寿町の火災から、「寄せ場化する」この国を思う

それは、ロスジェネ世代に今後起きうる「未来予想図」かもしれない。
Bloomberg via Getty Images

この年末も、都内や横浜の炊き出し現場を回った。

渋谷、池袋、横浜寿町、山谷。

役所が閉まる年末年始、住む場所を失うなど生活に困窮した人々に食事を振る舞い、生活相談に乗るなどの取り組みが全国各地で行われている。そんな場所を訪れたのだ。

渋谷では公園で集団野営するための毛布が足りなくなりそうとのことで寄付を呼びかけ(寄付してくれた皆さん、ありがとうございます!)、池袋では、生活相談、医療相談に多くの人が列を作り、衣類配布にもたくさんの人が並んでいた。寿町ではなんと1200食の年越しそばが完食。少しだけ配食を手伝ったのだが、行列が続いているのに途中で天かすが切れ、ネギもなくなるという事態に焦ったものの、具なしのお蕎麦に誰も文句も言わず喜んでくれたのが救いだった。大晦日の夜は、山谷の路上でみんなで年越しそばを食べた。

そうして年が明けた1月4日、あるニュースが飛び込んできた。大晦日に訪れた横浜・寿町の簡易宿泊所で火災があり、2人が死亡したというのだ。亡くなったのは、60代男性と80代の女性。男性3人が重傷を負うなど、計13人が負傷したという。

もしかしたらあの日、年越しそばに並んでいた人の中に亡くなった人や負傷した人がいたのかもしれない...。そう思うと、目の前が暗くなった。同時に、「またしても簡易宿泊所か...」という思いが込み上げた。

なぜなら、ここ数年、簡易宿泊所や類似施設での火災が相次いでいるからである。2015年5月には、川崎の簡易宿泊所で火災が起き、11人が死亡。17年5月には、北九州のアパートが全焼して6人が死亡。アパートは実質、簡易宿泊所だったようである。また、18年5月には、秋田県横手市のアパート火災で4人が死亡。住人24人のうち17人が精神科に通院しながら社会復帰を目指し、12人は生活保護を利用していたという。そして18年1月には、生活困窮者が住む北海道・札幌市の共同住宅が全焼し、入居者16人のうち11人が死亡。

これらの火災に共通するのは、高齢、単身男性が多く住む場所であること。その多くが生活保護を利用していること。また多くが身寄りがなく、亡くなったあとの遺体・遺骨の引き取り手がないケースも珍しくないということなどだ。

火災の一報を聞いた時、大晦日の寿町の公園で目にしたある光景を思い出した。それは炊き出しの手伝いを終え、トイレを借りようと公園から近いボートレース場外舟券売り場が入る建物を訪れた際のこと。

大晦日の夕方だというのに、そこは大賑わいだった。雰囲気は、室内の場外馬券場といった趣。レースの様子がテレビに映し出され、集まった人々は画面を食い入るように見つめている。圧倒されたのは、そこにいるほぼ全員が高齢の男性だったこと。車椅子の人もいれば、杖をついた人もいるものの、圧倒的に「高齢男性」ばかり。

その光景を見て、改めて、寿町には「高度経済成長」の矛盾が凝縮されていることを痛感した。もちろん、寿町の炊き出しに並んでいた人も多くが高齢の男性だった。しかし、炊き出し現場には老若男女のボランティアが多くいるし、学生もいれば子どももいる。行列に並ぶ中には若い世代もいれば、高齢女性の姿もちらほらある。が、大晦日の夕方の場外舟券売り場には本当に高齢男性の姿しかなく、なんだか圧倒されたのだ。

寿町は、山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ「ドヤ街」のひとつである。ドヤ街とは、日雇い労働者が多く住む街で、簡易宿泊所が多く立ち並ぶところだ。山谷、寿町、釜ヶ崎は日本三大寄せ場とも呼ばれ、高度経済成長の頃は、建設現場などで働く日雇い労働者が大量に必要とされたことから多くの人が集まった。しかし、景気が悪くなると、日雇い労働者たちは切り捨てられた。それだけではない。怪我をしたら、病気になったら、高齢になったら切り捨てられた。そして今、そんな元日雇い労働者がドヤ街に多く暮らしている。

神奈川新聞の「寿町火災 超高齢化・日本の縮図 集合住宅共通の課題」によると、寿町の簡易宿泊所の宿泊者数は17年11月1日時点で5728人。うち60歳以上は3894人(67.9%)、身体障害者数は387人(6.7%)。宿泊者の大半が単身高齢の男性で、8割以上が生活保護を利用しているという。「日雇い労働者の街」から「福祉の街」へと変貌していった寿町。これは何も寿町だけの話ではなく、山谷でも釜ヶ崎でも同じことが起きている。ちなみに、今回の火災で亡くなった60代の男性と80代の女性も身体が不自由だったと報道されている。

そんな状況を見て強烈に思うのは、これは他人事ではまったくなく、ロスジェネ世代に今後起きうる「未来予想図」そのままかもしれないということだ。家族形成、資産形成の機会のないまま、そして非正規のまま40代に突入したロスジェネたちは私の周りにも多くいるからだ。

私が貧困問題に関わり始めた13年前(06年)、よく耳にしたのは「都市が寄せ場化している」という言葉だった。山谷、寿町、釜ヶ崎で起きてきたような「日雇い労働者のホームレス化」という問題が、若者たちの間で進んでいるという問題意識を多くの人が持っていた。特に当時は「日雇い派遣」が問題視されていた頃。若者たちはドヤではなくネットカフェに泊まり、寄せ場の手配師からではなく、携帯で仕事を受けて日雇い派遣に出かけていく。

すでに賃貸物件などの住む場所を失った彼らは広義のホームレスであり、「都市がモザイク状にスラム化している」ことをさまざまな人が指摘していた。それから、10年以上。現在、日雇い派遣の規制は厳しくなったものの、雇用の安定化は一向に進まず、非正規雇用率は13年前の33%から37.3%に増加。十数年前までは一部の寄せ場のみで起きていたことは今、当たり前に全般化した。現在、この国では、ネットカフェに住む場所を失った人たちが一定数存在することを多くの人が知っているし、それは都市の普通の光景になっている。

そんな「都市の寄せ場化」が指摘されて10年以上。巷では「景気回復」と言われ、新卒の雇用状況が改善された、正社員数が微増した、と言われるが、その恩恵はロスジェネにはなかなか届かない。今回まわった炊き出しにも、30〜40代と思われるロスジェネの姿が目立った。実際、年末年始の支援を終えた「世界の医療団」も、Twitterにて「目立ったのは30〜40代、路上生活の経験が浅い方たちが寒さをしのぐ術を知らず、話すうちに選択肢のない環境で生きづらさを抱えていることに気付く」と書いている。

なぜ、毎年、炊き出しを回るのですか、とよく聞かれる。自分でもよくわからない。だけど私は、自分たちロスジェネが生き延びるヒントを模索するために、毎年現場をめぐるのかもしれないと、ふと思った。

(2019年1月9日 雨宮処凛がゆく!より転載)

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