たまたま目にした記事がなぜ私たちを惹き付けるか(情報の『誤配』について)

インターネットで何かしらのコンテンツを生み出す仕事をはじめて今年で丸10年になる。10年の間、なにがしかの形で僕の氏名はインターネットのメディア上に登場しているのだが、知名度があがるわけではない(僕のツイッターのフォロワーは1700人に満たない)。じゃあ裏方として知識をたくさん蓄えているのかというとそれも怪しい。どの業界にもすごい人はいるのであって、そのすごい人が切り開く大地のちょっと後を、コバンザメのようについて行って小銭を稼ぐのが私の仕事だ。

インターネットで何かしらのコンテンツを生み出す仕事をはじめて今年で丸10年になる。10年の間、なにがしかの形で僕の氏名はインターネットのメディア上に登場しているのだが、知名度があがるわけではない(僕のツイッターのフォロワーは1700人に満たない)。じゃあ裏方として知識をたくさん蓄えているのかというとそれも怪しい。どの業界にもすごい人はいるのであって、そのすごい人が切り開く大地のちょっと後を、コバンザメのようについて行って小銭を稼ぐのが私の仕事だ。

とかなんとか言ってますが、多少はキャリアも長くなってきたのでインターネット四方山話を求められることも多く、今回はその体験のなかから気づいたネットメディアの誤配、それが大きな魅力の一つである、という話をしますね。

■mixi日記で気づいた、ネタ元としてのニュース

2008年から、とある人材系の会社の女性向けネットメディアで、毎日「働く女性」をターゲットにした記事を配信する仕事を請け負っている。この仕事を始めたころは、ようやく企業が「ヤフーニュースに記事配信している媒体に取り上げられれば、無料でヤフーニュースに掲載できるじゃないか」なんて気づき始めた頃で、媒体側もトラフィックの確保のためポータルサイトへの配信を積極的に行っていた。まだスマホもTwitterもFacebookもないに等しく、ポータル配信は影響力も宣伝費もないメディアがPV(ページビュー)を稼ぐほぼ唯一の手段だった。

当時どのメディアよりも勢いがあったメディア、mixiへの配信を始めたその媒体からは、ものすごく大きな反響が返ってきた。まだ朝日新聞や共同通信、よくてR25のような真面目なニュース配信しかないなか、僕らのメディアは"デートでの失敗エピソード"とか"上司にどん引きした瞬間"とか、そういう"しょーもない"記事を配信したのである。が、これに爆発的な需要があった。記事を引用しながら日記を書く人が続出した。500とか1000とかの日記があった。そうか、みんなしょーもない記事を求めていたのか、と気づいた。この翌年、ウェブで飯を食う人は必読の本『ウェブはバカと暇人のもの』が出た。我が意を得たり!という本だった。要はバカなサービスがネットには足りなかったのだ。

■記事は誤配される

ところが、この想定外の反響は思わぬ副作用も生んだ。男性読者から「記事が女性寄りに書かれすぎている」というクレームがきたのだ。確かにメディアそのものは女性向けなのだから、女性目線になることは当たり前である。しかし、媒体の外に記事が配信される以上は、『想定していなかった読者』の目に触れることになる。性別の違いは分かりやすい例だが、これに限らずどの媒体にも『想定している読者』と『想定していない読者』は存在するので、どのメディアでも起こりうる問題だ。

これは雑誌では起こりえなかった現象である。例えば、女性誌に『セックスのうまそうな男の特徴』なんて偏見だらけの記事が載っていたとしても、男性の目には通常触れないので、配慮する必要がない。逆の場合で、男性誌もそうだろう。

しかしネットで配信される記事は、想定しなかった読者にコメントされる運命にある。送り手側から見ると、想定しなかった読者に届いているので、一種の誤配だ。

誤配のメディアとしては、他にテレビが挙げられるだろう。しかし、テレビは受動型のメディアであり、大いなるマス(多数派)を相手にしているので、『自分が見たい情報じゃない』と怒る人間はいないだろう。

■『誤配』、『ゆらぎ』が人を変える

そんな誤配が書き手側から見るとインターネットのデメリットかな、と思っていた。だが、この誤配はその後のFacebook、Twitterなどソーシャルメディアの台頭と、Googleの検索技術の向上、スマートニュースやグノシーなどのニュースアプリの台頭などによって、確実に減ってきた。誤配が減ってきたのは大きく分けて2つの理由がある。一つ目はツイッターやスマートニュースなどに顕著だが、誰をフォローするか、どのジャンルの記事を目立つ場所に表示させるのかを、僕らのほうでカスタマイズできるサービスが増えてきたことだ。Googleニュースのカスタマイズもここに当てはまるだろう。もう一つは、僕らユーザーの動向を蓄積し、本人がより興味を持つであろう記事を選ぶシステムが充実してきたこと。これの代表はFacebookだ。Facebookのタイムラインは、ユーザーの行動を記憶することで、その人にとってより重要な投稿をトップに表示させる仕様になっている。グノシーなども、クリックしたジャンルの記事を優先して表示させるようにしている。このような技術の進歩によって、情報の受け手は、より「欲しい情報」にたどり着きやすくなった。もちろん、完全に誤配がなくなっているわけではないが。

でも、誤配が減るのは本当に良いことなのだろうか。例えばTwitterでは、ある特定の考え方を持った人ばかりをフォローすれば、自分に都合の良い特定の情報しか流れてこない。情報の誤配が起こらない分、イライラするケースは減るかもしれないが、それは真実から遠ざかるということかもしれない。2011年の東京都知事選では石原慎太郎が大勝したが、自分の周囲の多くの人は石原が再選するとは思っていなかった人ばかりだった。インターネットは若いユーザーが多く、石原は年配の人に支持されていたから、ネット上では石原への批判が強く、再選は難しいのでは、という空気があった。しかし結果はそうならなかった。タイムマシンがあったら石原候補を支持する人の話をもっと聞けただろうし、そうすれば両者の思惑の違いなども浮き彫りになり、対話の上にもっと明るい未来があったのかもしれない。また、このような政治のようなビッグイシューでなくても、たまたま目に入った記事が自分の生活や思考を大きく改善するきっかけとなったということは誰にでもあるだろう。自分の考え方を変えるような大事な記事は、案外誤配されたものから出会う確率が高くないだろうか。

僕が、オモシロ系の『デイリーポータルZ』から、ちょっと上の世代が見ている真面目なビジネス系の『ダイヤモンドオンライン』まで、幅広いメディアで書きたいと考えているのは、少しでも多くの誤配によって新しい読者を獲得できないかと思っているからである。誤配されると、記事への批判も増えるが、そういう記事こそ普段見られていない層に届いているということである。

今後、ハフィントンポストで記事を書くことになったのだが、この記事も多くの人に多くの人に誤配されることを望んでいる。

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