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2018年09月20日 16時37分 JST | 更新 2018年09月21日 14時53分 JST

日本初!重度の障害を乗り越えて司法試験に合格

今回ご紹介するのは、11期卒業生の虎ノ門法律経済事務所 海老名支店長 菅原 崇さん。

日本政策学校インターンの渡邉萌捺です。

*日本政策学校とは、主義主張を超え、政治を中心に学ぶ学校。政治家を目指す方から教養として政治を学ぶ方まで、様々な受講生が学んでいます。

*この記事は、日本政策学校現役受講生及び卒業生の活動を応援することを目的に、その活動を広く社会に発信するためのものです。政治関係の活動に囚われず、受講生の多彩な社会貢献や生き方を紹介することで、多様性のある、より良い社会の実現の一助となりたいと考えております。

今回ご紹介するのは、11期卒業生の虎ノ門法律経済事務所 海老名支店長 菅原 崇さん

34歳の時に交通事故に遭い、突然肩から下が思うように動かせない四肢麻痺という重度の障がいを負い、当時勤務していた(株)明治を退職せざるをえなくなりました。その後、日本で初めて音声認識ソフトを使用しての司法試験に挑戦し、見事に合格された菅原さんにインタビューさせていただきました。

sugawara
菅原 崇さん

Q : 弁護士を目指したキッカケとは?

交通事故に遭ったため、1年間会社を休職していました。是が非でも復職したかったので、何度も会社と話し合いを重ねました。しかし、身体の障がいが重度すぎるという理由で、会社に復職したい希望は叶えられませんでした。

途方に暮れ「この先どうして生きていけばいいのか」と思っていた時、検察官や弁護士の友人から、「肩から上は障がいが無いので、話すことができれば務まる弁護士をやってみたら?」と言われたことが弁護士を目指すきっかけでした。

司法制度改革によりできたロースクールという学校があり、そこで学べば弁護士になれると聞き、学校に行けば弁護士になれるならやってみようと思いました。そこで、(株)明治を退職した年にロースクールを受験してみました。受験したロースクールは【法学未修者コース】といって、法律を何も知らない人でも入れるという3年コースで、入試は一般常識や知能テストのような試験でした。

論文試験もあり、音声認識ソフトを使って受験しました。音声認識入力は、口頭で喋った言葉が、マイクに繋げたパソコン上に文字や文章となって表示されるシステムです。パソコンが認識し表示した文字は、認識違いや漢字の間違いが結構あります。間違い箇所は、音声やマウスを使って正しい文字に修正して文章を作りますが、これに慣れる訓練が必要で苦労しました。

音声認識ソフトは、会社を辞める前に同僚が「復職するためにこれを使いこなせるようになれ。復職できる可能性が上がるから」とプレゼントしてくれたものでした。その同僚はエンジニアだったので、特殊なものを持って来たのだろうと思っていたのですが、私のために探し回って買ってきてくれたということでした。彼は一緒に商品開発や技術開発を行っていた人で、共に修羅場をくぐってきた同志でした。

Q : 入院中の心境は?

受傷直後はやはりイライラしましたね。不安になるし、自分はこの先どうなるのだろうと思っていました。

ただ、ありがたいことに同僚や友達、家族が毎日お見舞いに来てくれました。約1年間入院したのですが、誰も来ない日は1日もなく、常時何人も来てくれていました。病院でも「菅原さんのお見舞い人数はダントツです」と言われるほどでした。

それでも、やはりイライラは解消されませんでした。「なんで私がこんなケガを負ってしまったのだろう」というような加害者に対する様々な思いが駆け巡り、入院初期の頃はどうしてもイライラしてしまいました。私がイライラしていると、せっかくお見舞いに来てくれたのに、みんな悲しい顔をして帰っていくことがありました。そういう人たちは、しばらく来てくれなくなってしまいます。冷静に考えれば、来なくなってしまうのも分かるのですが、その時はすぐに気付きませんでした。ある時、「よく考えたらアイツ最近来てくれてないな」と思った人がおり、「どうしてだろう?」と考えたところ、前回にお見舞いに来てくれた時に、自分がイライラしていてヘンなことを言ってしまった覚えがありました。自分が逆の立場だったら「もうお見舞いに行きたくないだろうな」と気付きました。

それからはイライラしていてもお見舞い客の前では、「なるべく笑いたいな」と思うようになりました。

1人になると考え込んでしまう日も多かったですが、誰かが来てくれた時には無理して笑うようにしていました。楽しい話題をなるべくして、笑って帰ってもらうと、意外に私も楽しくなり、そういう時に来てくれた人は、頻繁にお見舞いに来てくれるようになりました。

もし私があのままずっとイライラを続けていたら、半年もしないうちに誰も来なくなってしまっていたと思います。その寂しさに耐えられるほど私は強くないので、笑っていることを選択しました。

1回しかない人生、人はいずれ死にますが、私は事故に遭ったものの、たまたま死なずに済みました。そういう意味では拾った命というか、死なずに済んでラッキーだったと思います。重度の後遺症が残って不幸だとは思いますが、逆に考えると、重度の後遺症が残っても死なずに済んだことは「最悪の結果ではなかったのだ」「生き残れてラッキーだったのだ」と思うようになりました。でも、そういう思いに行きつくまでには数ヵ月という長い時間がかかりました。

その時期は司法試験なんて考えたこともなかったですね。入院中は、「いかにリハビリを頑張って」「どう退院して」「どう復職するか」そんなことばかり考えていました。

sugawara
どんな質問にも快くお答えいただきました

Q : 退院後の生活は?

3年間の休職期間のうち、1年間は入院しており、退院してからは、社会生活に適応できるように自宅で介護を受けながら生活をしていました。入院中は基本的にベッドで寝ていればよかったのですが、自宅は病院と違った環境でなかなか大変でした。外出する際は車椅子に乗りますが、初めは30分も座っていられませんでした。自分が元気な時は、「車椅子って楽かな」と思っていましたが、身体が不自由になってみると意外と座っているだけで体力は消耗します。

この頃の目標は座位の保持でした。30分しか座っていられないとなると、復職はまずできません。それを、どうにか勤務時間中くらいは座っていられるように、座位の保持時間を延ばすリハビリをずっと続けました。

家族はみんなで私を支えてくれました。私の場合は、24時間介護が必要で、常に誰かいないと生きていけません。そのため、なにしろ家族にとって私の介護が大変でした。当時は介護疲れについて何も知らなかったので、家族介護でいいと思っていたのですが、私の介護によって家族が骨折したり入院したりして、どんどん体を壊してしまいました。

退院してから実家で暮らしていましたが、実家を出なければ「家族をつぶしてしまうかもしれない」と考え、介護のプロ(ヘルパーさん)に入ってもらわないと、生活を続けていけないと思ったので、1人暮らしを始めました。

1人暮らしと言っても私の場合は、ヘルパーさんが交代で常に居てくれます。常に他人と一緒に生活するということは、元気だった頃の私からすれば考えられませんでしたが、世の中には、24時間介護で1人暮らしをしている人は意外といます。

そんなことも退院した時は知らなかったのですが、障がい者団体やNPO団体に相談をして、どのようにして生きて行けばいいか色々な人に教えてもらいました。他にも「このような制度があるよ」と、情報も徐々にもらえるようになり、これらの制度を利用しながらどうにか生きていけるように算段をしたのですが、すぐには難しかったです。

そのため、実家を出てからも、しばらくは家族介護の時間が長かったです。ヘルパーさんがいる時間はヘルパーさんに任せますが、ヘルパーさんのいない時間は家族が通ってきてくれたため、家族にとってはなかなか負担が減りませんでした。そこで、徐々に家族介護を減らし、ヘルパー介護に移行していきました。

Q : 司法試験に合格するまでで困難だったことは?

まず、司法試験は、マークシートに正解の選択肢をマークしていく短答試験3科目と、2時間又は3時間で法律的問題のある事案を読み、それに対する回答としてA4用紙8枚分の論文を書き上げるという論文試験8科目を4日間かけて行う試験です。私は字が書けませんので、論文試験は音声認識ソフトを使って受験することとなります。

ロースクールには音声認識ソフトを使って受験できたため、司法試験も音声認識ソフトで受けられると勝手に思いこんでいました。それがある時、「司法試験は、音声認識ソフトじゃ受験できないよ。前例がないから」と言われました。

それを聞いて慌てて法務省に相談の電話をしました。「現在ロースクールの1年生で、3年後に司法試験を受験する予定です。音声認識ソフトで受験させてもらいたくて、3年間あれば準備ができると思うので今から相談に乗っていただけないでしょうか」とお願いしましたが、法務省の担当の方からは「そもそも試験に出願してからでないと相談に乗る制度がない」と言われてしまいました。

どの国家試験も出願をしてから受験方法についての相談をするというのがルールのようです。出願は試験の数ヵ月前頃からで、その時期は、普通の司法試験受験生は皆、結構ピリピリと根を詰めて勉強している時期です。そんな中、私は時間をかけて受験の交渉をしなければならず、万が一、音声認識ソフトが認められないことになると受験すらできなくなってしまいます。そんな不安定な状況では、これから3年間のロースクール生活でモチベーションが保てず、「魂を入れて勉強できないのは嫌だな」と思いました。一方で、出願してから相談を受けるのが通例とのことでしたので、担当の方のお立場も分りました。

どうにかして相談を受けてもらいたいと思い半年間、日夜悩みました。そうしたところ、司法試験委員会が行っている試験がもうひとつあることに気付いたのです。「司法試験予備試験」というものがありました。ロースクールに3年間通って卒業すると司法試験の受験資格が得られるのですが、予備試験の合格者はロースクールに通っていなくても司法試験を受験できます。

つまり、司法試験予備試験は、司法試験の受験資格をもらうための試験なのです。

私は、すでにロースクールに通っていたので予備試験を受験する必要はなかったのですが、この予備試験に出願すれば、司法試験委員会と受験の仕方について話し合うことができるかもしれないと考えました。

そうしてロースクール1年生の1月に予備試験に出願して、その年の5月までの約4か月間、司法試験委員会と交渉したのですが、どうしても音声認識ソフトは認めてもらえませんでした。仕方ないと思い、ロースクール2年生の5月に予備試験を音声認識ソフトなしで受けました。

一応、パソコンにスクリーンキーボードを表示してマウスなどで文字を入力するパソコン受験までは認めてもらい、隣に司法試験委員会が指定した介護者がいてくれる状態で、試験を受けました。でも音声認識ソフトが使えないので、字を書こうにもできません。一応マウスはすこし動かせるのでマウスで入力をしてみましたが、スピードが遅すぎて、問題を解くのに必要なメモを取ることができず、散々な結果で当然不合格でした。

この年は、私の実力もさることながら、問題文のメモを取ることができず、問題文を十分に検討して回答することができなかったため、不合格になったのではないかと考えました。このような経験を1回経た上で、翌年また予備試験に出願して、音声認識受験したい旨の相談を粘り強くしたところ、司法試験委員会がこれらの事情を考慮してくださり、予備試験で音声認識ソフトの使用を認めていただくことができました。

これが日本初の音声認識による受験となりました。

その後、ロースクールを卒業する時に司法試験へ出願し、音声認識ソフトでの受験を相談したところ、予備試験での音声認識受験の前例が考慮され、初回の受験で音声認識受験を認めてもらうことができました。ロースクールを卒業後すぐに日本初の音声認識受験を行い、その年に合格できましたので、日本初の音声認識合格者となれました。

Q : 菅原さん以降、音声認識ソフトで受験された方はいますか?

嬉しいことに、音声認識ソフトによる司法試験受験の実績ができたことで、私よりもっと重度の障がいを負った方が受験しようとしています。私はそういった方のアドバイスをさせていただくこともあり、お役に立てて本当に嬉しいです。

弁護士になってから、過去に様々な障がいをお持ちの方々が受験していたことを知りました。視覚や聴覚に障がいをお持ちでも、それぞれの受験方法で司法試験に挑んでいます。そういう方たちが脈々と進めてきたものを、私が一歩進め、後輩の方がまた一歩進めてゆく。きっとその先も進んでいくと思います。

Q : 諦めようと思ったことはないですか?

「無理かもしれない」と思ったことはあります。

ただ、私の哲学で、無理と言ったら無理なのです。無理と決めて、できない理由を自分で探しだすと、そこから先は努力をしなくなります。

できない理由はたくさんあるのですが、そこに1度逃げ込むと、私は弱いので「もう無理」「できない」と逃げてしまいます。そうすると努力できないし、魂も入らない。やらない理由を見つけて、それを盾にして「できないからやらない」ということもできるのですが、それはなるべくしないように、自分を律する努力をしています。

できない理由は簡単に見つかりますが、逆にどうしたらできるかを真剣に考えると意外に見つかります。私が予備試験を見つけられたように。

Q : 私たちが普段 助けになれることはありますか?

日本の多くの方々はとても親切だと思います。日本人は、基本的に他人を思いやる民族だと思います。障がいのある人の力になりたいと思ってくださる方も多いと思いますが、その方法をご存知ない方にとっては「どうしたらいいかわからない」というところがあるかなと感じています。

もし力になりたいというお気持ちを持ってくださるようでしたら、車椅子トイレや車椅子用駐車場、エレベーターなど、決められているスペースを空けておいていただけるだけで大変ありがたいです。エレベーターは行列になっていたりして、ホームに降りるまで10分以上かかることもあり、予定していた電車に乗れないことがしばしばあります。また、車椅子用トイレでは30分以上待つこともあったりします。

実際に困っている人がいて何かしてあげたいと思った時は「何かお力になれますか?」などと聞いてもらえるとうれしいです。知らないからこそ上手く気が遣えないと思いますし、知ってもらえる努力を我々もしたいと思います。

やはり「どうしたらいいですか?」と聞いてもらえるのが一番良いような気がします。

Q : 今後、取り組みたい活動はありますか?

私のように突然事故などで要介護になった方は、私と同じように絶望すると思います。そういう方たちのフルサポートをできないかと思っています。

弁護士は、例えば交通事故で要介護になってしまった人の損害賠償請求を受任します。ただ損害賠償の請求をするだけだと、障がいを負ってしまった人は、その後の生活のためにどのような設備を整えるべきかわからないので、せっかく受け取ったお金を上手く使えません。

だから私は、住宅をどう改修したら有意義か、車椅子用の車を買うにはどうしたらいいか、電動車椅子の選び方など、様々な場面でのアドバイスをしていきたいです。

例えば、車を選ぶ際、自分の体格や車椅子との合わせ方を間違えて選択してしまうと高価な車が無駄になってしまうこともあります。また、介護者の手配の仕方やヘルパーさんとの付き合い方など、先輩障がい者として、損害賠償だけではない、突然の事故などで要介護になってしまった方に必要な弁護活動をしたいと思っています。

私が弁護士になった価値は、「損害賠償だけやれば終わり」というわけではないような気がしています。要介護になって折れそうな心を「希望はあるから」と私の姿も見てもらい、なんとか楽しい生活を送ってもらえるようにサポートしたいと思っています。