日本はなぜ変われないのか 新刊『日本の起源』の序文

本書は、いま私たちが生きている時代の起源を探して、「邪馬台国から(第二次)安倍内閣まで」の日本史を、東島誠先生と語り合った対話の記録です。いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないんだろう。そんな問いを一度、歴史学の知見から徹底的に掘り下げてみるために、古代から戦後までを六つの時期に区分して、時代順にたどる構成としました。

8月29日発売の新刊『日本の起源』(東島誠氏と共著)の「まえがき」を公開します。9月12日(木)の刊行記念イベントはこちら、9月18日(水)の関連講座はこちらから。

久しぶりに、学生に戻ったような気持ちになりました。

本書は、いま私たちが生きている時代の起源を探して、「邪馬台国から(第二次)安倍内閣まで」の日本史を、東島誠先生と語り合った対話の記録です。いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないんだろう。そんな問いを一度、歴史学の知見から徹底的に掘り下げてみるために、古代から戦後までを六つの時期に区分して、時代順にたどる構成としました。両名の著作になじみのない方でも平易に読めるよう、学術的な事項や概念には語釈を振り、また本文で言及できなかった参考文献については、巻末に注としてまとめてあります。

しばしば誤解されがちなのですが、歴史研究者とは単に過ぎ去った時代を骨董品のように修復し、愛でていればよいという仕事ではありません。むしろ細くあえかにではあっても、今日のわれわれへと確かに続いている過去からの糸を織り直すことで、〈現在〉というものの絵柄自体を艶やかに変えてみせることにこそ、その本領がある。本書は、粗っぽい力技で「中国化」なる雑駁な模様を編み出すのが精いっぱいの駆け出し職人である私が、「江湖」というひとすじの糸から数々の繊細なイメージを織り上げてきた東島さんに弟子入りして、いっしょに2000年分の日本史を仕立て直した過程の記録です。

「道場」へ入門にうかがったのは、あの暑(熱)かった2012年の8月。みなさんももうお忘れかもしれませんが、そのころはまだ民主党という政党が政権の座にあり、反原発デモが毎週万単位と言われる人数を官邸前に動員して、総理大臣とも面会したことがニュースになっていました。過去から続く糸すべてをばさりと断ち切って、日本という国の絵柄を丸ごと変えるんだという期待が、最後の輝きを放った瞬間でしょうか。いっぽう、野党だった自民党は当時、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加を模索する政府与党を「国益を損ねる」ものだと強く批判、尖閣・竹島で火を噴いた領土問題とあわせて、「弱腰外交」に激高する世論のボルテージもまた、日増しに高まっていた時期でした。

かように緊迫した季節に卑弥呼まで遡って、丸二日間も日本の歴史を「先生に質問」していたのだから、職業病とは恐ろしいものですが、たいへんなのはそのあとでした。起こしたテープに手を入れる過程で、つたない発言をしていると東島さんの厳しい指摘がつぎつぎ入る。先生から真っ赤に朱を入れてレポートを返された学生よろしく、出された「宿題」に答えようとしているうちに、あれよあれよと年も、政権も、時代の空気も変わってゆきました。いまやにわかにひもときがたい〈歴史〉が、もういちど私たちの目の前に姿を現している。そんな折だからこそ、この対話をまさしく「江湖に問う」意義を感じています。

〈現在〉のもりあがりだけで日本の未来を大きく変えられるという、ここ数年来の夢は、「政権を変えれば変わる」「原発を止めれば変わる」あたりからすり減りはじめて、「憲法を変えれば変わる」くらいで打ち止めになりそうです。むしろ遠い過去から今日へと続く、細いながらも強靭な一本一本の糸のはじまりを見極め、その絡まり合いを解きほぐしてゆくことでしか、この社会の図柄は変わらない。だけどくじけることはないよ、それが有史以来、われわれの先人たちが繰り返してきたことなのだから――。

そんなメッセージを添えて、あの夏の片隅でひっそりと開かれていた歴史学の教室に、みなさんをご招待させていただきます。道場を開設してくださった太田出版の落合美砂さん、宿題の提出を辛抱強く待ってくださった同社の柴山浩紀さん、何より一貫して鋭くも優しい師範役を務めてくださった東島先生に、厚く御礼申し上げます。

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