それでも世界を無視できますか?4万5千人が一夜で殺された跡地から日本のあなたへ

あなたは、ブルンジという国の名前を、聞いたことはあるだろうか?

ウガンダの隣国、ルワンダへとやって来た。「アフリカのシンガポール」と例えられるほど経済成長著しいルワンダは、豊かな自然にも恵まれた美しい国だ。

しかし、1994年には100日間で80万人が虐殺される「ジェノサイド」が発生。世界史で習ったことがある人もきっと多いだろう。昨年に引き続き、私がこの国に来るのは2回目。ルワンダ虐殺の歴史を追った。

photo by Kanta Hara

フツ系政府とそれに同調する過激派フツの手によって、1994年4月~7月のわずか100日間に、少数派ツチと穏健派フツ約80万人が殺害された。

4月にフツ系大統領の乗った飛行機が何者かによって墜落させられて暗殺されたことをきっかけに、フツとツチとの抗争が激化し、虐殺は国全域へと発展した。

虐殺の直接の引き金になった飛行機撃墜は、最近では現ルワンダ大統領ポール・カガメ率いるルワンダ愛国戦線の仕業だったことが少しずつ明らかになりつつある。

カガメ率いる軍を背後で支援していたのは、アメリカ。カガメ側の人間たちは被害者面ばかりし、そして戦争の勝者は、いつの時代だって裁かれることはない。

photo by Kanta Hara

本来、フツとツチとの区別は曖昧で、身長や鼻の長さ、皮膚の色に多少の違いは見られるものの、その外見や文化、習慣などに差異を見出すことは難しい。

しかし、植民地時代にベルギーが「ツチの方がヨーロッパ人に近く優秀だ」という人種的差別観を持ち込み、両者が対立する原因が生まれた。

ベルギーは全ての首長をツチに独占させ、税・労役・教育などの面においてツチを優先し、1930年代にはフツ・ツチの身分を区別するためのIDカードまで導入した。

ベルギーは分断統治、つまり少数派であるツチを中間支配者層に、大多数のフツを更なる支配下に置き、植民地経営を円滑にした。このような統治形式を、ヨーロッパ諸国は植民地時代に濫用。独立後も、アフリカで紛争が続く一つの大きな要因になる。

しばしば誤解されることが多いが、ルワンダでの虐殺は94年だけではなく、それ以前にも起きている。

ベルギーからの独立以来、ルワンダではフツとツチの対立が長らく続き、1994年4月7日から始まった虐殺は最大規模に達した。虐殺はツチ系のルワンダ愛国戦線が同国を制圧するまで続いた。

そしてもう一つ忘れられていることがある。それは、フツ対ツチの構図で虐殺が最初に起こったのは、ルワンダの隣国ブルンジであるということだ。

1972年には20万人、88年には5万人のフツがツチ政権によって虐殺されている。映画の影響もあり、東アフリカ一帯で注目されるのはルワンダ虐殺ばかり。ブルンジでの虐殺は世界から忘れ去られ、未だ世界で最も貧しい国のままだ。

あなたは、ブルンジという国の名前を、聞いたことはあるだろうか?

ブルンジの首都ブジュンブラを見渡す景色(photo by Kanta Hara)

一夜にして4万5千人が虐殺された技術学校の跡地、ムランビ虐殺記念館を訪れた。ここは他の記念館とは違い、今でもミイラ化させた全身の遺体を当時の形のまま、展示している。

ここに足を運ぶのも昨年に引き続き2回目だが、展示室に足を踏み入れた瞬間、部屋に漂う異様な臭いと雰囲気に、一瞬後ずさりしてしまう。ここに漂う「死臭」に、私が慣れることはきっとない。

photo by Kanta Hara

4万5千人の虐殺。それが起きたのは、1994年4月21日、私が生まれる前日の事だった。

「丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる」という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、避難していたツチ人約4万5千人が、過激派民兵に殺害された。

一人は斧で、一人は鉈で、一人は手榴弾で、一人は銃で。夫が妻を殺し、妻が夫を殺した。隣人が隣人を殺した。「死んでいくのはアフリカの黒人」と、ルワンダに無関心の国際社会はただそれを傍観し、介入することはなかった。

この様相については映画『ホテルルワンダ』や『ルワンダの涙』を観てほしい。下の写真は、別の虐殺の跡地で撮影した犠牲者の衣服だ。こんなにも、小さな子どもが無慈悲に殺害された。

photo by Kanta Hara

建物の中には、犠牲者のミイラ化・白骨化した遺体が無造作に並べられていた。頭蓋骨の割れた遺体、赤子を抱いた母の遺体、手足の切断された遺体、叫ぶように口を開けた子どもの遺体。

部屋にはこれまで嗅いだ事の無い異様な臭いが漂い、遺体は触るととても冷たく、決して人の身体とは思えなかった。

photo by Kanta Hara

「世界から虐殺は無くなっていない。今この瞬間も、多くの人々が不条理な死に追いやられている」という私の問いに、当時を知る人は、「世界は何一つ学んでいない」と答える。

今日、虐殺の跡地では子ども達が元気に笑う。ルワンダ虐殺から23年の月日が流れ、世界はどれだけ変わっただろうか

photo by Kanta Hara

訪問者が残したコメントは、「Never Again」(二度と繰り返さない)ばかり。

南スーダン、コンゴ民東部、ソマリア、シリア、イエメン...先進国に生きる私たちは、テレビに映し出される世界の紛争や貧困を未だ「可哀想」の一言で片づけ、愛する家族や恋人とディナーを続けているのだろうか。

どれだけ恐ろしかっただろう。どれだけ悲しかっただろう。どれだけ悔しかっただろう。当時の状況を想像する事は出来ても、その奥底にある感情まで捉える事は難しい。

「世界は不条理だ。生まれた場所によって"命"の価値が変わってしまう」いつまで経っても変わらないこの世界の現実を前に、今私たちは何を考えるべきだろう。

あなたは、それでも世界を無視できますか?(終)

(2017年3月11日の原貫太ブログ『世界まるごと解体新書』より転載、一部修正・加筆)

紙版→こちら

kindle版→こちら

誰だって、一度は思ったことがあるだろう。今この瞬間にも、世界には紛争や貧困で苦しんでいる人がいるのはなぜなのだろうと。その人たちのために、自分にできることはなんだろうと。

僕は、世界を無視しない大人になりたい。 --本文より抜粋

ある日突然誘拐されて兵士になり、戦場に立たされてきたウガンダの元子ども兵たち。終わりの見えない紛争によって故郷を追われ、命からがら逃れてきた南スーダンの難民たち。

様々な葛藤を抱えながらも、"世界の不条理"に挑戦する22歳の大学生がアフリカで見た、「本当の」国際支援とは。アフリカで紛争が続く背景も分かりやすく解説。今を強く生きる勇気が湧いてくる、渾身のノンフィクション。

記事執筆者:原貫太

<関連記事>

注目記事