今日は学校に庭を作る予定だった。私は花の種と土を市場で買ってきて、ここ4日間の授業では、ガーデニングや植物の育て方に関する色々なゲームや語彙の練習を行ってきた。
私が黒板に庭の絵を描くと、クラスの12人の子供たちは普段の授業以上に楽しそうにはしゃいだ。私は子供たちが騒いでいるのは、私の絵が下手だからだと思った。確かに私がチョークで黒板に描いた花は、カラフルな夏の牧草地というよりもおかしな宇宙人のように見えた。
しかし子供たちは私の絵が下手だから騒いでいたのではなかった。彼らは心から庭作りが楽しみで、庭作りの準備が着々と進んでいることに興奮していたのだった。前日には予行練習も行ってみた。4人の子供たちが種を全部食べてしまう前に、小さな鉢にひまわりの種を植えてみることにしたのだった。
ここ3カ月間、私は6歳から8歳の、シリア、イラク、リビア、ルーマニアからの難民の子供たちに勉強を教えてきた。彼らにドイツ語、数学、一般常識、芸術や音楽の授業を行ってきた。子供たちは今では上手に8つの文字を書くことができ、0から10までの数字を知っていて、昨日は放課後にどんなことをしたかを私が尋ねると、楽しそうに話してくれる。しかし、子供たちの口から通常のレクリエーション活動についての話を聞くことはない。私が教えている12人の子供たちの内10人は、学校の近くにある緊急避難所に暮らしており、彼らは学校が終わった後はそこで過ごしているのだ。
この数カ月間で、学校は子供たちの家族の生活の中心になった。子供たちは私と一緒に4時間を学校で過ごし、なかには保護者と一緒に特別の補習授業を受ける子供たちもいる。しかし、喜んで補修に参加してくれる保護者と一緒にアルファベットの練習をしている間は、私は子供たちに遊ばせることにしている。放課後になると、子供たちは避難所に行き、友達と卓球やレゴブロックであそんだり、庭で三輪車に乗るなどして4時間過ごしている。
彼らはいっぱい遊んでいっぱい勉強したい、ペンを取られたらケンカして泣いてしまう、どこにでもいる普通の子供たちだ。
学校は子供たちだけでなく、家族全員の場所になっており、ベルリンから外の世界と連絡を取る唯一の場所になっている。学校は子供の教育と保護者の言語習得にとって重要なだけでなく、難民と触れ合う恐怖を無くしたいという、ドイツ語を話す子供たちや同僚のための場でもあるのだ。
3カ月が経ち、私は子供たちと上手くコミュニケーションできるようになったので、もう少しハードルを上げてみることにした。泥まみれになって遊ぶのも、彼らにとっては大事なことなのなのではと考えたのだ。
そして私は机の周りを歩き、子供たちが楽しそうに繰り返し言っていた「土」という言葉を呪文のように口に出してみた。すると誰かが私のドアをノックした。地元の口腔衛生師だった。数週間前、口腔衛生師が来るというメモを学校からもらっていたのだが、私は読んですぐに忘れていたのだった。
私はしばらく口腔衛生と土遊びをうまく組み合わせるないか考えたが、すぐに行き詰った。庭は後回しだ。虫歯との戦いの方がもっと重要だった。
ツィングシュト先生が鞄から大きなぬいぐるみのワニを取り出すと、子供たちはすぐに庭作りの計画はすっかり忘れてしまい、歯みがきのことについて話し始めた。
それから30分間、私たちは歯が抜ける時の歌を歌って、毎日歯みがきをすることの重要性、家での正しい歯みがきをの仕方を子供たちに話した。
子供たちの多くに虫歯がある。数カ月前に養護教員が子供たちの歯の検診を行い、子供たちに歯科医院を受診するのを強く勧めていた。私は保護者たちに歯みがきの重要性を、時間をかけて話した。
「話した」というのは、パントマイムやジェスチャーに少しの言葉を交えながら説明したということなのだが、保護者たちはしっかり理解してくれた。難民と接することで、コミュニケーションには非常に多くの方法があることが分かった。最初のうちはお互いに気まずい思いもしたが、例えば、もうすぐクラスで動物園に遠足に行くことなどを話す時、即興のジェスチャーで説明するのはごく普通のことで、非常に楽しいことなのだと気づいた。
口腔衛生師がワニのぬいぐるみをバッグにしまって教室を去る時には、子供たちは誇らしげにカラフルな歯ブラシを手に持って、楽しそうに私たちのことを見つめていた。
この3カ月で、私は子供たちのこと、自分自身のことについて多くを学んだ。
子供たちを庭に連れて行くにはもう遅かったので、残りの30分でサッカーをするために真っ直ぐ体育館に向かった。
この3カ月で、私は子供たちのこと、自分自身のことについて多くを学んだ。私がこのクラスを引き継ぐことになると知った時、私はすぐにPTSD(心的外傷後ストレス障害)や戦争体験に関する本をできるだけ探して読んでみた。私は途方に暮れた悲しい目をしていたと思う。不安に怯えた子供たちを教えることになると思っていたのだ。しかし、私の心配は見事に吹き飛んだのだ。
彼らはいっぱい遊んでいっぱい勉強したい、ペンを取られたらケンカして泣いてしまう、どこにでもいる普通の子供たちだ。彼らはこの上なく面白く、信じられないくらいかわいい子供たちなのだ。
私の同僚たちは以前私に「難民の子供たちに勉強を教えるのは厳しいぞ」と忠告した。彼らは十分な教育を受けることのできないコミュニティーの子供たちで、学校の中を実際に見たこともない。そんな子供たちに授業をするのは大変だぞと言われたのだ。でもその忠告は全くもってナンセンスだった。
もちろん、私が教えた1年生の子供たちは全員、これまでに学校の中を見たことはなかった。しかし子供たちの保護者の多くは基礎的な教育を受けている。学ぼうとする意欲は人間の誰にでもあることで、特に6歳の子供たちであればなおさら強いのだ。私は同僚たちが考えていた前提は間違いだったことを証明した後、子供たちに対して厳しく接するためのヒントも得ることができた。
12人の子供たちに勉強を教えるのは、いつも簡単というわけではない。ただ会話をするだけでも、子供たちはストレスに感じてしまうことすらある。やはり、難民の子供たちにとっては私が話しているのは外国語なのだ。しかしいずれにせよ、一日の終わりに子供たちが歯ブラシを持って誇らしげに胸を張って私の前に立ち、ドイツ語と様々な言葉をごっちゃにして、今日から毎日歯を磨くよと私に言ってくれるような瞬間が、私の仕事をこの上なく価値あるものにしてくれているのだ。