その知識、本当に正しいですか?

一度蓋をした過去をこじ開けて、改めて向かい合って、事実を事実としてただ受け止められるようになるのは、想像以上に大変なことでした。

Here's my «me too» story about Araki . Sorry that is only in Japanese. I hope some of your friends can help you read it or maybe you don't need to read it you already understand something... In the end, finally i got his answer. I do now realize what he was thinking regarding us and his "art" 📸 All i can do now is to accept the situation as it happened and let it go🕊If Art can bring shivers to people, maybe my story can also be a part of his art? I don't want to accuse him, I am just disappointed with this photo-mad old man🤭🤭🤭

Life must go on... 🦄🌈⛅️🌸🌞 KaoRi. (From my instagram)

ちょっと前に、現在NYのセックス美術館で開催されているアラーキーの展覧会が、SNS上で話題になっていて、言いたいこといっぱいあったけれど、自分にとって大切なことだけに時間が必要で、すっかり出遅れてしまいました。

一度蓋をした過去をこじ開けて、改めて向かい合って、事実を事実としてただ受け止められるようになるのは、想像以上に大変なことでした。怒りがあるからといって、全てを否定したいわけじゃないし、あなたのせいで人生がめちゃくちゃになったと大声あげて言いたいわけじゃない。

どうしてこうなったのか、お互いに相手の気持ちを知って、わかりあって終わらせたかったのです。

結果、わかりあえない人だと気付いて終わったわけだけれど、気持ちの整理はついたかな。

KaoRi

今やマリオ・テスティノ(この件についてはまた後日)やテリー・リチャードソン、キム・ギドクやラス・ファン・トリアー、ウッディ・アレン、タランティーノまでもが告発されているこの時代のアラーキーの展覧会に、海外のジャーナリストたちも興味津々、写真家とモデルの関係についても興味を持たれたようで「日本では詩織さんのように声をあげるとバッシングを受けるから、言えないだけなんじゃないか・・・」というお気遣いもありました。

私について「現在のパートナーであり、ミューズ」と書いた記事もありました。曖昧にされたまま、勘違いされ続けるのは辛いので、とってもとっても怖いけれど、自分の言葉で綴ろうと思いました。

でも、写真ファンの皆さんの夢を壊してしまったら、ごめんなさい。信じる信じないに関わらず、me tooも関係なく、彼の作品鑑賞の一つの視点にしてもらえたらそれでもう十分なのです。

それがそこでの自分の役割だったのだと納得することができます。

ちょっと長い話になります。世界的なアーティストたちが「You're my hero !」と言って日々会いにくる芸術家と一緒にいることだけが日常だった頃の話です。

KaoRi

わたしは2001年から2016年まで荒木氏のモデルを務めていました。その間、私たちの関係は、完全に写真家とモデルで、恋人関係ではありませんでした。

家に行ったこともなく、彼の私生活を壊そうとしたこともありません。上の写真は、はじめて撮影された日のもの。さすがに初回は気を使ってくれたのか、ヌードではありませんでした。

ダンサーとしてやっていきたいと留学してまで学んだけれど、ダンスカンパニーで踊るのは全然違うかも。と気付いてパリと東京を行ったり来たり。自分だけの表現を見つけたくてぐるぐるしていた若き日の一枚です。

今はなき、明治屋の裏にあった六本木のスタジオにて。それからは、スタジオではダンスやヌードや着物姿で、一緒にいるときには、ご飯を食べたり寝たりお風呂に入ったり絵を描いたり、、、どんな瞬間も逃さず撮られるようになりました。

KaoRi

当初、私は撮られるだけで、それがどのように使われて行くかは一切知らされていませんでした。それまで海外で一緒に活動したフォトグラファーたちは毎回、撮影同意書があり、後日撮影したものを見せてくれて何枚かのプリントをくれたり、出版する場合にもその度ごとに同意書や内容確認が求められていました。

ロイヤリティーに関して記載があるものもありました。初めてヌードになった時、メイクさんに確認をすると「荒木さんはそういうのないなぁ」「日本ではそれが普通」と言われ、アラーキーほどの人なのだから悪いことはされないだろうと思っていました。

今なら、それほどの人に契約書がないのはおかしいと思えるのだけど、まだまだ若く甘すぎた。それで、どんどん仲が深まって、言い出せない関係にまで発展してしまったのが最大の過ちでした。忖度して自分を犠牲にし過ぎてしまった。

KaoRi

数人いるお気に入りモデルの中のひとりだった頃から数年が経ち、いつの間にかミューズと呼ばれるようになり、個展のオープニングや取材、公の場などにも同行するようになり、時間的な拘束も増えていきました。

撮った写真は、事前の報告もなく、いつの間にか私の名前をタイトルにした写真集やDVDにもなり出版され、世界中で展示販売されてゆきました。ライブシューティングと称してダンスパフォーマンスもたくさんしました。

撮影は、報酬を得ていたこともありましたが、パフォーマンスなど、無報酬のことも多々ありました。撮影が終わった後に手渡しされるおこずかいのような報酬以外にはどれだけ時間を拘束されても、私の名前で写真集が出版されても何もなく、自分の生活は全く違うところで稼がなければなりませんでした。

とても大変でした。それでも、アーティストがお金の話をするのは恥ずかしい。それを乗り越えてこそいい表現ができる。と言われ何も言い出せなくなり、彼の持論「私写真」「写真は関係性」「LOVE」「ミューズ」を信じて私なりに理解して、貢献しているつもりで飲み込むようになってしまいました。

KaoRi

その陰で、やっぱり私はどんどん疲れていきました。今振り返ると全てが過剰で過激でした。何かが麻痺していたとしか、思えないほど、普通ではないことを求められ、それをこなすことが当たり前になっていきました。

アラーキーのミューズでいることと日常生活を両立させるのは、ギャップが大きくて、自分を隠して、隠れるように生きる毎日は今振り返ればとても不健康なことでした。

自分の作品イメージのために、というか、お調子者の性格だからか、ノリで大げさな作り話を雑誌の取材やテレビでされたり、勝手に次々と写真集、DVDなどの商品が作られ売られ、事前の相談もなく「KaoRi Sex Diary」というタイトルをつけられたり、たくさんの人がいる前でわざと過激なポーズをとらせて、自分の手柄にするような言動をされたり、撮影と聞いてスタジオに行くと、自分のプロモーションのための取材撮影で、勝手に部外者を入れてヌード撮影を強いられたことも何度もありました。拒否しても「KaoRiを撮ってるんじゃない、俺を撮りに来たんだ」と言われ、やらざるを得ない状況に追い込まれました。

それ以外にも、周囲からの嫌がらせや日常的なストーカー行為、インターネット上に勝手に挙げられる映像などを見て信じた周囲からの視線など、常に心を痛めていました。あまりのストレスに、街中や飛行機の中で意識を失って倒れたことや、目を閉じたら殺されているかもしれないと身の危険を感じた日も少なくありませんでした。

その度に改善を求めましたが「知らない」「忘れた」「言ってない」「俺は関係ない」「編集者が勝手に書いた」「携帯もパソコンもないから知らない。見るのが悪い。気にするのが悪い。」と逃げられて、壊れた私生活と一人ぼっちで向かい合わねばなりませんでした。昔、奥様にして許されていたことを、責任も取るつもりもない私に押し付けられているようにも感じていました。

KaoRi

時とともに、外にはいい顔をして、身内には一切気を遣わないという彼の本性が見えてきて、彼自身が公言しているように、ただ写真を撮れればいいだけで、その対象には実はなんの興味もなく、写真自体が本当に「FAKE」なのかなと実感を持ってうっすら気付いたのは、本当に、かなり時間が経ってからのことでした。

もう離れたいという思いと、発言権がないのだから離れても状況は改善されるはずがないという思いに挟まれて、最後までミューズを務めるしかないんだと思い込みました。

一方で、一度信じた人を最後まで信じてみたいという気持ちもありました。病気になってどんどん変わっていく彼に対して、複雑な情も抱いていたからかもしれません。

「ミステリアスで、なんでもする女」というようなイメージを公に晒されたことによって、日常生活は長い間、ストーカー被害に悩まされていました。つきまといや家宅侵入されて写真集を盗まれたり、ゴミを漁られたり、消印のない奇妙なハガキがポストに入れられていたことも、一度ではありませんでした。

そのせいでセキュリティの高い家に引越さねばならなくなった時も「俺のせいなの?何かの間違いじゃないの?なんで鍵がないのに家に入れるの?」と信じてもらえず、ほんの少しのお金を渡されただけで、警察にも行けなかったので、高額な探偵依頼費用や家賃なども全て自分で負担しないといけませんでした。

精神的、金銭的負担は年を重ねるごとにどんどん増え、心身的にも影響が出始めて、そのうちに大きな病気になるんじゃないかと怯えていました。

KaoRi

もうこれ以上この生活を続けてはいけないと、周りにどう思われてもいいから、せめて私生活では「ミステリアスな自分」でいるのはやめようと思い、あっちの世界とは全く切り離した日常を作ろうと思いました。

でも軌道に乗ってくると、再び彼の身勝手な行動に生活を壊されていきました。「俺の女」「ミューズがいるから死ねない」と自分にとってあたかも大切な存在のように使われる時もあれば、「娼婦」「マンションは買う必要のないレベルの女」「私生活は一切知らない」と都合に合わせて表現されました。

「NHKだからヌードは出せない」と私服の水色のワンピースを用意するように言われ安心して臨んだ撮影も、結局は「NHKでおっぱい出るといいなー」という言動とともに胸を晒された瞬間が編集され、私の経歴と共に放送されました。

全国放送の影響力はいつもとても大きいものでした。有名芸術家ならなにをしても武勇伝になって正当化されるというメディアの判断にも不信感を募らせていきました。

彼はその長い経歴、特に奥様を撮影し続けた経験から、年齢を重ねる中で生じる女性の心情の変化「もう撮られたくない。これ以上公に晒されたくない。」という気持ちを知っていたはずです。でも、自分の名前と行動がどのくらい世間的に影響力のあることで、どのように私を傷つけているかということには一切聞く耳を持とうとはせず、モノのように扱い続け、行動を改めようとすることはありませんでした。

KaoRi

2016年の2月に我慢の限界がきて、はっきりと環境の改善を求める手紙を送ると「連絡すっから」という電話がきただけで、数ヶ月放置されました。

ある時からは私から電話をすることも許されていなかったので、時間をあけて電話をすると、一度は会う気になってくれたものの、逆ギレされ「有限会社アラーキーに対する名誉毀損と営業妨害に当たる行動を今後一切いたしません」という私の名前入り文書を勝手に作られ、そこにサインを強要されました。

全文を読み上げられ、最後に自分のフルネームが読まれた時、精神的な限界を超えて、おかしくなりそうでした。何度も拒否しましたが「俺は体調が悪いんだから気を遣え」「サインしないと俺がやっていけなくなる」「でしゃばるな」などと強迫されたため、彼のことを思い、提出せざるを得ませんでした。

そうして、2016年の6月に私はすでに予定されていた撮影も打ち切られ"ミューズ役"を突然クビにされました。もう消えてくれということでした。

そして、有限会社アラーキー代表の女性から長文の手紙が届きました。その手紙は「これからも、最高のミューズでいてください」という言葉で締めくくられていました。これだけのことがあった後で、全て見殺しにされた上で、その言葉だけは、許せませんでした。

私はその手紙を荒木氏に送り、会社からも嫌がらせがあった事実を理解してもらおうとしました。でも、いつものように返事はありませんでした。ただの嫉妬なんだと思おうとしても、味方が一人もいなければ、ただのいじめでした。完全に自尊心を失っていきました。今も、個展などで私の写真が使われ続けているのを見ると、この時間が蘇ります。

そして、芸術や芸能の世界で、なぜか美しく悲しい物語として神格化されてきたように、私も、孤独で謎に包まれたミューズの死を持って彼の作品に貢献しないといけないのかと思い込み、自殺を真剣に考えました。

だいたいの日程も決めて行動していました。遺書がわりにインスタグラムを始めたりして。あと少し。というところで、私のバレエ教室の生徒でもあった作家の女性が突然亡くなりました。

謎の死として報道されました。彼女がなぜ亡くなったのか、真実を知ることはもう出来ませんが、彼女が残したブログの文章を読むと、自分と全く同じ気持ちが綴られていました。涙が止まりませんでした。

不謹慎かもしれませんが、私はそこで目が覚めました。そして、彼女のためにも、これ以上、謎の死や不自然な死、理不尽な自殺などがある世界にしてはいけないと思いました。当事者にとって「謎」なんか、あるはずがありません。

KaoRi

それでもその時の私には、彼女に捧げる小さなダンスを作って披露し、自分の感情に蓋をし、普通の日常を送ることで精一杯でした。気持ちが落ち着いてきた頃に、アメリカで me too 運動が始まりました。それを見て、これ以上彼の作り上げた虚構に身を捧げる必要はないんだと思い、毎日毎日、警察や弁護士や関係者、国の法律相談所など様々な方の意見を伺いました。

感情の勢いに任せて、すぐに声をあげたかったけれど、私と彼の関係を考えるといろんな意味で慎重になる必要がありました。自分の甘さや愛とか情けとかの色々を、冷静に客観的に判断されるのは、本当に苦しい体験でした。

そして、彼はこれまでも何度か過去のモデルに写真の公開をやめて欲しいと言われて受け入れたことがあるということも知り、今後一切公開しないでほしいとは言わないけれど、するならルールを決めたい、いくらなんでもやり過ぎだったことを認めて欲しい。そのための話し合いの場を設けてほしい。と弁護士の先生を通じて2月の半ばにやっと、申し出ることができました。

3月に返ってきた返事は「あなたが撮って欲しいと言って事務所に尋ねて来たからモデルにしただけ。

「私写真」は広く批評家にも認められている独自の表現方法であり、その関係はビジネスではないから、ルールも同意もそもそもない。全部自分が決めること。そうでなければ、自分の芸術は成り立たない。だからやり過ぎたことがあるはずがない。今後の写真の取り扱いなどについても話し合う必要はない」というような内容でした。

その上で「敵対的な書面のやり取りではなく、話し合いの上で円満に終わらせたい。でも、もうあなたをモデルにする気力は喪失しました。」とのことでした。自分から一方的に全てを切っておいて、モデルにする気力を失ったとか、何度手紙を送っても無視されてきたから、わざわざ弁護士の先生にお願いしたというのに、どこまでも人の気持ちを踏みにじる写狂老人。おかしいを超えて、情けなくなりました。会社代表女性からの回答はありませんでした。

でも、モデルとして16年やっても何も積み重ねてこれなかった。何も残らなかった。

というのも、そもそもが空っぽだったからなんだとようやくわかり、納得もしました。アラーキーの写真が、深く理解できた気がしました。

「私写真」の定義を勝手に解釈して、うまく騙されて利用されてしまったのは、私。貢献していると勘違いして勝手にがんばってしまったのも、私。自分たちの行動がどれだけ人を苦しめて、どんな思いで私がこの行動を起こしているのか聞く姿勢がないなら、話しあう必要はないなと思いました。

だから、この失敗談が、これから変わろうとする人や未来、同じような経験で沈黙している人たちの、少しでもの役に立てたら。と思っています。

私もこれまでの#metooにたくさんの勇気をもらいました。芸術という仮面をつけて、影でこんな思いをするモデルがこれ以上、出て欲しくありません。写真という芸術について考えるきっかけにもなってほしい。

一度撮られたら死んでも消してもらえない写真芸術という行為の恐ろしさを、今になって一層強く感じています。

KaoRi

今は、SNSの発達で自由に自分の好きなことを仕事に繋げることができる時代です。#モデル募集も溢れています。好きなことを仕事にできるのは、とても素敵なことですが、自分の身は自分で守らないといけないのも事実です。

フリーランスのモデルさん、好奇心だけでちょっとやってみたいと思う人も、たくさんいると思います。

何かあった時には、契約書の有無が一番大切になってきます。そこで初めて法的に動くことが可能になります。だから、どれだけ仲のいい関係であっても、お互いが納得できる契約書を作ることを妥協しないでください。それから、モデルがどんなに頑張っても、撮られてしまった写真は写真家の「モノ」になる。ということは肝に命じて。

これは、結局最後になった撮影の日、ストレスで爆発寸前の私に「はい、お誕生日のプレゼント!」とくれた本です。

KaoRi
KaoRi

メイク中にパラパラとめくりながら、この文章が目に入って、この時代に、そんなことを堂々と笑って言える人の元に16年もいて、私もそれを助長させるようなことをしていたのかと思うと意識が遠くなりました。正に「年功序列、義理人情、男尊女卑(笑)」の体質に飲み込まれていました。そして爆発中の私。キャッチコピーは、写狂老人にそっくりそのままお返しするとして。

KaoRi

新しい世界を見せてくれた。と慕っていた相手に対してこの表情で幕を閉じたのはちょっと残念だけれど、年を重ね経験を積み重ねていくことは、偉くなることなんかじゃない。反面教師で本当にいろんなことを教えてもらったと感謝して、失敗を生かしてより良い未来を作ることに意識を向けていきたいと思う今日この頃です。

KaoRi

どんな神話も宇宙の広さも、真実はいつも矛盾を含んでる。

これからは、ちゃんと自分を信じて毎日を大切に生きてゆきたいと思います。

これから新しい生活が始まる方も多いと思います。

どんな仕事の人も、おかしいなと思ったらその時に、疑うこと、考えること、人に話すこと、離れることを怠らないでくださいね。

歪んだ場所にいると、飲み込まれて正常な判断ができなくなります。

だから身体の感覚を信じて、自分で自分に嘘をつかないで。

若いからって遠慮しないで。

新しい価値観を作っていけるのは自分たちだと信じてください。

うまくいかなかった時も、それで全てが終わりじゃなくて、一歩外に出てみると、また全然違う世界がちゃーんとあなたを待っていてくれるから。

人のせいにもしたくなるけど、それは時間の無駄遣いだから、深刻になりすぎたら、ひとり旅でもしてみましょう。

ものの見方が変わるうち、痛みは優しさに変わるし、それを活かせる時がきっと来るし、ピンチをチャンス!と捉えたら、ちょっと楽にもなれるから。

自分が変わって、周りにそれが伝われば、本当に少しづつだけど、社会は良くなる。その小ささを信じて。

立場が上の人は、どうかどうか、自分の力だけでなく、弱さも自覚してください。

無意識に、自分の弱さを下の人間に押し付けていることがあるかもしれないのです。

自分より立場の弱い人の意見を遮らないで、どうか、どうか、とにかくまず最後まで話を聞いてあげてください。

いまの時代、自分の非を認めて謝ることは、カッコ悪いことではないのです。

居心地の良さに感けて、若さや新しさを拒まないでください。

補い合って循環する関係性を、見つけようとしてください。

立場の上下なく、お互いがお互いに尊重しあって発展する世の中になりますように。

KaoRi

Living well is the best revenge.

KaoRi.

(2018年4月1日「note(KaoRi)」より転載)

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