ハフポストの小学3年生から英語教育、本当に効果あるのか?を拝読した。確かにコメント欄に記載されている心配や懸念は否定出来ない。しかしながら、日本人が苦手な英語を頭の柔らかな低学年から勉強し始める事は良い事だし、子供を持つ親達も我が事として英語教育を真剣に考える様になるので大変良い事だと思う。日本は物事が決まるまでには時間がかかるが、一旦決定すれば実行段階は極めて早い。勿論、安倍政権のリーダーシップが大事であるが、割合と巧く行く様に楽観している。
そして、良い機会なので「何故早くから英語の勉強を開始せねばならないのか?」、国民的議論をしてはどうだろうか? マスコミは、「グローバル時代」となり、企業は「グローバル企業」への変貌、進化が待ったなしの状況で、そんな「グローバル企業」が求める人材は「グローバル人材」であり、英語を使い熟す能力の習得はその一丁目一番地、といった説明を繰り返すのではないだろうか? この説明は決して間違ってはいないだろう。そして、「グローバル」という言葉はつくづく便利だなと苦笑せざるを得ない。私は、企業は生き残りのために周囲の環境に併せ素早く変化するが、我々が暮らす社会や、我々自身の変化はそれに比べ随分と緩慢である事が今回の背景にあると考えている。
■戦後の経済成長モデル
第二次世界大戦によって日本の産業は殆ど破壊されてしまった。そこから再び劇的な復活を遂げるのであるが、その立役者となった「産業のコメ」とも称される安価で高品質な鉄を生産する鉄鋼業を参照してみたい。鉄鋼業は鉄の原料となる鉄鉱石と石炭を海外から輸入し、国内製鉄所で製品となる鉄を生産し、国内産業である自動車、家電、造船、他製造業や建設・土木業に必要とされる製品を供給してきた。その一方、余剰となる製品は海外に向け輸出した。特筆すべきは、原料の輸入、商品の輸出共に商社を取引に介在させる事である。それにより、巨大産業であるにも拘わらず海外要員は極少数で経営を維持出来たと推測する。その他の製造業も大体この様な形態で、海外取引に関与する人員は極めて特殊且つ少数であり、その時代はそれでも企業経営に問題はなかった。
■転換期は1985年のプラザ合意
戦後の経済成長モデルの転換期は1985年のプラザ合意であった。それまでの、1ドル@240円が3年後の1988年には1ドル@120円の円高になってしまった。一台1万ドル、@240万円で輸出していた自動車が円高の影響で@120万円になってしまった。輸出製造業が大打撃を受けたのは当然である。一方、国内で製造し国内市場で販売していた製造業も廉価な輸入品がまるで洪水の如く国内市場に押し寄せ苦境に陥った。その結果、円高ショックを少しでも緩和するため製造業は工場を東南アジアに移転した。これが、今日日本の製造業の利益の源泉となっている「サプライチェーン」の源泉である。従来の通商から、投資を伴う工場の新設や操業が日本人により行われる様になった訳である。そして、これを境に製造業の従業員が海外駐在する事が珍しい話ではなくなってしまった。海外駐在が商社マンの様な一部エリートから一般化した転換点と理解して良いだろう。
■海外展開に拍車をかけたのは1989年のベルリンの壁崩壊
詳細については、ユニクロ「世界同一賃金」が示すのは日本型雇用システムの終焉で説明しているので、こちらを参照願いたい。「1989年のベルリンの壁の崩壊が、我々が現在直面する「グローバル化」の発端であったと思う。これにより、それ以前は手つかずであった若くて廉価な社会主義、共産主義陣営の労働力が世界の労働市場で使用可能となった。更には、ベルリンの壁と共に東西対立の構図が崩れ去り、発展途上国の労働力が世界市場に流入した。この結果、日本の製造業は割安な労働力を求めアジアの発展途上国に殺到する事になり、強固なサプライチェーンを構築する事に成功した。一方、副作用は安い労働力を活用出来る様になった事で製品価格が下がり、結果デフレが進行した事。今一つは国内での雇用の喪失である」。
■ユニクロモデルの台頭
詳細については、ユニクロの光と影で極最近説明したばかりであるが、ユニクロモデルとは、「最適の場所で生産し、全世界で販売する」という実に単純なスキームだと思う。そして、これが念頭にあるので、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井社長が、新聞インタビューに答える形で「世界同一賃金」を導入すると明言し、日本社会に大きな衝撃をもたらした訳である。ユニクロは労働条件が過酷で「ブラック企業」の象徴の様なイメージが一般に浸透していたり、親会社のファーストリテイリングが8月決算で売上1兆円を超えたばかりというのに、7年後の2020年での売り上げ5兆円を公表したりと、柳井社長の強い個性もあって「特殊な会社」の様な受け止め方をされていると思う。しかしながら、「最適の場所で生産し、全世界で販売する」という事業モデルと共に、従業員を国籍で差別しないという同社ポリシーは、今後日本の製造業の標準モデルになると思う。裏を返せば、今後日本の若者は世界に雄飛し、活躍せねばならないという事である。
■知財立国としての日本
今後、ユニクロに代表される元気な企業の海外展開は加速する。一方、日本の若者達も職場や活躍の場所を求め企業と共に海外に出て行く。これは、最早制止出来ない潮流であると思う。しかしながら、企業と若者が去った後日本に残るのは、公務員、年金生活者、失業中の生活保護受給者のみという事であれば、日本は抜け殻という事になってしまう。この事態を避けねばならないのは当然である。そのためには、国内市場に「資本」が投資され、世界レベルの「人材」が流入し、高度な研究開発が実施される様な知財立国になるべきと考える。汎用品の生産は中国や東南アジアに移転し、国内では高度技術を必要とする製品に特化すべきであろう。
投資や人材流入促進のためには、投資家や研究者に取って日本が魅力的な国でなければならない。当然、法人税、所得税、住民税の減税は必要となる。無意味で、且つ、多過ぎると批判される事の多い規制の撤廃や緩和も必要となる。手続きに役所に行っても窓口で英語が通じない様では話にならない。研究者が家族帯同で来日し、買い物や食事の際に英語が通じなければ矢張り不便であり、本人だけでなく家族も日々の生活が楽しめない。日本は本当にもっと早く英語教育を議論し、今時点でかなりの国民が英語を使える様にしておくべきだったと思う。しかしながら、冒頭説明した様に、企業が「通商」や「投資」の分野で国際化を進展させるスピードでは日本社会は変化しない。個人もまた、特に英語が出来なくても生活が可能であれば勉強しないで済ませるというのがこれまでであったと思う。そして、これが日本経済停滞の痼疾となっている。「小学3年生から英語教育」が日本人の意識を変革し、日本社会を国際化に向かわせる事を期待したい。