萩野公介 五輪初金メダル獲得!

リオ五輪日本初の金メダルを、本学(作新学院)卒の萩野公介選手が本日獲得させて頂きました。多くの皆様からのご支援・ご声援の賜物であり、心より御礼申し上げます。

リオ五輪日本初の金メダルを、本学(作新学院)卒の萩野公介選手が8月7日獲得させて頂きました。多くの皆様からのご支援・ご声援の賜物であり、心より御礼申し上げます。

奇しくも8月7日は、甲子園大会の開会式でもありました。作新学院はお蔭様で、6夏連続で甲子園大会に出場させていただき、萩野選手のレースと相前後して、硬式野球部の選手たちは念願の甲子園球場を優勝旗とともに行進させて頂きました。

こうした偶然の一致は、実はこの日だけではありません。

萩野選手は今回のリオ五輪で、400m個人メドレーに続き、200m自由形、男子リレー、200m個人メドレーとあと3個のメダル獲得を目指しますが、先日の甲子園組合せ抽選会の結果、萩野選手の最終レースが行われる12日、作新学院は甲子園で初戦を迎えることとなりました。

実は、こうした偶然はロンドン・オリンピックでも起こっています。

中学・高校の6年間を作新学院で過ごした萩野選手は、高校3年生の夏、ロンドン五輪で日本人高校生としては56年ぶりにメダルを獲得しました。この時にも、萩野選手のメダル獲得から数時間後に硬式野球部は県大会で優勝。日本時間では同日に、作新学院の五輪メダル獲得と甲子園出場がともに決まりました。

中学生の頃から萩野選手を見て来ましたが、これまで数えきれないほどの“偶然”や“奇跡”を体験させてもらいました。

大きな世界大会の前には必ずと言っていいほど、私が日頃参詣をしている幾つかの神社の大祭があり、萩野選手のもとに御札・御守りが自ずともたらされることになっています。

中には、日頃は1体しか届かないはずの御札が、なぜかオリンピック前には2体届く、それもロンドンに続いてリオでも直前に2体届くということが起きました。さすがにリオ五輪前には宮司様が気を遣って下さったのかと思い、御礼を申し上げたところ、ご自身はそういう指示はしていないとのことで吃驚しました。

今回、萩野選手がリオに到着した日には、日本の空に珍しい彩雲(虹色に輝く雲)が見られました。

天文好きの夫から送られてきた写メをみたところ、なんとその雲の左には七色の鳳凰が、右には降臨する龍の姿が見られました。

そして開会式のリハーサルが行われた甲子園球場では、一瞬駆け抜けた風に、なぜか作新学院の校旗だけが翻るという吉祥も現れました。

オリンピックも、甲子園大会も、スポーツという以前に「神事」であると私は理解しています。

作新学院はお蔭様で毎年20以上の部活が全国大会に出場しますが、私が自分自身に応援に行くことを許している大会は、甲子園とオリンピックだけです。それ以外はどんなに見たくても応援したくても、それは叶いません。

なぜなら、神事ではないのに特定の部活や選手だけを応援をしたら、すべての部活動に対して平等に接するという大原則が崩れてしまうからです。ですから硬式野球部の活躍も見られるのは甲子園での試合のみで、県大会はテレビ中継さえも見ないと心に決めています。

その代り、神事である大会を応援に行く際は、あくまでも「神事」ですので、前日から潔斎をして選手同様に命懸けで臨んでいるつもりです。

萩野選手を見ていると、天は与えもするし、奪いもすることを痛感します。

確かに萩野選手は水泳の神様から特別に愛され、卓抜した才能を与えられて、幼い頃から数々の栄光を手にしてきました。しかし天から受けた愛に応え続けるということがいかに過酷なことであるか、それは想像を絶するものがあります。血を吐くような努力を毎日毎日一瞬一瞬、ここまで続けて来たのだから、それは天も萩野選手を祝福されるだろうと納得します。

「担わされた使命の重さに負けず、自分の運命から逃げなかった者だけが、人生の勝者になる」ということを、私は萩野選手から教えられました。

萩野選手に与えられた試練の中でも、昨年の骨折事故ほど深い闇に彼を突き落とした出来事はなかったでしょう。しかし、「もう二度と泳げないかもしれない…」という地獄を見せられたことによって、むしろ彼は自分自身の人間としての壁を突き破ることができました。

「天は意味のない試練は与えない」こと、「試練を乗り越えた先にしか未来はない」ことを、萩野選手は金メダルで証明して見せてくれました。

少年時代の萩野少年の夢は、怪物の異名を持つ競泳選手 米国のフェルプス選手のようにオリンピックで幾つもの種目を泳ぎ世界の頂点に立ち、複数の金メダルを獲得することでした。その夢は、今も変わりません。

体格で劣るアジア人には競泳では不可能と言われた、複数種目での金メダル。常識をくつがえし、限界を超え、新たなフロンティアを切り拓くことこそが萩野選手の願いです。

新たな歴史の1ページを作る、そのスタートラインに立った萩野選手。彼の熱い夏は、まだ始まったばかりです。

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