はじめの一歩はミールプログラムで! 病児を抱える家族を、美味しい食事で支えたい。

医療者側もお母さんのケアが必要だという理解はあるのですが、手が回らないのが現実だと感じました。

一筋縄ではいかない、「妊娠・出産・育児」。

最近では、「妊活」をいつ始めるか、そしていつ終えるかに悩む女性がたくさんいます。

また、病児を抱え、自分の時間を全て、子どもに捧げている母親もいます。悩んで苦しんで、それでも強く生きる女子を応援したい!その思いが集まって、女子カラダ元気塾は生まれました。お仕事を持ちながら、NPO理事を務める光原さん。忙しい中でも頑張れるのは、小さな命が自分に使命を残していってくれたから。彼女の熱い思いと実践的な活動についてインタビューしました。

■女子カラダ元気塾とはどんな団体ですか。

広く女性を応援するための団体で、大きく二本柱を立てて活動しています。一つは、「妊娠」に関する部分で、妊娠に対して困難に直面する女性。子どもを授かりたいのに、なかなか授からない場合ですね。「不妊治療」という医療へ一歩踏み出すことに悩む方や、不妊治療をしていながらも授からない際に、どう卒業していくかを悩む方の支援です。

もう一方は、「育児」に関して困難を持つ女性。病児や、発達に課題を持つ子どもを持つお母さんの支援をしています。文字通り「一筋縄でいかない妊娠・出産・育児」に悩んで苦しんでいる女性を応援していくこと、それが私たちのNPOの意義です。

■光原さんご自身の出産はいかがでしたか。

~普通のお母さんができることが何でできないのだろう。~

私は35歳で一人目を出産しました。会社にはすぐ復帰する気満々でいたので、引継すらしていなかったんですよ。そんな中、赤ちゃんは生まれたその日に病気がわかりNICUへ運ばれました。まさか自分の子どもが病気を持って生まれてくるなんて想定すらしていませんでした。38歳の時に二人目を授かったのですが、その子はお腹にいるときに難しい病気であることが告げられ、もちろん出産は楽しみでしたが、生まれてから困難が待ち受けていることが目に見えていました。

一人目も二人目も、「赤ちゃんを抱っこして笑顔で退院する」ということができなかったんです。2回とも私は1人で退院し、毎日搾乳を病院に届ける日々が始まりました。何で、私には普通のお母さんが普通にしていることができないのだろうと思いました。

でも二人目がお腹にいるときに、「私がこんな経験をするのには何か意味があるんだろう。」と薄々、何か使命を感じました。

二人目の子は、障がいが残る可能性があり、自分が今まで通りバリバリ働けないかもしれないと覚悟していました。仕事は辞めて、子どもに寄り添って生きていこうと考えていました。

しかし、その子が一歳になるちょうど一か月前です。突然、急変して目の前で亡くなったのです。

障がいを持って生きていくことは覚悟していましたが、まさかいなくなるなんて思ってももいなかった。あたりまえに想像していた未来が一瞬にして無くなる、目の前が真っ暗で、絶望以外の何物でもなかったです。長女がいなければ、この世界にとどまる意味が見つけられませんでした。

毎日、朝から晩まで泣いているだけ。育児休暇も子どもがいなくなると同時に終了し、職場復帰しましたが、往復の道すがら涙が止まりませんでした。

娘が生まれてきた意味はなんだったんだろうと考える日々が続き、私のところに生まれなければ、もっと長生きできたのかもと考えては泣きました。

ある時、ママ友が薦めてくれた一冊の本に出会い、「子どもは親を選んできた。」という一つの答えに出会いました。子どもたちは自分の病気を受け入れた上で、私を選んでくれたのだという考えは、私を救ってくれました。彼女たちが私を選んでくれたのだとしたら、その思いに応えないといけない。特に二人目の子はこの世に一年程しか存在できなかったわけですから、彼女がいたことで、知ったことや考えたことを私はカタチにしなくてはいけない、それが、彼女が私のところにきてくれた意味を作ることになるのではないかと思い始めました。

■その経験から女子カラダ元気塾が生まれたのですね。

そこで、娘達に付き添った日々の経験から、小児病棟でのお母さんのケア、サポートを改善していこうと決めました。これが、私が最も実現したい軸です。

私が子どもに付き添っていた日々を見ていた仲間が理解してくれて、まずは器をつくろうと、2014年11月にNPO法人「女子カラダ元気塾」を設立しました。

■光原さんが見た、病児を育てるお母さんの現状とは。

~すべては子どものため。自分の生活は二の次~

第一子は生まれてから半年間入院し、私も一緒に病院で過ごしました。この期間に病児を持つ母親の存在やその生活環境について知ることになったのです。言葉で訴えられない子どもにとって、お母さんの存在はお医者さんとの重要な「つなぎ役」なんです。24時間気を張って、子どもの表情や、ちょっとした変化を観察して、体温を測り、ミルク作りやおむつ交換、それらの記録まで。まさに目が離せない毎日。自分のご飯なんて子どもがちょっと寝た隙にコンビニに買いに走る感じです。

もちろん、「病気」である子どもには手厚い治療が提供されますが、これだけクタクタになっているお母さんは「病気ではない」ので、医療の対象ではありません。サポート体制は病院によって異なります。

多くの病院でご飯は出ないし、ベッドはもちろん簡易ベッド、シャワールームがない病院もあります。

医療者側もお母さんのケアが必要だという理解はあるのですが、手が回らないのが現実だと感じました。

反面、保育士さんがいて、シャワーを浴びる間に子どもを見てくれる病院もあり、とても助かりました。全国の小児病棟にて子どもを看護するお母さんが、体を壊すことなく、看護に集中できる環境を作りたい。それが、私の思いです。

■メイン事業である、ミールプログラムの内容を詳しく教えてください。

病児を持つご家族に料理を作ってあげるボランティア活動です。きっかけは、

私が、娘が遠方の病院で入院した際に、ファミリーハウス(子どもの治療・入院に付き添う家族のための滞在施設)の存在を知ったことです。一泊1000円くらいの場合が多く、本当に有り難い存在でした。キッチンがあり、自炊が基本です。しかし、朝から晩まで看病してクタクタになって帰り、料理をする体力や気力なんて無いのが現実ですよね。

ある時、マクドナルド・ハウスというファミリーハウスを見学する機会を得ました。そこで、子どもが入院中のために、ハウスに滞在している両親にご飯を作るボランティアがあることを知ったのです。かつての当事者として「帰宅したらご飯が待ってるなんて幸せ!」「この活動ならすぐ始められる!」と思い、早速自分たちの団体で事業として始めました。

開始してから1年以上経ちました。月1~2回の実施で、学校の休みの期間には中高生も参加できる場を作っています。私達の活動に共感下さったシェフがオリジナルレシピの作成と、当日の調理指導をするというミールプログラムは毎月。ニューヨークのミシュラン三ツ星を獲得した六本木のフレンチレストランで料理長という身にも関わらず毎月マイ包丁と共に来てくださるんです。ボランティア参加者のリピート意向は100パーセントです。参加頂いた調理スタッフはみんな、召し上がったご家族からのメッセージカードを見て、本当に参加してよかったとおっしゃいます。あれを読むと実施回数をもっと増やしたいと強く思いますね。

■NPO法人の設立にあたり障害や苦労はありましたか。

~平日の日中に時間を作るのは大変!~

資金節約のため、自分たちの力で設立準備をし、何度も都庁へ通いました。私も含めて、理事のメンバーはみんな仕事を持っていて兼業として活動しているので、「平日に時間をとること」が一番困難でした。

あと、活動を維持していくための資金集めが大変ですね。私たちの活動は、「サービスを受ける人がお金を払う」モデルではなく、ご家族には無料で夕食を提供しているので、食材費などのお金は違うところから集めなくてはなりません。

例えば、年に数回開催する映画の上映会での収益や、年会費3000円の会費収入から食材費を得るというかたちで何とかやりくりしています。個人や法人へ向けて、私たちが「やりたい事」を伝え賛同してもらい、お金としての支援を得ることが大きなハードルになっていますね。世の中には病児を持つ家族の支援に興味をお持ちの方もたくさんいますが、そんな方々へご説明に行く時間を取れないことも課題と感じています平日本業を持つメンバーの集まりであるため、スピード感が一番の課題ですが、時間は作るもの。頑張って前進したいと思います。

■実際にはどんな支援が届いていますか。

例えば、ミールプログラムの食材に、とお肉を寄付してくださる企業があります。ミールプログラムスタッフの知り合いの社長さんが、私たちの活動の意義を評価下さり、豚肉を寄付くださるんです。ミールプログラムでは50名分を調理するので、毎回の食材費はかなりなもの。食材の支援は本当に有り難いです。他にも、調理道具屋さんが、鍋や包丁をたくさんご寄付くださっています。こんな支援は本当に大歓迎です!

■仕事と子育てを両立する女性たちについてどう考えますか。

~働いている、それだけで、必ず役に立っている。~

ほとんどの働くお母さんたちは子どもに対して罪悪感を感じたことがあると思います。

子どもが元気な時はいいのですが、風邪をひいて熱が少しあったりして、ギリギ預かってくれる状態で保育園に預けて出社するとき、「子どもを犠牲にして私が働いている意味ってあるのかなあ。」と感じる場面はどのお母さんにもあると思います。ちょっと無理させた結果、入院してしまった、なんてことになったらなおさらです。

でも、仕事をしてお給料をもらっている時点で、絶対に誰かの役に立っています。

自分が仕事をすることで、誰かの役に立っている、社会の役に立っていると確信してほしいですね。そんなお母さんのことを、きっと子どもも誇りに思ってくれるはず。

特に、生まれてきた子どもに病気があると知ったとき、お母さんは100%自分を責めると思います「何で健康に生んであげられなかったんだろう。」と。

健常児でも病児でも、子育てしながらも社会とつながっていたいなと思っているお母さんはたくさんいると思います。そんな方々をサポートしたいと日々思いますね。

■光原さんご自身の今後の目標は何ですか。

日本全国の小児病棟で付き添い入院しているご家族の環境をよりよくするお手伝いがしたいと思っています。病院によっては保育士さんが常駐していたり、有料ですが食事が出る施設もあります。しかし、「付き添う家族の環境改善」に議論がフォーカスされることがないのが現状です。そんな医療の隙間に落ちている課題を埋めるための働きをしたいです。まだ具体案があるわけではないので、同じ問題意識を持つ人と一緒に練っていきたいです。

■女性支援に興味を持つ後輩へのアドバイスをお願いします。

私は、どんな形でも、必ずだれかの役に立つやり方があると思うんです。

例えば、お料理が好きな人ならば、私たちのミールプログラムに参加すると、施設に滞在する何十人ものご家族に喜んでいただけます。

自分が主体となって何かを始めることはもちろん大事ですが、みんながリーダーになりたいわけでもないですよね。まずは、自分が共感する活動に参加してみることが第一歩だと思います。そこで、自分にもできることが見えてきますし。まずは、小さくていいので、一歩を踏み出すことをおすすめします!

(聞き手:日本政策学校事務局 須藤やや)

★プロフィール★

光原ゆき(みつはら・ゆき)

日本政策学校7期生。

1974年1月生まれ。株式会社リクルートに入社後、仕事一色の日々を過ごす。35歳で第一子を出産。39歳で出産した第二子は難病があったため、病児を持つ家族の生活環境を身をもって経験する。そこで、一筋縄ではいかない、出産・妊娠・育児に悩む女性を応援するため、2014年にNPO法人「女子カラダ元気塾」を設立し代表理事を務める。現在もNPO理事と並行して株式会社リクルートライフスタイルの人事部に勤務し、ダイバーシティ推進等を担当している。

■女子カラダ元気塾ホームページ

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