今日、成人式を迎える“ブス”たちへ

7年前の私に、今伝えたいこと
成人式のイメージ写真
成人式のイメージ写真
Carl Court via Getty Images

今日成人式を迎える、弱冠20歳の、自分の容姿に自信が持てない女性たちに伝えたい。

美人の隣で写真を撮ろう。インスタで"公開処刑"されることを恐れるな。こんなめでたい日に、「この子は美人でこの子はブスで...」なんて尺度でインスタを見る人はいない。めでたいという感想しか抱かない。

自信を持って派手な振袖を着よう。本当はキラキラしたのを着たいなら、自分に自信がないからといって、無地とか暗い色とかなんかそういう、違う土俵で戦おうとするな。

「みんな明るい色のキラキラした振袖を着ている中、ちょっと他とは違う感性の持ち主」みたいな立ち位置に自分を置こうとするな。なかなか着られない振袖を着る機会なんだから、ちゃんと好きなのを着よう。

同じ土俵に立て。今日はみんな主役だ。

ほんとにキラキラしたのが着たくなくて無地とか、暗い色とか、ドレスとかを着たいんだったら、別に全然いいけど。それは、ね、ホントいいことだと思う。

久しぶりに会う地元の男友達に狼狽するな。彼らが「あいつ可愛くなってね?」みたいな会話をこそこそしているのを見て、「絶対私じゃなくて○○ちゃんのことだ...」と思い込み勝手に落ち込むのはやめよう。

成長してちゃんと化粧して髪セットしておめかししているんだから、あなたも含めて全員、間違いなく魅力的になっている。

「相変わらずブスだな」みたいなこと言ってくる男友達がいたら、10年も経ってもう成人するのに、人を容姿でしか判断できないその浅薄な性格が成熟しなくてかわいそうだなと言ってやろう。

20歳になっても、30歳になっても、40歳になっても、人を容姿でしか判断できない浅はかな人は存在する。

この先、あなたのことをブスだと言う人はごまんといる。それを気にしてしまっている時点で、自分も、自分を容姿でしか判断できない浅はかな判断基準に縛られた人間になっている。

美人不美人の枠から抜け出せ。全力ではじけ飛べ。

人間、人から見て不快ではない清潔感さえ持っていれば、どんな見た目だって、何を考えていたって、何をしたっていい。

もしかしたら、キレイごとに聞こえるかもしれない。頭ではわかってても、無理ってこともあるかもしれない。

私だって無理だし。一度誰かに言われて、一度自分のことをブスだと認識してしまったら、それ以後、容姿を気にしない世界にはもう戻れない。どこにいても、何をしてても、「自分はブスだ」という前提のもとに行動する生き物になってしまう。

この先の人生、ブスだと言われたら、「言われなくてもわかってるわ」と思いながら、ちゃんと無視しよう。場の空気が冷めると思って、ツッコんだり、ニコニコしなくていい。

そして、粛々と仕事しよう。自分の役割をこなそう。粛々とやることをやり続けて、そして、あなたが学生や社会人として属しているコミュニティで、自分の立ち位置が明確になったら、ちゃんと言おう。

「自分は頑張っている。そうやって人を容姿だけで浅はかに判断しているあなたの傍で、自分は自分の役割をしっかりこなした。そこに、ブスであることは関係あるか」と。

そう言ってやれるときは必ず来る。

少し日本ではゆっくりだけど、着実に、世界はそのときに近づいている。社会の動き的に、彼の、彼女の、「ブスだな」っていう言葉が、そうして茶化す行動が、許されなくなっていく。

その時を待ちながら、ちゃんと頑張っていれば、ちゃんと幸せになれる。

美人に甘えている美人よりも、イケメンに甘えているイケメンよりも、確実に幸せになれる。人を美人かブスかでしか判断できない彼、彼女らよりも、確実に幸せになれる。

幸せになったもん勝ちだ。まだまだ人生は長いし、いろいろあるんだけど。がんばろう。

そう、20歳の私に伝えてあげたい。

注目記事