幅に削減し人件費を減らす必要がある。

それ程遠くない将来、地方行政は財政破綻回避のため、相当大がかりなリストラや公務員の昇給停止に踏み切らざるを得なくなると推測する。

結局のところ、「正社員」や「公務員」という身分が就活生の人生を守ってくれる保障は最早なく、何処に行ってもそれなりに生きていける能力を身に付けるしかないという事であろう。

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