「これは戦争だ」-フェイクニュースへの「おとり作戦」を見破ったワシントン・ポスト

その情報提供者は本物なのか――そんなファクトチェック力も試されているようだ。

フェイクニュースへの警戒は、ネットを流れるニュースのファクトチェックだけでは済まない。その情報提供者は本物なのか――そんなファクトチェック力も試されているようだ。

ワシントン・ポストは27日、異例ともいえる記事を公開した。

アラバマ州で今月行われる上院補選の共和党候補者の「性的虐待疑惑」をめぐり、新たな被害者を名乗る女性がポストに情報提供を申し出たが、それが右派系団体による「おとり作戦」だった疑いがある、と指摘したのだ。

外部からの情報提供の真偽に関して、メディアが報じることはあまりない。それが情報源秘匿に直接かかわるためだ。

だが一方で、メディアをめぐるフェイクニュースを拡散させるなどの「情報戦」は、その勢いを強めている。今回明らかになった「おとり作戦」も、数カ月をかけてポストの記者らに近づくなど、かなり入念に行われたものだった、という。

しかも、「情報戦」の舞台になったのはポストだけではなく、ONA(オンライン・ニュース・アソシエーション)や調査報道記者・編集者協会(IRE)といったメディア業界関係者が集まるイベントも含まれていた、という。

「これは報道に対する戦争なのだ」。専門家は、そう断言している。

●「被害者」の訴え

ポストのベス・ラインハート記者のもとに、その女性からメールが届いたのは、11月10日だった。

その前日、ポストは、12月12日投票のアラバマ州上院補選の共和党候補者、ロイ・ムーア氏をめぐる性的虐待疑惑を報じていた。

今から38年前の1979年、当時14歳だった女性が、32歳の地方検事補だったムーア氏に性的虐待を受けた、と名乗り出たとのスクープだった。

ラインハート記者は、その共同執筆者だった。メールには、ムーア氏に関する情報提供がほのめかされていた。

その後のメールのやりとりで、女性は「ジェイム・フィリップス」と名乗る。

11月21日にワシントンで会ったフィリップス氏は、住宅ローン会社に勤務する41歳で、15歳の時にムーア氏と性交渉を持ち、妊娠、中絶にいたった、と述べた

ラインハート記者が裏付けとなるような資料の提供を依頼すると、フィリップス氏は不満を表明。

情報提供の窓口を、ムーア氏の疑惑記事のもう一人の筆者、ステファニー・マックラメン記者に変更するよう要求する。

だが、フィリップス氏の説明には、疑問点も浮上する。勤務先と述べていた住宅ローン会社に問い合わせると、「ジェイム・フィリップス」という社員はいない、という(ただ、報道後、実際にはその前年に短期間だけ勤務していたことが明らかになる)。

そして、ポストのリサーチャーが、「ジェイム・フィリップス」の名前が、クラウドファンディングのサイト「ゴーファンドミー」にあるのを発見する。募集開始の日付は5月29日。アトランタ在住だが、ニューヨークで新しい仕事が見つかり、引っ越し費用が必要だとして、こんなことが書かれていた。

保守系メディアのプロジェクトで働く仕事をすることにした。リベラルな主流メディアのウソとペテンと闘う仕事。このプロジェクトの力になるため、リサーチャー、そしてファクトチェッカーとしてのスキルを使うことになりそう。数カ月前に住宅ローンの仕事を解雇され、キャリアパスを変えるチャンスに巡り合った、ということ。

ポストのマックラメン記者は、この「ゴーファンドミー」への投稿のプリントアウトを手に、11月22日、フィリップス氏と面会する。

●「おとり」の行方

ポストとしては、2回目のフィリップス氏との面会。この時の2人のやりとりは、同行したポストの
として公開されている。

マックラメン記者は、やりとりが録音、録画されていることを伝えた上で、フィリップス氏に「ゴーファンドミー」への投稿の文面についての説明を求める。

フィリップス氏は、それが右派サイト「デイリー・コーラー」のことだと釈明。面接を受けたが、うまくいかなかった、と述べる(だが、その後のポストの問い合わせに、同サイトは、「フィリップス」という人物を面接したことはない、と回答した)。

次第に落ち着かないそぶりを見せるフィリップス氏は、ついに、「この話はここまで。この先はやめにしたい」「もうこれ以上の質問に答える気はない」と話を打ち切る。そして、「もういかなきゃ」と面会場所のレストランを後にする。

その夜、7時までに「ゴーファンドミー」の投稿は削除された、という。

だが、この話には続きがあった。

週明けの月曜日、11月27日朝。ポストの記者たちは、フィリップス氏がニューヨークのビルの一室に入ったところを目撃する。

そこは「プロジェクト・ベリタス」という右派系団体のオフィスだった。

●「プロジェクト・ベリタス」とは

「プロジェクト・ベリタス」は2010年、右派活動家のジェームズ・オキーフ氏が設立したNPO。既存メディアの記者たちに身元を隠して近づき、動画を隠し撮りし、センセーショナルな仕立てで公開するという手法で、メディア攻撃を続ける団体だ。

「ベリタス」には、米大統領選の選挙戦入り直前の2015年5月、トランプ財団が1万ドルの資金提供をしたことが明らかになっている

また、オキーフ氏は以前から、このような隠し撮りによって、メディアだけでなくリベラル系団体などへの攻撃を続けてきたことでも知られる。

2009年には、低所得層支援団体「ACORN(エイコーン)」に相談者を装って訪れて隠し撮りし、「不正行為をそそのかした」と虚偽の内容に改ざんした動画を公開。これを設立から2年の「ブライトバート・ニュース」が掲載し、ニュースサイトとしての注目を集めた。

※そのてん末の一端は、拙訳のダン・ギルモア著『あなたがメディア ソーシャル新時代の情報術』第5章冒頭でも紹介されている。

この騒動は、後の調査で事実無根であることが判明するが、政府の助成金減額や一般からの寄付が激減した「ACORN」は翌2010年、破綻してしまう

一方のオキーフ氏はやはり翌2010年、民主党上院議員事務所への不正侵入の罪で、逮捕され、有罪判決を受けている。

●「潜入記者」の募集

ポストは、フィリップス氏の背景を調査する中で、「ベリタス」が今年3月、フェイスブックページ上で12人の「潜入記者」を募集していたことを把握した。

その仕事内容とは――「台本を覚える」「役柄を確実にするための背景エピソードを用意する」「調査対象とのアポイントメント、もしくはコンタクトを獲得する」「隠し持った録画機器の操作」

その内容と、フィリップス氏が5月に、「ゴーファンドミー」の投稿に書き込んでいた「保守系メディアのプロジェクトで働く仕事をすることにした。リベラルな主流メディアのウソとペテンと闘う仕事」が合致。ポストは逆取材へと態勢を組んだようだ。

11月23日、マックラメン記者がレストランでフィリップス氏と面会した際、テーブルの上には先に到着したフィリップス氏のバッグが置かれていた。マックラメン記者が、それを遮るように自分のバッグをテーブルに置いたところ、フィリップス氏は自分のバッグを置き直した、という。

隠し撮り用のカメラが、バッグの中に仕込まれていた可能性をうかがわせる。

さらにフィリップス氏は、最初のラインハート記者にも、その後のマックラメン記者に対しても、自らの暴露が選挙に与える影響について、しきりに意見を聞きたがった、という。

ポストの記者たちは、オフィスから出てきたオキーフ氏に、フィリップス氏との関係について直撃するが、同氏は回答を拒否(のちに、間接的ながら、事実上、この「おとり作戦」を認めたようだ)。ただ、その様子もポストによって動画におさめられており、記事と合わせて公開されている。

●「おとり作戦」公開の理由

ポストは同日、ネットで記事を公開。翌日の紙面でも、1面、中面で大展開をしている。

ただ、このようないわゆる「ガセネタ」のてん末を記事として明らかにすることは、メディアではあまりないことだ。「取材源の秘匿」と関わるためだ。

ポストの編集主幹、マーティ・バロン氏は記事の中で、公開の理由をこう述べている

「オフレコの合意」について、それが善意に基づくものである限り、我々は常に尊重する。ただし今回の場合、そのオフレコの会話こそが、我々をだまし、妨害しようとする工作の核心部分だ。プロジェクト・ベリタスの狙いは、もし我々が罠にかかったら、その会話を公開することにあったことは明らかだ。我々は、これまで通りの堅固なジャーナリズムによって、罠にかかることはなかった。我々は、邪悪で不誠実な意図による「オフレコの合意」まで尊重することはできない。

ポストをめぐっては、これ以外にも不可解な偽情報が飛び交っていた。

同紙がロイ・ムーア氏の性的虐待疑惑を報じた11月9日、右派サイト「ゲートウェイ・パンディット」は、ツイッターの右派アカウントを引用する形で、「ワシントン・ポストのベスという名の記者がロイ・ムーアを糾弾するために1000ドル出すといった」というデマを配信した

「ベス」とは、ムーア氏の疑惑を報じたラインハート記者のファーストネームと一致する。

さらに、11月14日には、アラバマ州の牧師の自宅に、「バーニー・バーンスタイン」というポストの記者を名乗る自動発信の留守番電話が残され、「ロイ・ムーア氏にダメージを与える発言をしてくれる54歳から57歳の女性には、5000ドルから7000ドルの報酬を差し上げます」と持ちかけていた、という。これもまた、デマだった

疑惑の渦中にあるムーア氏は、トランプ大統領や、かつてのトランプ氏最側近で「ブライトバート」会長のスティーブン・バノン氏が支援する。

そして、フィリップス氏による「おとり作戦」の背後には、「ブライトバート」やトランプ財団ともつながりのあるオキーフ氏の存在。

今回の騒動には、そんな構図が見えてくる。

だが、問題はこの一件だけではなかったようだ。ポストの報道を見て、フィリップス氏のことを知っている、というメディア関係者が続々と現れたのだ。

●ONAやIRE、業界のイベントを舞台に

ポストのまとめによると、フィリップス氏は今回の騒動の数カ月前から、様々な偽名や偽の肩書を使って、
。ポストを含むジャーナリストたちと顔見知りになり、コミュニティに入り込むとともに、その会話を隠し撮りしていたようだ。

その肩書は、ライターを募集中のメディアベンチャーのオーナー、安全保障が専門の大学院生、など様々。そして、そのアプローチも仕方も、ポスト本社近くで行われたスタッフの送別会に偶然居合わせたようにして話しかける、など、細かい手管を使っている。

しかも、そのネットワークづくりの範囲は、ポストに限らなかったようだ。

7月には、業界横断のウェブジャーナリズムのコミュニティ「ONA(オンライン・ニュース・アソシエーション)」のワシントン支部のイベントにも参加していた。ポストのソーシャルメディア・プロデューサーが主催したものだった。この時の名前は「ジェイム・テイラー」。

9月には、ニューヨーク・タイムズやマクラッチーなどの調査報道ジャーナリストらが集まった「IRE(調査報道記者・編集者協会)」のイベントにも参加していた、という。

そして、それらの機会に隠し撮りした動画は、今回のポストによる報道後、「ベリタス」のサイトで次々に公開されている、という。

●「これは戦争だ」

この騒動に、自らも「ベリタス」の標的となり、改ざんされた隠し撮り動画を公開されたことのある
は、ブルームバーグの取材に、こんなコメントを寄せている。

ポストのエディターたちは、今回の騒動を明らかにするために「オフレコのルール」を撤回し、読者に対し、なぜこのような非常手段をとらねばならなかったかを説明した。それはつまり、現在の事態が平時ではなく、平時のルールは役に立たない、と結論づけたということだ。マーティ・バロンは「我々は戦争をしているのではない、仕事をしているのだ」とよくいう。しかし、これは報道に対する、そして事実確認の原則に対する、戦争であることを、彼は明らかに理解している。そして、これに勝つためには、ポストも全力で取りかかる必要がある、ということを。

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