被災地視察中に火事で焼け出された区議が「シン・ゴジラ」を見てみた

作品の解釈は見る人それぞれですが、東日本大震災と福島第一原発事故がなければ、「シン・ゴジラ」は絶対に作ることができない、ということだけは断言できます。

実は私、先日自宅が火事になり、焼け出されていま仮住まいなのですが、そんな中、話題の「シン・ゴジラ」を見てみました。

これは、8/5に同僚の高沢一基区議が撮影した、陸前高田市内の写真です。

未だに5年前のままの建物。

本来なら、この建物を私も一緒に見るはずだったのですが、私はこの日、この光景を見ていません。

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東日本大震災から5年が経って、被災地はどうなっているか。

それを見るための岩手視察に、8/3〜5の間、民進党板橋区議会議員団は赴いていました。

8/4は、まず大船渡市を視察し、板橋区から派遣されている職員を表敬訪問。

その際、久しぶりに、あの3.11の映像を見ました。

それは「このあと破滅が訪れるとわかっている映像」です。

正直、見たくなかった。

しかし、大船渡でがんばっている皆様の前で、目を背けるわけにはいきませんでした。

大船渡視察終了後、陸前高田市に向かい、午後6時ころ、ちょうど陸前高田市に到着したころ。

知らない電話番号から電話がかかってきました。

「お宅、いま、燃えています」

私は急遽視察を中断し、板橋まで取って返しました。

その日は自宅に帰らず、家族が一時避難している、区の防災研修センターというところに行きました。

翌日は現場検証。

幸いにして火は外にほとんど漏れなかったのですが、中は丸焼け。

見るも無残な状態です。

子どもの本やおもちゃが焼けただれているのが、一番キツイですね。。。

1階の部屋にあった、紙ゴミを捨てていた段ボール箱が最初に燃えたようだということまではわかりましたが、なぜそれが燃えたのか、原因は不明のままです。

一時避難場所として板橋区防災研修センターを貸していただけたことは大変ありがたかったのですが、風呂やシャワーがなく、銭湯も近くになく、知的障がいのある長男と1歳10ヶ月の次男を、運転免許のない妻がここで面倒を見るのは限界だと判断し、妻と2人の子どもを仙台の私の実家にしばらく預かってもらいました。

そして先日、心ある方のご配慮により仮住まいが決まり、妻と子どもを仮住まいに迎えるために仙台まで車を走らせました。

帰りは、千葉に住む叔母を訪ねるため、常磐道を通りました。

2015年3月に全線開通した常磐道。

そのルートには、福島第一原発事故により放射性物質が降った地域が含まれます。

そのため、常磐道の当該エリアには線量計がところどころに設置されており、線量が大写しで表示されています。

私が通過した際、最も高い値は「4.0μSv/h」でした。

「シン・ゴジラ」、最初の15分で涙が出た。

そんなこんなで、いま仮住まい中です。

板橋区内なので、これを「疎開」と言ったら怒られてしまいますが、生活基盤を根こそぎ奪われるとどうなるか、ということについては、ある程度のレベルで実感中なうです。

そんな中、多くの人のおすすめもあり、「シン・ゴジラ」を見てきました。

最初の15分で、涙が出てきました。

これは、どう見ても「津波」です。

作品の解釈は見る人それぞれに委ねられるべきですが、東日本大震災と福島第一原発事故がなければ、この「シン・ゴジラ」は絶対に作ることができない、ということだけは断言できます。

学校の体育館での避難所生活を表現しようなど、「現物」がなければ、まず思いつかないでしょう。

現実とは、常に理不尽なものです。

原因や理由をいくら考えたところで、結果が理不尽であることはどうしようもありません。

「ゴジラ」または「津波」という名の「理不尽」に相対するのは、「政治」です。

現実世界には、ウルトラマンも孫悟空もX-MENもいません。

最強の敵「理不尽」に対抗し得る、現在人類が持つ最強の力は、あの鈍重で信用できない「政治」ってやつしかないのですよ。

現実世界は、ゴジラよりもさらに理不尽です。

まったくなすすべもなく、一瞬にして多数のまちが壊滅し、2万人の命が奪われました。

5年が経過したいまも、多くの方々が仮設住宅で暮らしています。

現実世界の放射性物質は、半減期20日なんて甘いものではありません。

これらの理不尽に相対する政治は、到底映画のようにはいきません。

「3.11後の政治」を叫び続けて、5年。

これほど明々白々に変革を迫られながら、まだ政治は変わることができない。

いま、ゴジラがこのような形で"上陸"したことは、変わらない政治に対して、強烈な放射火炎を浴びせているのかもしれません。

私はあきらめません。

微力な私にできることは、「あきらめない」ことだけです。

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