激変するメディア環境「ゲームのルールは何か」 #DJF2016

11、12の両日、東京・音羽の講談社を会場に行われた「デジタルジャーナリズムフォーラム2016」。 登壇者約50人、20のセッション。その一部を紹介する。

「変わらなければ生き残れない」。ニューズ・コーポレーション戦略担当上級副社長のラジュ・ナリセティさんは、既存メディアのデジタル化を象徴する辛口論客の一人だ。

「ジャーナリズムのルネッサンスが始まっている」。グーグルのニュース・ソーシャル担当のシニアディレクター、リチャード・ギングラスさんは、テクノロジーと「表現の自由」に関する論客。

11、12の両日、東京・音羽の講談社を会場に行われた「デジタルジャーナリズムフォーラム2016」。その基調講演に立ったのは、今、メディアの最前線をそれぞれの立場でリードする2人だ。

その2人が口を揃えたのは、デジタル発想による変化の必要性、メディアとプラットフォームの間合いの必要性、そしてスピードの必要性だった。

登壇者約50人、20のセッション。その一部を紹介する。

●デジタルの伝道者

ナリセティさんは、米メディア界でデジタルの伝道者のような存在だ。

データ重視で辛口。ツイッターでも3万4000人のフォロワーと3万3000件のツイート数という存在を持つ。

ワシントン・ポストの編集局長としてデジタル化を推進。

2012年からはウォールストリト・ジャーナル・デジタル・ネットワークの編集主幹としても、デジタルとジャーナリズムに方向性に確かな見識を示してきた。

2012年末、ナリセティさんが2013年のジャーナリズムを予測した文章を、ブログで紹介したことがある。その人柄がうかがえるかもしれない。

一言でいえば「リアルすぎて気が滅入る」だ。

ラジュ・ナリセティさんの話は、リアルすぎて気が滅入る。

タイトルは「希望と現実は別物(Hope ≠ reality)」。ナリセティさんは、単なる予測ではなく、「起きるべきこと(What should happen)」と「起きるだろうこと(What will happen)」を分けて論じているが、特に前者が赤裸々だ。

「編集局の責任者たちは、2013年、編集局のジャーナリストの役割には、自分の記事により多くのデジタル読者を連れてくることが含まれるんだと、もっと公式に強調しておくべきだ」「編集局は、デジタル読者に優れたコンテンツを提供するというだけの評価基準から、そのジャーナリズムによって読者に優れた『体験』を提供できているか、という評価基準へとシフトするべきだ」「『モバイルファースト』はすべての編集局のスローガンにするべきだ。大半の編集局で、デジタルコンテンツへの接触の3割から5割がモバイル端末にシフトしていく」

そして、「起きるだろうこと」も辛辣。「米国の新聞社からの無料ニュースコンテンツは、課金制度の普及でより稀少なものになるだろう。一方、ニューヨーク・タイムズの課金制に見習う『じゃあウチも』組の課金は、収入の追加はあるにしても、大半の都市部の新聞社ではビジネスモデルを維持できないだろう」「新聞社の統合の波は、米英のトップクラスの新聞社も襲うだろう」。そのパンチは最後まで衰えない。「編集局の予算管理や雇用の維持には一切責任のない人々による、ツイッターでのメディアの箴言はなお衰えを知らないであろう」

アマゾンCEOのジェフ・ベゾスさんが、ワシントン・ポストを買収するのはまさに2013年8月だった。その2年後にはフィナンシャル・タイムズが日経に買収された。

ナリセティさんの箴言には、こんなのもある

読者の行動(例えば、ソーシャルやモバイルで)に遅れをとっている、と思うなら、あなたの報道機関は読者に追いかけているのではない。実際には、どんどん後退していっているのだ。

●人材発掘の名伯楽

ただ、ナリセティさんは、デジタルメディア人材発掘の名伯楽でもあるようだ。

このイベントに登壇した米ネットメディア「ヴォックス・コム」共同創設者のメリッサ・ベルさん(写真中央)は、ナリセティさんがインド第2位の日刊紙「ミント」の創刊編集長を務めていた時、見いだした人材だ。

ベルさんはその後、ワシントン・ポストでデジタルプラットフォームを手がけ、2014年にヴォックス・コムを創設、昨年からはその運営会社であるヴォックス・メディアの成長・分析担当副社長を務めている

ジャーナリストからテクノロジストに転身した、メディアの最先端を象徴する存在だ。

さらに、ミレニアル世代向けネットメディアとして注目を集める「ミック」の最高戦略責任者のコリー・ハイクさんも、ナリセティさんが、ワシントン・ポスト編集局長時代にデジタルニュースのエグゼクティブ・プロデューサーとして抜擢した人物だ

ハイクさんは、ハリケーン・カトリーナの被災地ニューオリンズの地元紙タイムズ・ピカユーンのウェブ責任者として、紙の発行ができなくなった状態でも、ネットで情報発信を続けたことで知られる

●800人の編集局を600人に

ナリセティさんは、ワシントン・ポスト編集局長の3年間で、デジタルに大きく舵を切った。

ニュースピックス編集長の佐々木紀彦さんとの対談では、その編集局改革についてこう述べている。

未来はマルチプラットフォーム。紙はどんどんとその存在感を縮小させていく、というデータに基づく現状認識から始め、習慣、文化、行動を変えていった。

さらに、「魚は頭から腐る(失敗はリーダーシップに起因する)」とのことわざを引き、社内のデータ共有にも力を注ぎ、イノベーションエディターも新設したという。

変わらなければ生き残れない。

そう号令をかけただけではない。局長就任当時、800人規模だった編集局は600人に。大幅なリストラを行う一方、デジタルスキルのあるジャーナリストを、新たに100人規模で採用したという。

ウォールストリート・ジャーナルでは、その号令は「デジタルにフォーカスせよ」に変わったものの、デジタルシフトの取り組みは引き続き行っていったと述べる。

ナリセティさんが、現在の課題として挙げるのがモバイル。

50%の読者が4~6インチの画面でニュースを見ている。

だが、そのモバイルでどう収入を確立していくのかが問題だ、と。

もう一つの重要な点として挙げるのが、読者体験としてのモバイル上の表示スピード。

フェイスブックの「インスタント・アーティクルズ」、アップルの「ニュース」、グーグルの「AMP(アンプ)」など、昨年から今年にかけて登場したモバイル用のニュース表示の高速化についても触れ、「ジャーナリズムをスピードアップさせることは重要だ」と述べた。

収入のモデルについては、購読料だけではなく、広告、さらには不動産ページにおける成約手数料など、複数のモデルの組み合わせが必要、とも指摘する。

●プラットフォームとの間合い

ただ、ウォールストリート・ジャーナルは、今のところ、フェイスブックのインスタント・アーティクルズには記事を配信していない。

佐々木さんからその点を問われると、ナリセティさんは、プラットフォームとメディアの間合いを「フレネミー(友であり敵)」という言葉で表現した。

彼らはある時は友人、ある時は敵になる。自分たちのビジネスモデルと合っているのか、の判断が必要だ。

プラットフォームに対する「フレネミー」という距離感は、昨年インタビューしたニューヨーク・タイムズCEO、マーク・トンプソンさんも、同じ表現で語っていた

巨大IT企業はメディアにとって競合相手、脅威にもなりえるし、提携先、仲間にもなり得る。おそらく、両方の組み合わせになるでしょう。"フレネミー(友であり敵)"です

「分散型メディアは持続可能ではない、ということですか」と、ナリセティさんに客席から質問してみた。

ナリセティさんの回答は、おおむね次のようなものだった。

あなたのコンテンツは、読者がいる場所になくてはならない。

かつては自社ホームページのみが、コンテンツ発信の場所だったが、今や大事なのは、配信経路だ。ツイッターやフェイスブック、スナップチャットなどにコンテンツを置くこともできる。だだ、それがあなたのビジネスモデルを壊さないなら、だ。

(分散型でコンテンツを置くことで)読者のデータを与えることになる。(プラットフォームは)そのデータを使い、我々の読者に向けて広告をうってくる。

何がゲームのルールなのかを考える必要がある。その結果を考えずに、ゲームに参加すべきではない。

私はいつも、ツイッターで自社の記事の見出しと課金サイトへのリンクを投稿している。多くの読者がツイッターにいて、その投稿を見て記事を読みにくるからだ。

私はツイッターのために仕事をしているわけではない。ツイッターの方が、私の役に立つ必要があるのだ。

●「表現の自由」とオープンプラットフォーム

ギングラスさんのポイントは、「表現の自由」とオープンプラットフォームだ。

ギングラスさんは、昨年10月に発表、今年2月に正式公開したモバイル用HTML「AMP(アンプ)」の責任者でもある。

「加速化モバイルページ(Accelerated Mobile Pages)」の名前の通り、ページ記述言語HTMLを、スマートフォンなどでのページ表示高速化のためにカスタマイズしたものだ。

その特徴は〝オープン〟。アンプHTMLの一式は、オープンソースとして、開発者向けサイト「ギットハブ」で公開されている。

ギングラスさんの取り組みについては、友人のジャーナリスト、ダン・ギルモアさんがウェブマガジン「バックチャンネル」でも紹介している

ギングラスさんの「表現の自由」への思いは深いようで、ギルモアさんとともに、米修正憲法第1条(表現の自由)の名を冠したNPO「ファースト・アメンドメント連合」のボードメンバーを務めている。

ギングラスさんは、今回の在米ジャーナリスト、菅谷明子さんとの対談の中で、「ローマの休日」の脚本家で、共産主義者排斥の対象「ハリウッド・テン」の一人だった、義父のダルトン・トランボさんの投獄体験に触れながら、「表現の自由」の重要性を指摘し、こう述べた。

現代社会において、表現の自由がいかにもろいものであるか、ということを感じた。私の目指すところは、プラットフォームが表現を可能にする、ということだ。ワールド・ワイド・ウェブは、市民社会に必要とされる、最も重要な表現のプラットフォームだ。

そして、モバイルウェブにおいて、1ページ10メガバイトなどという重量化や、広告配信テクノロジーの問題などから、表示スピードが犠牲になっていた、と述べる。

同様の理由からフェイスブックが昨年9月に先行したのがインスタント・アーティクルズだった。

ギングラスさんは、フェイスブックが独自システムなのに対し、グーグルのAMPオープンなプラットフォームだと、説明する。

オープンなウェブによる知識の豊かな生態系がなければ、グーグルの検索は無価値なものになるだろう。

そして、メディアにとっても、オープンなウェブこそが重要だ、と。

メディアのコンテンツがどこにあっても、スピードをもってアクセスできることは大事だ。ただ、メディアは自らのコンテンツをコントロールし、ビジネスモデルをコントロールし、自らの命運もコントロールしていく必要がある。それなしに成功はない。

一方で、ネットを単なる〝配送路〟と見なしたり、デジタルへの取り組みを「紙からデジタルへの〝移行〟」と呼ぶなど、既存メディアが紙の時代の発想のままでネットを捉えることの問題点を指摘。

インターネットはマーケットプレイスであり、競争の激しい環境だ。読者は紙とは違うものを期待し、メディアとは別の場所で、同士が互いに交流をしている。この環境を直視し、そこで機能し、もはや紙を読まない新たな読者に届く、新しいプロダクトをつくり出さなければならない。それこそが非常に大事なこと。新しい体験をつくり出すイノベーションだ。

紙の発想を残していては、変化は中途半端なものとなり、ゼロからデジタルでスタートしているネットメディアには太刀打ちできない、と。

そして、ジャーナリズムの役割やそのアーキテクチャー、プレゼンテーションのあり方などを再考する必要があるという。

ジャーナリズムの新たなアプローチ、新たなモデルが始まっている。私たちはジャーナリズムのイノベーションのルネッサンスの始まりに立ち会っている。そしてそれは、私たちが、私たちの社会が、前進するために必要なことなのだ。

●ジャーナリズム・イノベーション・アワード

イベントの2日目には、同時開催の「ジャーナリズム・イノベーション・アワード2016」にこのブログ「新聞紙学的」を出品した。

ブログ「新聞紙学的」から見るメディア激変2015-2016 from kaz taira

メディアとジャーナリズムの現状と未来を考える、いい機会だった。

※投票いただいた大先輩の方々、ありがとうございました。

(2016年3月13日「新聞紙学的」より転載)

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