参院選と、利根川一家心中事件の裁判。

裁判を通して強く思ったのは、彼女のスティグマ(恥の烙印)は、自民党政権こそが利用してきたものだということを忘れてはいけない。

とうとう選挙が始まった。

安倍政権が改憲に突き進むかどうかの、本当に瀬戸際の、崖っぷちの状況での選挙だ。

公示日の前日と前々日、私はさいたま地裁にいた。この連載の第360回で書いた「利根川介護心中未遂事件」の裁判員裁判が2日間にわたって行われたからだ。

事件の詳しいことについては第360回の原稿を読んでほしいが、47歳の娘が、81歳の母を殺害し、74歳の父親の自殺を幇助した罪に問われた裁判だ。娘は認知症を患った母の介護を長年献身的にしていた。父親は唯一の働き手として高齢ながらも新聞配達で働き、一家の家計を支えていた。

しかし、そんな生活を突然襲った父の病気。頸椎損傷によって手足はしびれ、病状はみるみる悪化し、仕事を続けられなくなってしまう。娘は生活保護を申請するも、その4日後、一家を乗せた車は利根川に突っ込んだ。

裁判で明らかとなったのは、生活保護申請の翌日に、父が娘に心中を持ちかけていたこと。

「あっちゃん、3人で一緒に死んでくれるか。お母さんおいてくと可哀想だから」

娘は「いいよ」と即答した。

死ぬ時期は、11月28日までと決めていたという。この日に父が入院し、手術することが決まっていたからだ。父は自分の病気がよくなるとは思えない様子だったという。娘も、急激に病気が悪化し、あっという間にオムツ生活になってしまった父が自分を惨めに感じているのがわかった。母一人を残しても、施設でいじめられてしまうかもしれない。

この翌日の11月19日、役所の職員が、生活保護を受けるにあたっての訪問調査に訪れる。これまでの家族の生活歴などを根掘り葉掘り聞かれた彰子被告は、この時、思った。

「今までの人生、惨めだなと思いました。高校も中退して仕事も転々として。父の人生も同じように惨めだと思いました」

その時の気持ちを、彼女は法廷で語った。

「役所の調査であまりにも惨めな気持ちになったので、早く死のうと思いました」

そうして翌日、娘は父を心中に誘う。が、父は「死ぬ場所の下見をしなきゃいけないから、もう暗くなるから明日にしよう」という返事。この日か前日、親子はアルバムを見るなどして過ごしている。そして21日、彰子被告が「今日行くよ」というと、父は「明日にしよう」という返事。「ダラダラ延ばされる感じでカチンと来た」という彰子被告は「死ぬ気あるの?」と強い口調で言い、昼頃、一家は2度と戻ることのないドライブに出た。

ガソリンスタンドに寄り、たこ焼きを買い(おそらく一家の最後の晩餐だ)、利根川に下見に行くものの、また日が高いので時間つぶしと下見のため、群馬県の草木ダムへ。一家で2度ほど旅行に来たことがある場所だった。このダムから車ごとダイブできる場所がないか探したものの、なかったので午後6時、利根川に戻る。

そうして親子3人を乗せた車は利根川に入っていった。予定では、車が沈み、車に水が入ってきて親子で溺死するはずだった。が、水深が浅く沈まない。彰子被告は車から降り、ずぶ濡れになりながら運転席の窓から母、そして父を川に出す。そうして右手に父、左手に母の衣服をつかんでより深みへと進んでいく。11月の利根川の水はどれほど冷たかっただろう。

父は途中で彰子被告を突き放すように離れていき、母は「死んじゃうよー」と手足をばたつかせていたが、途中から動かなくなった。そうして何度も水を飲んでは吐いてを繰り返していた彰子被告は、「無理心中しなくちゃいけないのに」岸に辿りつき、一命をとりとめる。

翌朝、母と父が遺体で発見された。彰子被告も低体温症の状態で発見され、病院に救急搬送。その後、母に対する殺人と自殺幇助の罪で逮捕される。そうして約半年後、裁判となったのだ。

たった2日間の裁判員裁判を経て、6月23日、彰子被告には懲役4年の実刑判決が下された。どの証言を聞いても、どの報道を見ても、誰一人悪く言う人のいない、「優しい親思いの娘」と評判だった娘に下された判決。

第360回の原稿で書いた通り、彰子被告は逮捕後、面会に訪れた役所の職員に「本当は生活保護なんて受けたくなかった」と語っている。また、介護保険料を払っていなかったことから、介護サービスに引け目を感じていたこと、お金がないから母を施設に入れられないと思っていたことも裁判で明らかとなった。

この裁判でもっとも気になったのは、彰子被告に死を早めることを決意させた「訪問調査」だ。そこでどんなことが語られたのか、詳しいことは裁判でも明らかにされていない。ただ、ある意味で「どん底」の時に、これまでの人生について語らされることは、誰にとってもしんどいものだ。

生活保護は、基本的にその時点での所持金がひと月の生活保護費の半分以下で、資産がなければ受けられる。一家の調査時点での全財産は8万7000円ほど。一家の生活保護費は約20万円だったので半分を切っている。また、貸家に住んでいたので不動産などの資産もない。

「これまでの人生」について根掘り葉掘り聞くことに、どれだけの意味があるのだろう。裁判を傍聴して、改めて、思った。

そうして、今まで生活保護申請に同行してきた時のことを思い出した。

福祉事務所の聞き取りによって、丸裸にされるその人のこれまでの人生。聞くのが申し訳ないと思いつつも、水際作戦に遭わないために、傍にいなればならない。丸裸にされるのは人生だけではない。残高15円の通帳や、財布に残る小銭だけの「全財産」という「現状」も明らかにされる。その現状だけでも辛いのに、これまでの半生を語らされ、場合によっては説教じみたことを言われることもある。

今回の裁判を通して強く思ったのは、役所の調査が彼女にスティグマ(恥の烙印)を強く植え付けたのではないかということだ。

そしてそのスティグマは、自民党政権こそが利用してきたものだということを忘れてはいけない。

例えば自民党の生活保護に関するプロジェクトチームのリーダーをつとめていた世耕弘成議員は、生活保護受給者の「人権」を制限しても仕方ないという考えを述べている。また、同じく自民党議員の片山さつき氏は「生活保護を恥と思わないことが問題」というような発言を繰り返していることはご存知の通りだ。

そんな自民党は12年の選挙公約に「生活保護費の10%削減」を掲げ、政権に返り咲いてからは真っ先に生活保護費の引き下げを行なった。平均6.5%、最大10%の引き下げだ。それは受給者の生活を直撃し、現在、30近い都道府県で「生活保護引き下げは憲法25条の侵害」として、集団で違憲訴訟が行われている。

ここで指摘したいのは、自民党の大いなる矛盾だ。

例えば子どもの貧困には前向きな姿勢を見せながらも、生活保護基準を引き下げたこと。この引き下げでもっとも保護費が下がったのが子育て世帯。子どもの貧困を更に深刻化させているのである。

また、生活保護基準が下がったことで、連動して下がった制度のひとつに就学援助がある。経済的な理由から給食費が払えなかったり修学旅行に行けなかったりする子どもへの支援策だ。この支援を受けられる基準が、生活保護引き下げによって下がってしまったため、貧困ラインギリギリなのに就学援助から排除された子どもたちが多く出た。「子どもの貧困対策」と言いながらも、自民党政権は子どもの貧困を深刻化させるような政策を実行しているわけである。

また、安倍政権は「介護離職ゼロ」を掲げるものの、同時に自民党の憲法草案24条には「家族は、互いに助け合わなければならない」と書かれている。確かに「助け合う家族」は美しい絵ではある。しかし、虐待やDVなどの理由で、家庭が命を脅かされる場所になっている人はたくさんいる。

そして利根川の事件のように、時に「経済的に厳しい中で助け合う」ことは、無理心中にまで繋がってしまう。自助、共助を強調する自民党政権の主張は、私には「家族は国に一切頼らず、一家心中するまで助け合え」に聞こえてくるのだ。

改憲の前から9条を骨抜きにし、25条を侵害しまくっている安倍政権。とにかく、この選挙で退陣してほしいと祈るばかりだ。

そんな中、3年前の参院選で応援し、見事当選、その後、3年間に渡って貧困問題など現場の声を国会に届け続けてきてくれた山本太郎氏が、東京選挙区から立候補した三宅洋平氏を全面応援することを知った。三宅洋平氏の立候補について、様々な声があることは知っている。しかし、思い起こせば3年前の山本太郎氏にも様々な声があり、私から見ても「突っ込みどころ満載」というか、突っ込みどころしかないような人だった。

しかし、晴れて当選してからは様々な人を紹介してレクチャーを受けてもらい、時に勝手に「この問題をなんとか届けて!」と押しかけ、安保法制の際には「対策チーム」まで結成し、質問作りを手伝わせて頂いた。この年末年始には渋谷や池袋、横浜寿町や山谷など炊き出しの現場に同行してもらい、多くのホームレス状態の人から生の話を聞いてもらった。

若い人から高齢の人まで、そんな生の声は委員会での質問などに生かされている。そうして最近、太郎氏の質問がきっかけとなり、生活保護制度の運用が変わるということもあった。生活保護世帯の高校生が奨学金を受けると、これまで保護費が減額されていたのだが、大学受験料と入学金については減額されない、という運用に変わったのだ。

小さな一歩かもしれない。

だけど、私も含め貧困問題に関わる人々は、穴だらけのセーフティネットの穴を、こうやってひとつずつ埋めてきた。そしてその穴が埋まることで、確実に人が救われるのを見てきた。一発逆転のような鮮やかな解決策などない。小さなことを丁寧に積み重ねていくことでしか、現状は変わらない。それを共にしてくれる議員がいなければ変わらない。

こういう人が、あと10人いれば国会は変わるのに。

そう思い続けてきた。だからこそ、私は太郎氏を一人にしないためにも、三宅洋平氏に国会に行ってほしいと思っている。

というようなことを言うと、各方面からいろんな声が出ることも知っている。風当たりが強くなることも知っている。だけど、私にはこの3年間、山本太郎という議員を通して見えてきた光景がある。成し遂げられそうな課題がたくさんある。やり方も、少しずつわかってきた。三宅洋平氏が通ったら、太郎氏と同じレクチャーや現場視察などをフルコースで体験してもらいたいと思っている。

そして三宅洋平氏は、これまでまったく選挙とか行ったことのない層にこそ、訴える言葉を持つ人だと思う。投票率アップに、確実に貢献してくれる人だと思う。そうして投票率が変われば、あらゆることが変わる。

あなたも、あなたの声を届けてくれそうな人に投票してほしい。「そんな人いない」なら、消去法でもいい。

泣いても笑っても、7月10日まで、あと少しだ。

6月25日の「選挙フェス」にはSUGIZOさんも応援に!

※6月25日の選挙フェスでのSUGIZOさんとのトークは、こちらから

(2016年6月29日「雨宮処凛がゆく!」より転載)

注目記事