何故、JR北海道と福島第一原発は事故と不祥事が頻発するのか?

東京電力には既存発電所と送電線網の維持管理のみを委託し、事故処理には国が当事者として全面に出る必要がある。監督官庁である経済産業省や安倍政権が安易な東京電力叱責を止め、我が事として正面から事故処理に向き合わねば何時まで経っても問題は解決しない。

朝日新聞の二つの記事を参照する。先ずは、最近判明した特急車両1両が非常ブレーキの利かない状態であった原因について説明する、JR北、空気弁開閉を記録せず ブレーキ問題解明難航である。結局、分った事は、本来の「特急車両が何故非常ブレーキの利かない状態で放置されるに至ったか?」ではなく、それを確認するための、定期検査時にブレーキを動かす空気の弁(コック)の開閉に関する記録を作っていなかった事実であった。これが本当なら、全ての検査結果を疑ってかかる必要があるのでは? と思う。そして、今回判明した特急車両1両以外にも非常ブレーキが利かない状態で、北海道の大地を車両が走っているのでは? と想像してしまう。

今一つは、事故処理に奮闘する福島第一原発作業員6名の被曝を伝える、配管外すミス、汚染水7トン漏れ6人被曝 福島第一原発である。事故原因は誤って配管を外してしまい、結果汚染水7トンが漏れ出したというものである。作業員のケアレスミスに起因するもので、厳しく批判されねばならないのは当然である。しかしながら、被曝犠牲者が作業員自身である事から、注意散漫や責任感の無さが原因ではないと推測する。現場は疲弊しているのではないのか?仮に現場の疲弊が事故の原因であれば、今後も事故の中身は異なれ事故が起きる事は確実である。

■ハインリッヒの法則はJR北海道と福島第一原発での事故再発を予測する

読者の皆さんはハインリッヒの法則をご存じであろうか? まるで、JR北海道と福島第一原発の今後を占うためにある様な法則なので、今回参照する事にした次第である。要約すれば、「事故を防げば災害はなくせる。不安全行動と不安全状態をなくせば、事故も災害もなくせる(職場の環境面の安全点検整備、特に、労働者の適正な採用、研修、監督、それらの経営者の責任をも言及している)」というものである。百聞は一見に如かずで、下記が分り易いかも知れない。先ずは現場で問題に的確に対応する事で事故を未然に防ぐ。仮に、不幸にして小さな事故が発生しても全力で対応すれば大事には発展しないという教えである。

組織論としては、現場に優秀なスタッフを配置し、定期的に研修を行い知識のアップデートを図る事が重要である。一方、管理者にも人材を配置し、現場組織が持続的に機能する様にせねばならない。これらを、リスクの大きさと負担可能なコストの制約の中で全体最適を基軸に調整するのが、本来経営者の役割のはずである。事故と不祥事が頻発するのは、現場スタッフ、現場管理者、そして経営者、各々のレイヤーでの問題の存在や、レイヤー間のコミュニケーションの不在に起因すると考えられる。

■疲弊する現場

JR北海道と福島第一原発の事故や不祥事のニュースに接し、何時も直感的に脳裏に浮かぶのは「現場は随分と疲弊しているに違いない!」という推測である。現場作業員に与えられた一日当たりのノルマは果たして適正なものなのだろうか? JR北海道であれば経営不振から充分な予算が確保出来ず、その結果、やるべき業務が消化不良に陥ってしまっているのではないのか? 福島第一原発事故処理であれば、放射能被曝を伴う危険な作用だけに、本来必要な現場作業員が確保出来ず、業務過多の結果現場が疲弊してしまっているのではないのか? 日本は第二次世界大戦で経験したが、この行き着く先は「精神論」、「根性論」である。この結果、2005年にJR福知山線脱線事故の如き惨劇が起きた訳である。JR北海道と福島第一原発での再現は、何としても避けねばならない。

■実質管理者不在なのでは?

理屈からいえば、現場管理者がきちんと機能しておれば作業員に対し適正な量の業務を指示するはずである。一方、作業員はこの指示に従い業務を実行する。日々達成感を感じる事が出来、体はきついかも知れないが精神的に参ってしまう様な状況は生じないはずである。一方、指示が曖昧で、「兎に角頑張って問題を解決してくれ」の如きものだと、仕事を片付ける端から、新たな問題がその都度生じ達成感を感じる事が叶わない。この繰り返しだと、どうしても精神的に参ってしまう。当然、注意が散漫になり今回の様なケアレスミスも発生する訳である。現場管理者の能力や経験に問題があるのなら適正な人格に交代すべきは当然である。

■背後にある根本問題とは?

とはいえ、そんな事はJR北海道、東京電力共に先刻承知のはずである。やりたくても出来ていないとすれば、原因は人材難という結論になる。仮にそうであれば、JR北海道に関していえば、JR北海道を批判するだけで問題が解決するのか?で提言した様に、赤字ローカル線を切り捨て、分散した人材を一旦集約し、本当に必要とする部分に投下すべきである。これは、本来JR北海道の経営判断にみで可能な話であり、やってない、やれてないとすれば経営不在という結論となる。一方、東京電力の場合はJR北海道とは事情が違う。電力会社は本来「発電」、「送電」、「電力の分配」を企業ドメインとしており、福島第一原発事故対応の如き「廃炉処理」から始まり、今回問題となっている「汚水処理」、「除染」、「賠償」を短期間で実施出来る体制にはなっていない。この辺りは、福島第一原発事故処理が進まない背景とは?で詳細を説明しているので、こちらを参照願いたい。結論をいえば、元々東京電力に事故処理を丸投げするのは無理があり、国が全面に立って取り組むしかないという事である。従って、現状を継続すれば今後も事故は多発する。

■問題解決を遅らせているのは一体誰なのか?

関係者の「当事者意識の欠如」ではないのか? JR北海道について言えば、決して一鉄道会社の経営問題などではなく、過疎により需要が減退し、その結果経営が追い詰められるに至り赤字ローカル線の廃止を決断するしかない鉄道会社という、日本の全ての地方交通機関が直面する問題である。従って、北海道庁や監督官庁である国土交通省はJR北海道の事故や不祥事を叱責して溜飲を下げ、仕事をした積りになるのではなく、我が事と捉え、地域に痛みを与える事になる「赤字ローカル線を切り捨て」を具体的に議論すべきである。一方、福島第一原発事故処理については、何度も繰り返す事になるが、東京電力に背負わせるにはそもそも無理がある。これ以上の惨事を回避するためには、東京電力には既存発電所と送電線網の維持管理のみを委託し、事故処理には国が当事者として全面に出る必要がある。監督官庁である経済産業省や安倍政権が安易な東京電力叱責を止め、我が事として正面から事故処理に向き合わねば何時まで経っても問題は解決しない。

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