如月 瑠璃に耀く九頭龍神社月次祭

山深いその立地だからこそ保たれる御山と湖水の霊気と神秘性が多くの人々を魅了し、近頃では屈指のパワースポットとして知られています。

箱根 芦ノ湖の畔に鎮座する九頭龍神社。

その本宮は、容易(たやす)く人を近づけてはくれません。

山深いその立地ゆえ、通常の参拝にはボートをチャーターして近くの桟橋まで近づくか、あるいはバスを乗り継いだ先に続く徒歩のみ進入が許される山道をずっと歩いて行くしかありません。

だからこそ保たれる御山と湖水の霊気と神秘性が多くの人々を魅了し、近頃では屈指のパワースポットとして人口に膾炙するところなりました。

ただ、月次祭が催される毎月13日だけは元箱根から参拝船が渡ることもあって、全国各地から大勢の方々が訪れ、狭い境内は人、人、人で溢れかえります。

縁あってもう5年ほど参拝を続けていますが、誕生日を直前に控えた2月13日、月次祭に列席させていただきました。

毎年2月の月次祭は積雪に見舞われることも多く、その場合は箱根神社にある九頭龍神社 新宮で祭祀が執り行われるのですが、今年は風もなく穏やかな快晴に恵まれました。

以前には毎月月次祭に伺っていた時期もあり、四季折々での御祭祀を体験させていただいたつもりですが、この日の九頭龍様のご機嫌はことのほか麗しく、これほどまでに碧く澄み切った湖水を眼前にするのは初めての事でした。

実は、55歳という人生の節目を前に来し方行く末について諸々思い悩むことも多く、このような堂々巡りを続けているくらいならいっそ思い切って伺おうと直前に思い立っての参拝でした。

ですから、すべての穢(けが)れや澱(よど)みを吹き払うかのようにどこまでも突き抜けた瑠璃色は、心の迷いを断ち切り魂を解放してくれました。

思えば今回が初めて、自分のために伺った九頭龍様への参拝でした。

そう言えば、どこからそういう話になったか自分でも記憶していないのですが、九頭龍様はこれまで私にとって専(もっぱ)ら「野球」の神様でありました。

通常、九頭龍様というと縁結びの神様、良縁の神様として知られ、実際、参拝客にも若い女性が目立つのですが、どういうわけか私は初めから野球の守り神としてこちらに参拝していました。

そのことをある日、神官の方にお話ししたところ一瞬キョトンとした顔をなさりながらも、「うーん、野球は9人で行うスポーツだからでしょうかね...」という洒落たお答えが返ってきました。

そう言えば、龍はその首(顎の下)に"如意宝珠"という如何なる望みも叶えてくれる宝玉を携えているとか。いわゆるドラゴンボールですね。

龍と玉には縁があるとして、でもそれなら別に野球でなくとも、テニスでもバレーボールでも球技なら何でも良さそうです。やはり、9という数字に意味があるのでしょうか?

とにもかくにもその御守護があってこそ、作新学院は甲子園で全国優勝させていただけたと深く感謝しております。

どうでもいいことのついでにもう一つお話しすると、オリンピック級の世界大会の直前になると、どういうわけか私からお願いしていないのに一体多く九頭龍様から御札が与えられるということが、これまで4回ほどありました。

もちろん、その御札はすべて競泳の萩野公介選手に渡しました。

最初の御札が与えられたのは、彼が高校3年で出場を決めたロンドン五輪、その直前合宿にこれから海外へ出発する時のことでした。

いまどきの高校生にいきなり通っている学校の理事長が、「御札をあげよう」なんて言ったら気持ち悪がられるに決まってる...と内心ドキドキしながら渡したところ、萩野選手は何のためらいもなく、と言うよりもまるで前からそう分かっていたかのようにいともスンナリと「ありがとうございます。いただきます。」と、爽やかな笑顔で受け取って行きました。

結果、彼は日本人高校生54年ぶりのメダリストとなって帰国しました。

2度目は、仁川で開催されたアジア大会直前。萩野選手は、この大会で4冠を達成し、水泳だけでなく全種目を通してのMVPに選ばれました。

3度目は、昨年のリオ五輪直前。この時はもう驚きと言うより、「やっぱり届くんだ」という感じでした。さすがに今回は神社の方で気を利かせて下さったのだろうと思い、宮司様にお電話で確認したところ、そういうことは誰もしていないとの事でした。

ご存じの通り、リオ五輪で萩野選手は悲願の金メダルはじめ銀、銅と3つのメダルを獲得しました。

水神である九頭龍様は、やはり水泳選手を護られるようです。

トランプ政権が誕生し、世の中の天と地が逆転するような筋違いばかりが横行する世の中になってしまい、つくづく私には誰かを護る力などないことを痛感します。

誰かを、何かを護りたいと思うことすら、今の自分には身の程知らずで思い上がった行為のように思われ、自らの非力さに打ちのめされそうになります。

それでもここにこうして生かされているのはなぜか、55年も馬齢を重ね自分は一体何の役に立ってきたのか、そんなことでこの先も本当に生きていると言えるのか。

紺碧の湖水の如く、もっともっと心を澄ませて、自問自答を続けなければならない時に来ていると感じています。

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