「ニュースはコンテンツでなくサービス」ジェフ・ジャービスの処方箋

ニュースはコンテンツビジネスではない。ニュースを〝サービス〟として捉え直せ――著名ブロガーのジェフ・ジャービスさんが、ジャーナリズムの未来について、そんな処方箋をまとめている。

ニュースはコンテンツビジネスではない。ニュースを〝サービス〟として捉え直せ――著名ブロガーのジェフ・ジャービスさんが、ジャーナリズムの未来について、そんな処方箋をまとめている。

米ネットメディアきっての論客の一人であるジャービスさんが示すのは、ネット時代の新しいニュースの形、読者との新たな関係、そして新しいビジネスモデルだ。

ジャービスさんの地元ニュージャージーでは実験プロジェクトも進めていて、人材養成でも、新たに「ソーシャルジャーナリズム」と名づけた修士課程のコースを創設するのだという。

これはベンチャー的な視点でジャーナリズムを組み立て直す、実践型の処方箋だ。

●ベンチャーの視点

グーグル的思考』『パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ』と2冊の邦訳もあり、日本でもよく知られたオピニオンリーダーだろう。

センターの名前にもなっている「起業家ジャーナリズム」とは、ジャービスさんの定義によれば「新しい、持続可能なジャーナリズムの会社を立ち上げ、運営する能力」。すなわち、ベンチャー的な視点のジャーナリズムだ。

そのジャービスさんが、話題のブログプラットフォーム「メディアム」に今月14日付けで掲載したのが、「ニュースはどこへ?」と題する5章立てのエッセイだ。

●コンテンツ対サービス

このエッセイの論点の一つが「コンテンツ対サービス」。

ニュースは本当にコンテンツビジネスなのだろうか? 疑問の余地はないか? 自分たちをコンテンツのクリエイターだと思い込んでしまうと、おそらくは落とし穴にはまり込む。

私たちがいるのがコンテンツビジネスでないとすると、何ビジネスだ? ジャーナリズムをサービスとして考えてみよう。コンテンツは何かを満たすためのもの。一方、サービスは何かを達成するためのものだ。サービスであるなら、ニュースは製品としてより、その成果から評価すべきだ。ではジャーナリズムの成果とは? それならわかりきっている:人々や社会が、よりよい情報を手にすることだ。

ここでジャービスさんがいう〝サービスとしてのジャーナリズム〟とは、クラウドコンピューティングの世界でいう「サービスとしてのソフトウェア(SaaS、サース)」と同じような意味合いだろう。

パッケージの製品ではなく、機能として提供されるジャーナリズム――そんな考え方。

そして、そのサービスの提供先は〝コミュニティ〟だ。

●「それは、無理」とザッカーバーグがいう

ジャービスさんは、2007年の世界経済フォーラム(ダボス会議)での、有力メディア企業首脳とフェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグさんの、有名なエビソードを紹介している。

「マーク」と彼はアドバイスを求めた。「コミュニティのつくり方を教えてもらえないだろうか。我々にはコミュニティが必要なんだ。どうしたらいいんだろう」。無口なおたくであるザッカーバーグは、二言で答えた。「それは、無理(You can't)」。ピリオド。気まずい沈黙の後、メディア企業経営者が詰めかけた会場に向けて、質問が間違っているのだ、と彼は話す。「コミュニティはつくるのではない」とザッカーバーグ。「コミュニティはすでに存在している。彼らはすでにやりたいことをやっている。問いかけるべき質問は、彼らがやっていることをよりよくするために、どんな手助けができるのか、ということだ」

さらに私の友人でもあるジャーナリストでアリゾナ州立大ジャーナリズムスクール教授、ダン・ギルモアさんのこんな言葉も引用する。

だからこそ、ジャーナリストの仕事は、読者に情報を伝えるだけではなく、そのコミュニティの声に耳を傾け、クラウドソーシングやコラボレーションによって、役割分担をしながら、そのニーズや課題を解決していくことでもある、とジャービスさんはいう。

それによってコミュニティがよりよいものになっていけば、それこそが〝サービス〟だと。

●グーグル的思考

もはやマスメディアではない」。これも論点の一つだ。

インターネットの登場によって、〝マス〟が蒸発してしまったメディアは、どうやって読者に届けばいいのか。

そこでジャービスさんが示すのが、著書のタイトルでもある「グーグル的思考」だ。ユーザーに関する様々なデータから、最も適切な情報を選び出し、信頼を得て、ビジネスにつなげる。

実際にはグーグルだけでなく、フェイスブックやアマゾンなど、あらゆるネット企業が実践するアプローチだ。

だが、ビッグデータからスモールデータまで、プライバシーも何もかも、解析を重ねるだけでは、信頼にはつながらない。

そのためにはユーザーを、コミュニティとの結びつきが必要になってくる。ユーザーとのエンゲージメントの問題だ。

●5%のエンゲージメント

ネットユーザーのサイト訪問全体の中で、ニュースサイトの割合は6.7%。滞在時間でみると1.3%。そしてページビューでみるとたったの0.9%――世界新聞協会(WAN/IFRA)の2012年の報告書から、ジャービスさんはそんなデータを引く。

さらに新聞の読者の、閲読ページ数や閲読時間を紙とデジタルで比較すると、デジタルでの接触、つまり〝デジタルエンゲージメント〟は紙の5%にすぎないという。そしてこれは、新聞社の売上全体にデジタル収入が占める割合5%と、妙に付合する、と。

ただ、ユニークユーザーやページビュー、コメント数といった指標は、ユーザーとのエンゲージメントを測る上では、極めて表面的なデータにすぎない、とジャービスさんはいう。

ユーザーを数字ではなく、個人としてどれだけ認識できるか。そして、コメント数ではなく、そのコメントの質をどれだけ維持できるか。

エンゲージメントとして、コメント欄の限界を超えるのが、ユーザーとのコラボレーションだとジャービスさん。

テクノロジー企業はコラボレーションに取り組んでいる。ベータ版の製品をリリースし、それが不完全であることを明らかにして、ユーザーの協力を仰ぐのだ。

さらに資金や運営、それ自体にユーザー参加を求めるモデルも提案する。

ガーディアン編集長のアラン・ラスブリッジャーは、メンバーシップ制をニュースに取り入れるというアイディアにご執心だ。特にサッカーのバルセロナのモデルが気に入っている。バルセロナでは、ファンはメンバーであり、メンバーは共同オーナーとして、チームの主要な決定事項に関与することができる。

そして、そんな取り組みの一端はすでに始まっている。編集会議をストリーミングでネットに公開し、1面に載せるべき記事をこの中から選んで、と呼びかける新聞社。記事につける一番いい見出しをユーザーに選んでもらうニュースサイト。

コミュニティのメンバーにとって、ニュースに本格的にエンゲージメントをもつことに、どんな意味があるだろうか。コラボレーションが最もうまくいけば、報道機関とそのジャーナリストたちは、コミュニティがまとめた取材計画を実行するために準備万端整えている、ということになるだろう。「私たちはこれが知りたい」とコミュニティがいう。「そしてみなさんはその情報収集能力を使って、それについての情報を私たちのところに持ってきて下さい」

●〝社会活動家〟としてのメディア

ジャービスさんの議論は、さらに広がる。

ジャーナリズムは、コミュニティの課題解決に取り組むコミュニティオーガナイザー(社会活動家)の役割を果たすべきだ。さらには、権利侵害に立ち向かうアドボカシー(権利擁護活動)の役割を――「アドボカシーでないなら、それはジャーナリズムではない」と。

ここでジャービスさんは、「アドボカシー」を〝公共の利益の擁護〟の意味で使っている。

ウォーターゲート事件やスノーデン事件をスクープしたワシントン・ポストは、「アドボカシーだ」。貧困、不遇、虐待に直面し、あるいは世間から見捨てられた人々、権力者に立ち向かう個人に寄り添うのは「アドボカシー」。

だがこれらの権利擁護やコミュニティの課題解決は、ジャーナリズムだけではできない。コミュニティのメンバーに参加を促す〝教育〟の機能も果たしていく必要がある、とジャービスさんはいう。

●ニュースの生態系

ジャービスさんは、コミュニティを巻き込んだそんな〝ニュースの生態系〟の実験プロジェクトを実際に立ち上げている。

地元メディアの空白地帯であるニュージャージーで、「バリスタネット」などのブログサイトを連携し、ニュースネットワークを構築する試みだ。

地元のモンクレア州立大学をベースに、ドッジ財団ナイト財団からの補助金を受けて運営しているという。

このニュースネットワークの生態系の中で、メンバーのジャーナリズムのスキル、そしてビジネスのスキルのトレーニングや、メンバー間のコラボレーションの支援などに取り組むのだという。

●「ソーシャルジャーナリズム」の修士課程

そして、ジャービスさんが教授を務めるニューヨーク市立大学ジャーナリズムスクールには、「ソーシャルジャーナリズム」の修士課程のコースを新設する、という。

これは「コミュニティ情報とエンゲージメント」の学位になるのだという。

コンテンツの生産者としてのジャーナリズムから、コミュニティへのサービスとしてのジャーナリズムへ――その変化を体現する学位のようだ。

カリキュラムには、ジャーナリズムのコースに加えて、データやツール、ビジネスのコースも予定しているという。

●頓挫したモデル

ジャービスさんの構想は、ネット展開中心に発想を転換する〝デジタルファースト〟や、ニュースの制作過程をコミュニティに開放する〝オープンジャーナリズム〟など、ジャーナリズムの変化の大きな潮流を反映している。

それ自体の方向性は合理的なものだ。

だが、これらの取り組みを現実のプロジェクトにのせて、頓挫したケースもある。

ジャービスさんがアドバイザリーボード(諮問委員)を務める全米第2位の新聞チェーン「デジタル・ファースト・メディア(DFM)」のデジタル最適化プロジェクト「サンダードーム」だ。

コミュニティとのコラボレーションや、デジタルに対応した業務フローの見直し、編集部の読者への開放、データ活用など、イノベーションにつながりそうなことは一通り手がけた同社の、目玉プロジェクトだ。

だが同社は4月2日、デジタル化プロジェクトを停止し、50人を超す担当チーム全員を解雇することを明らかにした。

プロジェクトの停止は、同社の大口投資家であるヘッジファンドの意向を反映した、コスト削減策の一環とされる。

DFMの編集長でプロジェクトの責任者でもあったジム・ブレイディさんが、5月1日の離任を前に、ニュースサイト「ストリートファイト」のインタビューに答えている

つくり上げる価値がある、と思ってやってきたことが、結局、評価も得られずに終わるのを見るのは悔しいですよ。

現実の壁もまた、厚いようだ。

(2014年4月30日「新聞紙学的」より転載)

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