変化する社会と固定的な制度――『武士の献立』―宿輪純一のシネマ経済学(23)

最近「武士の○○」という時代劇の映画が松竹から続いている。この『武士の献立』の前に、リリースしたのが『武士の家計簿』(2010年)であった。この2本はともに加賀藩が舞台になっている。毛色が違うが『武士の一分(いちぶん)』(2006年)という映画も松竹からであった。

『武士の献立』(2013年日本)

最近「武士の○○」という時代劇の映画が松竹から続いている。この『武士の献立』の前に、リリースしたのが『武士の家計簿』(2010年)であった。この2本はともに加賀藩が舞台になっている。毛色が違うが『武士の一分(いちぶん)』(2006年)という映画も松竹からであった。

本作品は"献立"という名前からもわかるように、今回は料理人、いわゆる刀ではなく、同じ刃物でも包丁を仕事にした「包丁侍」のことである。時代は、いわゆる三大お家騒動の一つ、加賀騒動の辺り。春(上戸彩)は江戸浅草の料亭の娘ということもあり、優れた料理の才能を持っていた。もっとも勝ち気が災いし、1年で嫁ぎ先から離縁。加賀藩で料理方を務める舟木伝内(西田敏行)に料理の腕を見込まれ、彼女は伝内の息子安信(高良健吾)のもとへ嫁ぐ。しかし、包丁侍の家に生まれた跡取り息子の夫は、幼い時に周囲から「包丁侍」と揶揄されたことを嫌がり、剣術の腕を磨き、料理が大の苦手。上司からも身内からも叱られる姿を目の当たりにした春は、見るに見かねて汁物の味付けに手を加えるなどしてサポート。その後、夫も彼女の実力を知り、春と一緒に頑張り腕も少しずつ上達し、出世する。

そんな中、加賀騒動が始まる。春は安信が暗殺に加わることを阻止。安信は中心となって料理を振舞い、藩主から感謝の言葉ももらう。しかし、春が失踪してしまう・・・。まさに"年上良妻"的映画。どこか山本周五郎の匂いを感じるのは筆者だけであろうか。

実は筆者は料理も好きであり、料理学校にも通った。そういう面からすると突っ込みどころはあるが、殆どは素晴らしい。ちなみに、日本食で"最も"といっていいほど難しいのが、本作にも料理勝負で出てくる"刺身"。さらに他の料理についても、時代考証もしっかりして、金沢の料亭も協力したといわれる、立派な加賀百万石の料理(日本食)の数々に感激した。

本作の"主役"であるのが、日本食である。日本食の最も大事な食材というか、主食は「お米」である。個人的には、お米(ごはん)は大好きである。しかし、時代の流れとともに、世の中の嗜好も変わってきて、お米を好む人は減り、パンや麺を好む人が増えてきた。

筆者は学生の頃からお米の「減反政策」には素朴に疑問があった。全量を国が買い上げ、しかも減反分の収入を保証するという制度は、食料生産が不安定だった過去があるとはいえ、社会主義的なものを感じた。さらに、不思議だったのは、日本は食料不足で輸入に頼らなければならないのに、お米だけは減反政策で逆に政府が生産高を減らしているところであった。このやり方の管理では、競争原理もなく、改革・改善していこうという気にはならない。農業のこのやり方は、工業(製造業)でも通用するのであろうか。

このような経済的な"制度"は、かなり前に作られたものが多い。しかも、経済の前提が変わり、社会の変化が進んでいても、制度は固定化し残っていることが多い。さらに、経済的な制度とは、国の制度と、企業の制度の2つあると考えている。例えば、人口が増えていることを前提とした国の年金や社会保障制度、人の移動をしにくくする企業の退職金などなど上げていくとキリがない。社会が変わった時には、制度も変えていかればならない。制度や法律を変えるのは面倒くさい、しかも、国と企業の2つの面で考えることが必要である。企業のレベルにまで浸透させることが大事になのである。最近、第2次安倍内閣は、2018年で減反政策は終了させると発表した。

東京証券取引所の大納会のとき、安倍首相が「午(馬)年だからウマくいく、アベノミクスで来年も買い」とあっさりと言っていたが、そのような発言で大丈夫なのだろうか、と発言を見ていて、ふとそう思った。

宿輪ゼミ

経済学博士・エコノミスト・慶應義塾大学経済学部非常勤講師・映画評論家の宿輪先生が2006年4月から行っているボランティア公開講義。その始まりは東京大学大学院の学生さんがもっと講義を聞きたいとして始めたもの。どなたにも分かり易い講義は定評。「日本経済新聞」や「アエラ」の記事にも。まもなく150回を迎え、2014年4月で9年目になります。

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