【対談】私にとって「伝える」とは―アジア・アフリカで活動する二人の現役大学生が語る(1/3)

「"繋がり"というものを考えれば、彼らは無視できない存在であり、(その問題は)自分たちの生活と無関係ではないということが伝わると考えています。」

アジアやアフリカの「途上国」と呼ばれる国々で活動していると、「紛争」「貧困」「子ども兵」「ストリートチルドレン」「児童労働」など、数え切れないほど多くの"世界の不条理"を目の当たりにする。そして、日本、それも恵まれた環境で育ってきた私だからこそ、そこと途上国との間にある気の遠くなるような「格差」を感じてしまう。

そして、私の目の前にはいつも、一つの大きな壁が立ちふさがる。

"世界の不条理"を、如何にして「伝える」のか-。

大学生という立場にありながらも、私はこれまでアジアやアフリカが抱える諸問題に携わる傍ら、自分が現地で目の当たりにした「現実」を日本の人々へ伝えようと、国内での講演や記事の執筆など様々な「伝える」活動に従事してきた。

認定NPO法人テラ・ルネッサンスの一員として、元子ども兵社会復帰プロジェクト(ウガンダ)や地雷撤去後の村落における開発プロジェクト(カンボジア)に携わってきた同じく大学生の延岡由規さんとの対談を通じ、この「伝える」こと、特にアジアやアフリカといった途上地域が抱える課題やそこで暮らす人々の現状を日本の人々へ「伝える」ことについて考えたい。

対談した原貫太(左)と延岡由規(右)(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

【プロフィール】

原貫太(はら かんた)

1994年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学部社会学コース4年。

大学1年時に参加したスタディーツアーで物乞いをする少女に出逢ったことをきっかけに、「国際協力」の世界へと踏み込む。2014年に学生NGOバングラデシュ国際協力隊を創設、第一期代表。

交換留学生として、カリフォルニア州立大学チコ校にて国際関係論を専攻。帰国後、赤十字国際委員会駐日事務所や認定NPO法人テラ・ルネッサンスでインターン生として活動。2017年1月~2月末ウガンダ&ブルンジで勤務予定。

ハフィントンポスト日本版ではブロガーを務め、自身の経験や意見、また国際ニュースの解説記事などこれまでに約70本の記事を寄稿している。

延岡由規(のぶおか ゆうき)

1993年兵庫県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部国際関係学科4年。

認定NPO法人テラ・ルネッサンスフェロー。小学3年生の時、道徳の授業で児童労働の話を聞き、世界の諸問題へと関心を抱く。大学2年生の時、テラ・ルネッサンス理事長である小川真吾氏の講演を聴いたことをきっかけに、2014年9月から同団体でインターンを開始。ウガンダ(2015年7月~12月)では元子ども兵の社会復帰プロジェクト、またカンボジア(2016年1月~4月)では地雷撤去後の村落における開発プロジェクトなどに携わる。

原)今回のテーマは「伝える」、特にアジアやアフリカといった途上地域が抱える課題やそこで暮らす人々の現状を日本の人々へ「伝える」ことについてですが、延岡さんが大学生の間に携わってきたこの「伝える」活動について教えてください。

延岡)私が、これまでの「伝える」という活動において大きくポイントをしぼっていたのは二つあって、一つ目が写真、二つ目が講演です。

一つ目の写真に関しては、元々写真が好きだったというのがありまして。なぜ写真が好きかというと、本当にシンプルな理由で、カメラを構えると不機嫌な顔をする人ってそういないんですよね。みんなが笑顔でこっちを向いてくれる。元々、自分は誰かの笑顔を見るのが好きな性格で、「カメラを持っているだけでその人の笑顔を引き出せるから、写真を撮る。」というのが、そもそものスタートです。

それを伝える手段として使うにあたって、「アフリカ・アジア=貧しい・生活が厳しい・かわいそう」というイメージが往々にしてあると思うのですが、それをぶち壊していきたいなというのが、自分の中にあります。アフリカの人々の「ありのまま」を一番見せられるのが写真、もしくは動画なんですよね。その中で、写真というのは自分が好きだったということもあり、そこには力を入れています。

(photo by Yuki Nobuoka)

二つ目の講演。これは、最近機会を頂くことが増えてきたのですが、やっぱり日本の人たちにとっては、アジアやアフリカは「想像の世界」でしかないんですよね。そこを、日本の人たちと、遠く離れた地球の裏側-アフリカやアジアの人たちの生活-といかに近づけるのか、いかに結びつけるか。これをやるには、「顔と顔を突き合わせて話す」というのが、自分の中では一番手ごたえがある。それを通して、問題についてもそうですし、解決策についても考えてもらいたいというのがあります。この二つをメインの柱でやってきました。

対談中の延岡由規さん(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

原)なるほど、ありがとうございます。一つ目の写真に関してですが、僕自身もこれまでアジアやアフリカで色々な写真を撮ってそれをSNSで発信したり、また記事にしたりといった活動をしてきました。延岡さんの言っている「ありのまま」を切り取るというのは僕も凄く共感できるのですが、「難しい問題や現状を伝える」時に―もちろん、その時も「ありのまま」を切り取ると思うのですが―、何か工夫していることはありますか?私自身「ありのまま」を切り取るというのは大事な事だと思いますが、そこには難しい問題や現状があって、それを如何にして写真1枚で伝えるのか、というのは凄く難しいことだと思います。だからこそ、難しい問題、もっと言えば"不条理"を伝えるために、工夫していることはありますか?

延岡)写真はコミュニケーションの一つの形であり、被写体が人であれ風景であれ、被写体とのコミュニケーションの一つの結晶であるというように考えています。その向かい合っている人や物と、いかに対話をするかというのが大事だと思っているので。その結果が、笑顔のケースが多いというのが感触なのですが、もしかしたら-まだ見たことはないのですが-、それが物凄く悲しい表情や悲しい様子というのが出るかもしれないですし、それがコミュニケーションの形なので。そのように考えているので、難しい問題を伝えようとして写真を撮ったことはあまりないですね。

テラ・ルネッサンスがウガンダ北部で運営する社会復帰支援施設にて職業技術訓練に励む元子ども兵ら(photo by Nobuoka Yuki)

原)今のお話を聞いて思い出したのですが、僕自身これまで学生NGOバングラデシュ国際協力隊のメンバーとしてバングラデシュで活動していた時、―今でもはっきりと覚えているのですが―、ポリオ(小児性まひ)を患っているにも関わらず、路上に寝かせられて物乞いをさせられている子どもや、腕や足が無くその部分を見せつけるように物乞いをしてくる男性などに出会いました。僕は、そういう人たちの現状も伝えるべきだと思い、「ありのまま」を切り取るために、彼らの写真も撮っていました。

物乞いをするポリオの男の子(photo by Kanta Hara)

ただ、その写真を撮る時―特にポリオの少年の写真を撮る時―、息を止めながら撮影したのを覚えていて。難しい現状を撮る時も、延岡さんは「コミュニケーション」という言葉をおっしゃいましたが、僕は本当に難しい問題や現状の写真を撮る時というのは、被写体とのコミュニケーションというのは今まで意識してこられなかったと、話を聞いていて感じました。だから僕は息を止めながらポリオの少年の写真を撮ってしまったと思うし、写真を撮った後すぐにそこから離れたいと思ってしまったのかな。そう感じます。うーん、「コミュニケーション」の大切さは理解できますが、難しいですね。

延岡)コミュニケーションは、話さずとも向こうが発しているものを如何に感じ取れるか。こっちが発信するのもそうですが、如何に受け取れるかというのも一種のコミュニケーションだと思います。

原)うーん、なるほど。言葉にはならない「コミュニケーション」というものを、写真を撮る時に大切にする。

延岡)その人は、その命を使って、何を人々に訴えかけたいのか。そのような所にどれだけ自分の気持ちを合わせていけるか、それが一枚の写真の形になって出てくるかなと思います。

原)なるほど、面白いですね。

対談中の様子(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

原)次に、二つ目の「講演」に関して延岡さんに聞きたいと思います。僕自身、バングラデシュやアフリカで見たこと、聞いたことを日本の大学生、アメリカに留学していた時はアメリカの大学生に講演を通して「伝える」活動をしてきました。先ほど延岡さんが言っていたように、日本やアメリカといった国でずっと暮らしている人にとっては、アジアやアフリカ、特に途上地域の現状というのは「想像の世界」や「テレビや新聞の向こうの世界」にしか感じられないのかなと、僕自身も思います。ただ、それ(アジアやアフリカの問題/そこで生活している人々)が、同じ地球という惑星の上で、同じ時間を共有している出来事/人々なんだということを伝えるために、僕自身は、―もちろん写真や動画などのツールも使いますが―「僕ら」と「彼ら」がどこでどう繋がっているのか、その"繋がり"というのを一つキーワードにして講演活動に取り組んできました。その"繋がり"というものを考えれば、彼らは無視できない存在であり、(その問題は)自分たちの生活と無関係ではないということが伝わると考えています。延岡さんも、聞き手に「想像の世界」で終わらせないために、同じ地球という惑星の上で同じ時間を共有する人々であることを伝えるために、何か意識していることはありますか?

延岡)まずは知ってもらうこと、問題を紹介すること。その背景を、より意識的に、わかりやすく説明するというのはやっています。その中で、グローバリズムが進んでいるこの世の中では、絶対に切っても切り離せない世界が地球の裏側にはあるので、そこで自分たちの消費行動などが、-巡り巡ってではあしますが-そのような問題を引き起こしている可能性があるということを知っていただく。これが、最初の一歩なのかなと思います。先ほど原さんも"繋がり"とおっしゃっていましたけど、これを繋げられるのは、まさに現場に行った人の役割だと思うので。やっぱり本やニュースだと、どうしてもその中での世界で完結してしまうので、一人の生身の人間が、実際に現地に行って肌で感じたことを、その人の言葉で話すというのはすごく重要で、その人の役目、現場に行った者の役目だと思います。

兵庫県ユニセフ協会主催の市民講座にて講演する延岡(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

原)そうですね。現地に足を運んだことのある人が、(日本と途上地域とを)仲介しているだけで、"距離感"というのは近づきますからね。例えば、延岡さんの友達が延岡さんの体験談を聞いたら、「自分の友達が途上世界の人々と繋がりを持っている」ことになり、"距離感"はグッと近づく。それ(仲介の役割を果たす事)は、現地に足を運んだ人の責任であり、現地に足を運んだ人だからこそ果たせる役割だと思います。その辺りを、対談の後半部分ではさらに掘り下げていきたいと考えています。

延岡)現場に行った私たちのような人を通して、入り口として、その「裏側』にいる人たちに想いを馳せる。最初の入り口として、自分たちが講演を通して紹介できたらなというのは、いつも意識しています。

原さんはこれまでハフィントンポスト日本版に70本もの記事を寄稿してきたと聞きました。原さんがハフィントンポストで記事を書こう(寄稿しよう)と決めたきっかけや想いは何だったのでしょうか?

原)その原点を端的に言えば、「伝える責任」を感じたからです。「伝えなければならない」という言葉の方が、相応しいかもしれません。

今年1月にアフリカへ一人で渡航し、テラ・ルネッサンスがウガンダ北部で運営する元子ども兵社会復帰施設で元少女兵の方へインタビューしたり、ルワンダ虐殺の跡地を巡ったり、HIV/AIDs孤児院にて幼い時に親を亡くした青年へインタビューをしたりなど、様々な"世界の不条理"に直面しました。

ウガンダに滞在していた時の原 (写真:原貫太)

これまでバングラデシュやフィリピンで活動し、同時に講演や報告書の作成を通じて伝える活動に従事してきました。ただ、今回アフリカで改めて様々な"世界の不条理"を痛感し、「苦しみはそれを見た者に責任を負わせる」といった言葉もあるように、自分が見た、聞いた、感じた「苦しみ」というのを、より多くの人に伝えなければならない、その責任が僕にはあると直感的に思いました。その時に、当初は「アフリカ渡航報告書」なるものを製作し、大学の教授や仲の良い友人たちに見せようと思っていただけでしたが、伝えるためのツールとしてより便利で、より多くの人にアプローチしやすいブログに手を出そうと決めました。この時はまだハフポストに寄稿しようなどとは思っておらず、あくまで個人的なブログでした。

対談中の原(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

「自分には伝える責任がある」と直感的に思ったのだから、改めて「伝える」という事が何を意味するのか、自分で考えました。そして、自分なりに出た結論が、「僕にとってここでの『伝える』という行為は、"世界の不条理"に抗い、それを正していくための必要最低限の行為だ」ということです。

というのも、僕が良く口にしている「"世界の不条理"に挑戦する」という時の"世界の不条理"は、決して途上国の現状だけに言及したものではありません。日本やアメリカ、特に僕は恵まれた環境で育ってきからこそ、そこ(自分の環境)と途上国との間にある「格差」を感じてしまう。

僕が良く使う例として、お洒落なカフェで友人たちとの会話を楽しみながら、自分の好きな分だけ食べる日本の大学生がいる一方で、その日食べるものを得るために、朝から晩まで駅で荷物運びの仕事に汗を流すバングラデシュの少年がいる。水泳とピアノを習いながら塾にも通い、クリスマスには親からゲームを買ってもらう日本の小学生がいる一方で、銃を持たされ戦場で人殺しに従事するウガンダの少年兵がいる。

子ども兵(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

この気の遠くなるような「格差」もまた、僕の言う"'世界'の不条理"です。その両者を、―先ほどの話の中でも「現場へ足を運ぶ人間の責任」という言葉が出ていましたが―肉体的にも精神的にも行き来する僕だからこそ、「伝える」という行為は、この「格差」によって隔たれた両者を繋ぐための必要最低限の行為だと感じます。この「伝える」という行為が不十分であるならば、もっと言えばこの「繋がり」が不十分であるならば、僕はその両者にまたがって生きているからこそ、その「格差」に更なる絶望をしてしまう。自分がその信念として「"世界の不条理"に挑戦する」というのを掲げているのであれば、僕はそれに恥じない生き方をしたい。どんなに小さな行為であっても、それが「"世界の不条理"に挑戦する」ことに繋がるのなら、それを実行したい。そのように改めて決意しました。

同時に、「自分の考えや経験を整理し、それに対し受け手からのフィードバックをもらうことで、より多様な価値観と広い見識を育む」「一人でも多く、特に同世代の人々に国際協力や世界に関心を持ってほしい」という元々からあった想いも合わさって、「ハフィントンポストという大きな媒体を通じて、『伝える』活動に従事しよう」と決意しました。月間利用者数が1,500万人を超えるほど大きなメディアであるハフィントンポストであれば、この「伝える」という行為も決して自己満足にはならないし、社会に何かしらの影響を与えることも出来るだろうと考え、ハフィントンポストに寄稿しようと決めました。

【対談】私にとって「伝える」とは――アジア・アフリカで活動する二人の現役大学生(2/3)へ続く

(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

記事執筆者:原貫太

1994年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学部社会学コース4年。認定NPO法人テラ・ルネッサンスインターン生。

大学1年時に参加したスタディーツアーで物乞いをする少女に出逢ったことをきっかけに、「国際協力」の世界へと踏み込む。2014年に学生NGOバングラデシュ国際協力隊を創設、第一期代表。国内での講演多数。

交換留学生として、カリフォルニア州立大学チコ校にて国際関係論を専攻。帰国後、赤十字国際委員会駐日事務所や認定NPO法人テラ・ルネッサンスでインターン生として活動。政治解説メディアPlatnewsでは国際ニュースの解説ライターを務める。

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記事執筆者である原貫太(早稲田大学4年)は、これまで自分がアジアやアフリカの途上地域で見た事、聞いた事、そして感じた事を、大学生という立場を活かしながら、日本の人々、特にこれからの社会を担う同世代の仲間たちに伝えるべく、国内で積極的に講演活動を行ってきました。

これまで早稲田大学や神奈川県の中学校・高校などを始め、多くの方から高い評価を頂いています。"平和"に関する講演会を開催し、世界の諸問題を共に考え、そして共にアクションを起こしてみませんか?

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神奈川県内の中学校で3年生約280名を対象に行った講演会の様子(写真:原貫太)

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