「#tronc(トロンク)」。米メディア関係者のツイッターでは、この名前が瞬間風速的に話題になった。
ロサンゼルス・タイムズやシカゴ・トリビューンを擁するトリビューン・パブリッシングが2日、新たな社名として発表したのが綴りは全て小文字の「tronc(トロンク)」だ。
メディア企業の看板としては妙に脱力する語感に、コラージュ画像をつくったり、大喜利を始めたりと、〝ネタ合戦〟の様相に。
ただトリビューンにとっては、その背後には、急速なデジタル対応の必要と、ガネットによる買収攻勢という、リアルな〝目の前の危機〟がある。
そして、この買収を巡る騒動は、米国の新聞業界の生き残り戦略の縮図でもある。
●すべて小文字の新社名
「トリビューン・パブリッシングはブランド変更を発表、名称をtroncとします」
そんなタイトルの2日付のリリースは、なかなか興味深い内容だった。
"tronc"をすべて小文字にするのは特にこだわりがあるようで、リリース文の中では、この新社名が文頭にあっても、"t"を大文字にはしていない。
トリビューンのリリースによると、"tronc"は「トリビューン・オンライン・コンテント」の略。新聞業からネット企業("コンテンツ・キュレーションとマネタイズの企業")へと、ブランド再構築を図る狙いのようだ。
By spacedust2019 (CC BY 2.0)
株式の上場先も、ニューヨーク証券市場から、ハイテク株の多いナスダック市場に変更するという念の入れようだ。
会長のマイケル・フェロさんのコメントが、その意気込みを端的に表現している。
我々の業界は、イノベーションに富むアプローチと、これまでとは根本的に違う経営手法を必要としている。我々の変革戦略は、1億1400万ドルを超す成長資金を調達できた。その焦点は、人工知能(AI)と機械学習(マシンラーニング)を活用して、ユーザー体験を改良し、世界クラスの我々のコンテンツの収益化を改善することだ。それにより、パーソナル化したコンテンツを6000万人の月間ユーザーに届け、すべての株主にとっての価値を押し上げることができる。"tronc"へのブランド変更は、我々のテクノロジーとコンテンツ資源を共有し、戦略を実行していくスタイルを象徴するものだ。
トリビューンは、シカゴ・トリビューンやロサンゼルス・タイムズ、ボルチモア・サン、ハートフォード・クーラントなど日刊紙11紙を擁するメディアチェーンだが、リリースには「newspaper」という単語は一度も出てこなかった。
"tronc"のドメインも取得済みで、社名変更とナスダックへの上場が行われる20日以降、ページを公開するというスケジュールのようだ。
ただ、ツイッターアカウントはおさえていなかったらしい。どうも日本人が持っていたようで、ワシントン・ポストがスクリーンショットを掲載している。
ただ、交渉があったのか、今は"tronc"のロゴが掲載されている。
●トロンク祭り
"tronc(トロンク)"という英語は、レストランなどでチップを入れるビンや箱(チップジャー)のことを指し、語源のフランス語(トロン)ではトランクや箱、木の切り株のことなどを意味するようだ。
By Nan Palmero (CC BY 2.0)
メディア企業の名前が"チップ入れ"では、あまり景気のいいブランディングにはならなそうだ。「トロンク」という語感も何となく、緊張感に欠ける印象がある。
大手メディア企業のブランド変更発表なのに、ネットはあっという間に"トロンク祭り"の様相に。
まずはお決まりのコラージュ画像。
SF映画「TRON(トロン)」を使ったパロディーだ。
テッククランチの記事の画像もまさにそれだった。
フィラデルフィア・デイリー・ニュースとフィラデルフィア・インクワイアラーのテレビコラムニスト、エレン・グレイさんは、その語感に反応してこうツイートした。「ペットの恐竜がいたら、多分、トロンクってつけるでしょう」
友人のジャーナリスト、ダン・ギルモアさんは、「CEOや取締役をすぐ首にしろ」と。
そして、エイプリルフールのネタも。「4月1日は10カ月先」
前マッシャブル編集長のジム・ロバーツさんも。「誰かエイプリルフール用のツイートの予約配信設定を間違えたか」
"tronc"のロゴのフォントが、「スポンジボブ」などの番組を持つ子ども向けケーブルチャンネル「ニコロデオン」に似ているとのネタも。
メディアアナリストのケン・ドクターさんは、大喜利のあいうえお作文(※英語ではbackronymというらしい)に挑戦。「(T)トリビューンは(R)本当に(O)周回軌道から(N)ノンストップの(C)カオスに向かっているのか?」
怒っている人もいる。ブログメディア「ファースト・ドラフト」発行人のアリソン・ハンチェルさんは、ジャーナリストは、時に命を落とすこともある職業であるとし、こう述べている。「"tronc"よりはましな扱いを受ける資格がある」
ニューズ・コーポレーション戦略担当上級副社長のラジュ・ナリセティさんは、こう指摘する。
もしトリビューン経営陣の狙いが、ガネットの買収と評価額の議論からみんなの目をそらすことだったとすれば、彼らは今日、見事にそれに成功した。
ナリセティさんの言うとおり、トリビューン(トロンク)に立ちはだかる喫緊の問題が、ガネットによる買収攻勢だ。
●ガネットによる買収攻勢
ガネットは米国最大の新聞チェーン。全国紙、USAトゥデイのほか、デトロイト・フリー・プレス、シンシナティ・エンクワイヤラーなど107のローカル紙を擁する。
そのガネットが、トリビューンに手を伸ばす理由は、生き残りのための"規模"だ。
新聞業界では、収益の見込めるテレビとデジタル部門を残し、苦戦が続く新聞部門を分割する動きが、3年ほど前から広がっている。
ガネットも例外ではなく、昨年6月、新聞部門がガネットとして分離。収益性の高いテレビ46局とCars.com、CareerBuilder.comというインターネット事業は存続会社「TEGNA」に残った。
そしてガネットは規模拡大に動き出す。
今年4月には、ミルウォーキー・ジャーナル・センチネルなど15紙の日刊紙を持つジャーナル・メディア・グループの買収(2億8000万ドル)を完了した。
次の標的が、トリビューンだった。
●IT長者の参戦
トリビューンも2014年8月、テレビ42局を持つトリビューン・メディアと、新聞部門のトリビューン・パブリッシングに分離している。
そして今年2月、IT起業家、投資家のマイケル・フェロさんが、4億4400万ドルでトリビューンの株式16.6%を手に入れ、筆頭株主として、経営に乗り出した。
自らは会長に。そしてCEOには、知人のジャスティン・ディアボーンさんを据えて、舵取りを始める。
ご多分に漏れず、業績は下降線をたどっている。純利益を見ると2013年が9400万ドル、2014年が4230万ドル、そして2015年は270万ドルの損失だ。
目指す戦略は、やはり規模の拡大、そしてイノベーション。
3月にはまず、ロサンゼルス周辺のオレンジ・カウンティ・レジスターとリバーサイド・プレス・エンタープライズを5600万ドルで買収している。
そして4月、ガネットによるトリビューンの買収提案が公表される。
1株あたり12.25ドルで、3億9000万ドルの負債負担を含む総額は8億1500万ドル。
株価の63%上乗せ、2016年の税引き前利益(EBITDA)見通し(1億6600万~1億7200万ドル)の5.6倍という提案だ。
だが5月初め、トリビューンはこれを拒否。
ガネットは同16日、1株あたり株価に99%上乗せの15ドル、総額8億6400万ドルと買収金額を引き上げた提案を公表。
だが、同23日、トリビューンはこれも拒否する。
一方のガネットは、トリビューンの株主にも揺さぶりをかける。
トリビューン側も防衛策を取った。著名な医師で起業家のパトリッック・スン・シオンさんから7億ドルの投資を受け、副会長に迎えた。
ただ、この防衛策をめぐっては、株主から訴訟も起きているようだ。
そして、6月2日にトリビューンの株主総会を迎えるが、人事提案なども承認され、トリビューンは何とか乗り切ったようだ。
すでに、ガネットが買収を断念するのでは、との観測も流れているという。
●ミレニアル戦略
トリビューンの社名変更には、ブランドをテクノロジー寄りに振り切って、おそらくは若者層(ミレニアル世代)を取り込みたいという戦略もあったのだろう。
ロゴのデザインにも、そんな雰囲気が感じられる。
ただ、もう少し考えてもよかったように思う。
「トロンク祭り」も織り込み済みのブランドキャンペーンだったのなら、それはそれで新しさを感じないでもないが。
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■ダン・ギルモア著『あなたがメディア ソーシャル新時代の情報術』全文公開中
(2016年6月4日「新聞紙学的」より転載)