経済も人生も感情次第――『キャリー』―宿輪純一のシネマ経済学(17)

本作は76年の『キャリー』のリメイクというか、再映画化されたもので、基本的なストーリーはほぼと同じである。もちろん、携帯電話やSNSなど現代に環境を変えているが、その分、いじめも陰湿になった。

『キャリー』(原題:Carrie)2013年(米)

筆者は中学入学あたりから映画少年になったのであるが、その初期に見たのが、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(76年)であった。よく出来ていて、もちろんヒットしていた。シシー・スペイセク、ナンシー・アレン、ウィリアム・カット 、ジョン・トラボルタなど若手俳優が巣立っていった(その頃、ホラー映画が若手俳優の登竜門だった)。ちなみにCarrieはCarolineの愛称である(昔、キャロライン洋子という芸能人がいたが...)

原作は、米国で最も人気があるホラー作家スティーヴン・キングである。彼は47年生まれの66歳。苦労しながら、ベストセラー作家になった方である。作品の中でも、『キャリー』に加え『シャイニング』、『IT/イット』、『ミザリー』、『グリーンマイル』、『セル』など映画化されヒットしたものも多い。

本作は76年の『キャリー』のリメイクというか、再映画化されたもので、基本的なストーリーはほぼと同じである。もちろん、携帯電話やSNSなど現代に環境を変えているが、その分、いじめも陰湿になった。

テレキネシス(念動力)を持つ悲惨なヒロイン:キャリーは『キック・アス』のクロエ・グレース・モレッツが熱演じている。彼女は、家でも、学校でも徹底的に虐められる。その家で彼女を虐める(DV)、狂信的な母親を演じるのが、名女優ジュリアン・ムーアである。監督は、『ボーイズ・ドント・クライ』(99年)の女性監督のキンバリー・ピアース。本作品は3作目に当たる。女性監督ならではの描きぶりがきつい。例えば「初潮は、母親が「初潮を迎えた女は、男を欲しているのだ」と糾弾し「神に許しを乞え!」と。

このような、狂信的クリスチャンの母親から厳しい教育というか虐めを受け、学校でも周囲から疎外されて苛められている女子高生キャリーは携帯(スマホ)も持たせてもらえず、学校と家を往復する日々を過ごしていた。

彼女は、感情が高ぶるとテレキネシスが使えた。それを誰にも打ち明けることはなかった。米国映画にはよく出てくるが、高校での最大のイベントがプロムパーティー(卒業パーティー)である(米国映画では一般的にバカ騒ぎが多く、大体トラブルが発生する)。そのプロムパーティに一緒に行かないか、と女子生徒の憧れの的のトミーがキャリーを誘ってくれる。人生最高の喜びに浸るキャリー。しかし、それはいじめっ子達が仕組んだ最高に残酷ないじめたったのである。

その後、抑圧された怒りや苦しみの感情がついに爆発し、テレキネシスを炸裂させ、学校、町、家も地獄となっていく。ネタバレになるのであまり言えないが、最後は76年の『キャリー』とはほんの少し違う。

経済学では、前提として人間は"合理的"な存在としている。しかし、実際は怒りや苦しみを始めとした"感情"によって行動する部分が多いのではないか。その部分に着目したのが「行動経済学」である。例えば、人間は合理的であれば、生活習慣病にはならないのである。人間は、ダイエットしなければならないのに、パンにバターをたっぷり塗ってしまったりする。ひどい二日酔いになっても、またお酒を飲んでしまう。ある意味、弱く、合理的ではない。

結局、国の経済も金融市場も一緒であり、借金がどんどん膨れ上がっていく。まさに、私だけは大丈夫と言ってしまう「生活習慣病」と一緒ではないか。感情を抑え、自己管理をしっかりして、常に自己改革をすすめるということができるかできないかということではないか。要は、問題に対して合理的に対応できるかということである。その部分では、理論ではなく、考え方というか、染み付いた性質(性分)次第ともいえるが。

経済でも、たまにキャリーのように様々な感情が"爆発"し、パニック状態となり、すべてを破壊するような金融危機も起こっているが。

「宿輪ゼミ」

経済学博士・エコノミスト・慶應義塾大学経済学部非常勤講師・映画評論家の宿輪先生が2006年から行っているボランティア公開講義。東京大学大学院の時、学生さんがもっと講義を聞きたいとして始めたもの。老若何女、どなたにも分かり易い講義は定評。まもなく8年目になり「日本経済新聞」や「アエラ」の記事にもなりました。「シネマ経済学」のコーナーも。

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