今夏、33歳の若さにして甲子園優勝を果たし、栃木県に54年ぶり深紅の大優勝旗を奪還した作新学院硬式野球部 小針崇宏監督は、同校の卒業生でもあります。
自身も2000年の春、2年生ながらチームの主力選手として甲子園に出場。その一方、学業でも常にトップクラスの成績を修め、卒業後は筑波大学に進学。最新の科学研究データに基づき人間性に富んだ指導理論を専攻しました。
2006年、体育科教諭として母校に戻り、その夏から監督に就任、高校野球史上最年少の26歳でチームを甲子園に導きました。監督として10年という節目を迎えた今年、6夏連続甲子園出場を決め、"全国優勝"という夢を実現させました。
先日、そんな小針監督に学院広報誌『作新の風』第58号(10月28日発刊予定)掲載のためインタビューを行いました。本ブログではこの夏の甲子園での秘蔵写真とともに、前篇・後編のスペシャルバージョンで先行配信します。
甲子園優勝、その最大の勝因とは
畑:今年の夏は、卒業生の萩野公介選手の金メダル獲得に始まり、リオから甲子園へと世界規模で"作新の風"が吹き起こり特別な夏となりました。
あらためて、優勝おめでとうございます。
小針:ありがとうございます。
畑:率直なお気持ちとして、優勝の実感はいかがですか。
小針:正直、これだけたくさんの学校関係者や地域の方々、栃木県民の皆さん方に、こんなにも喜んでいただけるとは思っていませんでした。優勝できて本当に良かったと感じています。
畑:甲子園は神が舞い降りる「聖地」だと、6夏連続してアルプススタンドから応援させてもらい実感しますが、今回全国優勝が叶った一番の要因は何でしょう。
小針:どれだけ本番で、選手たちを楽しませてやれるかが最大の目標です。特に甲子園はそういう雰囲気にさせてくれます。
県大会を勝ち抜く方が、互いに苦しさがあると思いますが、甲子園に行くとそこでどれだけ楽しむことができるかというそこに焦点を当てています。
とにかく楽しめたら勝ち、楽しめなかったら負けということで、「死ぬ気で楽しもうぜ」と選手たちに毎試合話していました。
あれだけの緊張感と暑さの中で、勝ちたいという気持ちと自分のプレーとのギャップを考えると、どうしても楽しめなくなってきますから。
畑:甲子園の試合はまさしく山登りで、勝ち進むごとに上りの傾斜がどんどんと険しくなっていきます。より強豪との対戦となると、普通は緊張して試合の雰囲気や展開の仕方が変わってくるものですが、今回のチームは最後までまったく変わりませんでしたね。
決勝戦が終わっても、まだ試合があるような気がしました。
小針:そうですね。本当に自分も同じ感覚でした。優勝しても「まだ明日試合があるんじゃないか?」という感じで。帰りの新幹線の中でも「帰ったら明日また試合があるんじゃないか?」とみんなで話していたくらいです。
畑:それだけ、試合をすることを皆が心の底から楽しめていたということですね。
小針:ただ決勝戦だけは特別に感じました。本当に夢の中で試合をしているような感覚が自分自身にありました。
「日本一を決める決勝戦なんだ」という観客の方の思いが伝わってきたのだと思います。
畑:逆にそう感じながらも、いつもと同じように、また明日試合があるような感覚でプレーはできたというのはすごいですね。
小針:それがこのチームの特徴でした。完全に「相手が敵」ではなく「自分たちが敵」という感覚でした。本当に山本キャプテンのカラーがチーム全体に浸透していたのがありがたかったです。
畑:やっぱりキャプテンのカラーというのがあるんですか。
小針:そうですね。キャプテンのカラー=チームのカラーに毎年なると思います。
畑:今回のチームは、ちょっとそっけなく思えるくらいにいつも平常心で、最初から最後まで浮足だったところがありませんでしたね。初戦前日に院長と私で宿舎を激励した際も、集中力の高さを感じました。
小針:いい試合をやると満足感や達成感があるものですが、自分が活躍してもチームが勝っても、そういうのはまったくなかったです。その試合に満足すると次の試合は負けることになる。
勝っていく毎に緩んでいくのではなく、引き締まっていくチームが最後まで残るということを選手たちに毎年言ってきましたが、今年はそれをずっと貫いてくれました。それが大きかったと思います。
また、選手たちは自分たちのことを強いとかうまいとか思ってないと思います。
畑:そうですね。優勝インタビューの時も、山本(拳輝主将)・今井(達也投手)両選手とも、「自分たちなんて実力もないのに...」と何度も繰り返していました。
小針:自分たちの力だけで勝てたのではないことを実感していたのだと思います。主将が言った「(野球部の優勝でなく)作新の優勝です!」は、本当にいい言葉でした。
それぐらい周りの方にお世話になり、応援していただきましたから。
野球部員のサポートのメンバーとか応援団、チア、吹奏楽、学校のみなさん方の熱い応援とか、地域の方々の支えがあっての甲子園大会出場、優勝だと思います。
畑:作新というと全員が「地元っ子」ということを評価してくださる方が、最近全国的に増えてきたと実感しています。
小針:優勝をこれだけ喜んでいただいている方の中には、選手のご家族はもちろん、小学校から教えてくださった監督やコーチ、中学校の先生や仲間たちなど、1人の選手に対して関わった人は何十人もいるわけです。
地元が沸くというのは、そういった方々の心が向けてくれているのだと思います。
そう思うととてもうれしい優勝でしたし、選手たちのプレーも、地元に勇気と感動を与えられたのではないかと思います。
「文武両道」で夢を叶えられた母校
畑:監督自身がまさに地元っ子であり、作新の卒業生です。
自分が育った母校で指導したいという気持ちは、いつ頃から芽生えたのでしょう。
小針:2000年のときに21年ぶりの選抜甲子園も経験させてもらえましたし、勉強も野球も文武両道という形でやらせてもらえました。
だから、将来は母校で指導者として恩返しができたらいいなという気持ちは強かったです。
畑:作新で受けた教育の何が、監督の気持ちをそこまで動かしたのでしょう。
小針:野球漬けの毎日でしたが、自分の希望する(筑波)大学に行かせてもらえ、夢が目標になり、目標が達成できました。本当に可能性を叶えられる高校だと思いました。
生徒たちにもそういうことを授業中に話しています。「作新は可能性を叶えられる学校だ」と。
畑:文武両道という意味でも、在学中から小針監督はいつも一番優秀なクラスに在籍していましたしきわめて優秀だったと思います。
ただ「野球漬けだった」という高校生活の中、どのように勉強していたのですか。
小針:勉強は先生方の指導のお蔭で、ほとんど授業中です。もちろんテスト前はちょっと時間を取っていた覚えはあります。
畑:やっぱり授業中に集中していれば、授業だけで十分成績は伸ばせるということですね。
小針:要点というか大事なところだけは聞き逃さないようにしていたと思います。
ノートに板書を写すわけですが、書いてあるのをそのまま写すのではなく、自分なりに付け足したり、逆に書かなかったり。
ある先生から「世界に一つだけのノートを自分でつくりなさい」と言われたのがきっかけでした。
「後で見直したときに自分なりのノートがあった方がおもしろいでしょ」と言われて、「ああ、そうか!」と。
畑:「要を得る」ことが肝心なのは学習も野球も変わりませんね。
小針:ただやっぱり「点数を取りたい」という欲もあったと思います。負けず嫌いな部分もありましたから。テスト前はしっかりやっていた気がします。
畑:当時は全体練習が長かったと思います。寝る時間を削ったわけですか?
小針:そのときによってです。夜通しやったというわけではありません。時間を決めてここまで、終わらなかったら明日の朝にという感じでした。何でも負けちゃいけないですから。
畑:そうですね。何でも負けちゃいけないですね。でも、休日もなく、テスト前は自主練習ということもない時代ですよね。
小針:時間の使い方は考えてやっていました。いかに時間をつくり、どう使うかが大事でした。
畑:確かに、強い子、伸びる子を見ていると、弱音を吐きませんし言い訳もしません。厳しい状況に置かれてもそれを否定的にとらえるのでなく、どうしたらその状況を改善できるかという見方をしますし、さらにはピンチすら自分が成長できるチャンスだととらえますね。
小針:どう取り組むかという前向きな発想になりますね。
次回、後篇に続く...