「プログラミング教育」小学校必修化を前に ~克服すべき3つの難題

全人教育の基礎固めをしっかり行うべき小学校での教育課程に、いきなり「プログラミング教育」のしかも"必修化"をせまるのは、いささか違和感を禁じ得ません。

文部科学省が2020年度から、小学校におけるコンピューターのプログラミング教育を必修化する方針です。この方針は、政府の産業競争力会議で示された新成長戦略にも盛り込まれました。

スマホやSNSが日常生活の欠かせぬ一部となり、生活のあらゆるモノがインターネットにつながり(IoT)、進化した人工知能(AI)が最適化に向けて様々な判断を行う「第4次産業革命」が目前に迫っている昨今。産業のみならず、人々の社会や暮らしまでもが劇的に変化するであろう新たな時代の到来に備え必要な資質や能力を育むため、コンピューター技術の"原理"や"思考方法"などを子供の頃から学んでおくことは必要であると、私も思います。

また確かに、海外で進展する小学校からの情報教育に、日本がキャッチアップして行かなければならないのも事実です。オバマ大統領は、コンピューター教育を充実する計画を年初に発表、幼稚園から高校までの児童生徒全員がコンピューターサイエンスのカリキュラムを確実に受けられるよう3年間で40億ドル以上を各州に投入するよう要請しました。その他にも、英国、韓国、フィンランド、オーストラリア、シンガポール、イスラエル、エストニアなど多くの国が、プログラミングをめぐる情報教育に取り組んでいます。

では今回、政府が「情報教育」ではなく、「プログラミング教育」と明記する背景には何があるのでしょうか。それは、今後懸念されるWebエンジニアをはじめとしたIT人材の不足です。経済産業省が発表した調査によると2020年に37万人、2030年には79万人のIT人材が不足すると予測されています。

国際的な産業競争力を高めるために、IT人材の養成・確保が欠かせないことはその通りと思いますが、だからといって全人教育の基礎固めをしっかり行うべき小学校での教育課程に、いきなり「プログラミング教育」のしかも"必修化"をせまるのは、いささか違和感を禁じ得ません。

また教育現場に身を置く立場から申し上げれば、プログラミング教育の必修化により本当に教育効果を高めようとするならば、少なくとも以下の3つの問題をクリアする必要があると思います。

第一は「授業時間」の確保です。

既に小学校では、外国語教育(英語)を新設するため、総合的な学習の時間を削減して授業時間数をひねり出しています。2020年度には英語の「3年生から必修化」「5年生から教科化」が完全実施されます。既にカリキュラムは完全に飽和状態であるところへ、更に新たな教科や教育内容が必修化されれば、新しく加わる授業時間を確保するため、現在実施されているカリキュラムや教育内容を削減せざるを得なくなります。

こうした場合、いの一番にカット候補に挙げられてしまうのが、思考能力やプレゼンテーション能力を養える「実験」や「体験学習」あるいは「アクティブ・ラーニング」のような授業時間です。

実際、かつて「ゆとり教育」が実施された際、理科では実験の時間がほとんど確保できなくなりました。授業時間が削減されるのに、教科書で学習すべき内容が変わらなければ、結果的に授業は教科書をさらうだけのものとなり、物事の原理について子どもたちに考えさせたり、実験によって仮説を立てさせ検証させたりという時間は確保できなくなってしまいます。このように授業時間の削減により、思考力を深める時間が奪われた教科は理科だけではありませんでした。

今のところ、文部科学省の有識者会議がまとめた案には、プログラミング教育という新科目を設けてプログラミング技術を教えるわけでなく、既存の科目の中で、プログラミングを活かした論理的な思考力を養うことが小学校段階では大事と記載されていますので、この点については大いに賛同できます。

ただ、授業時間数もまともに確保できないのであるとすれば、そもそもプログラミング教育の必修化は必要なのか?という疑問を抱かざるを得ません。現に文科省のプログラミング教育に関する有識者会議のメンバーである国立情報学研究所教授の新井紀子氏も、小学校におけるプログラミング教育の必修化について「考え直したほうがいい」(日経新聞)と明言されています。

新井氏は、習い事や課外活動としてプログラミングに取りむくことは望ましく、スーパーサイエンスハイスクールで情報について学ぶのも歓迎と述べられています。まずはこうした機会をとらえ、プログラミング教育を随時教育現場へと導入し、現場に一定の理解と興味が広がった段階で必修化へと移行するのが妥当ではないかと、私は考えます。

必修化を決定するのであれば、プログラミング教育の具体的な実践例や、その授業による教育的効果について、教育現場に共通認識を醸成できる環境整備を、まずは喫緊の課題として政府には進めていただきたいと思います。

第二の問題は「指導人材」の養成・確保です。

2020年度までに一人一台の情報端末での教育を、という政府の教育目標に対してすら、現場で指導を行う者たちからは不安の声が上がっているのが実情です。プログラミング教育については、さらに高度な知識やスキルが必要とされるため、研修制度の確立と研修時間の確保、専門家の協力や情報の教員免許を持つ教員の増員などが必要となります。

プログラミング教育を小学校一年生(5歳)から必修として学び、プログラミング教育先進国の一つである英国では、必修化に先立ち、子どもたちを教える教員へのプログラミング教育をまず実施しました。英国政府は50万ポンド(当時の円換算で8500万円)を投じて、民間企業のカリキュラムを教員が学習するという教育訓練を実行したそうです。

算数の時間を使ってアルゴリズムを教えたり、図工の時間を使ってロボットを組み立てプログラムを動かしたりなど、既存のカリキュラムの中にコンピューターサイエンス的な視点を入れて授業を展開することは、可能であるし望ましいことでもあると思います。ただ、それを実践できる小学校教諭はきわめて限られています。

2020年度からプログラミング教育を必修化するのであれば、指導人材の養成・確保には早急に取り組まなければなりません。付言させていただけば、小学校教諭は現状において既にきわめて過酷な労働を強いられています。昨今のモンスターペアレント問題を筆頭に、小学校の教諭たちは授業時間以外にも対応・処理すべき多様な問題を抱え、ともすると疲弊しかねない状況にあります。

そこに新たにプログラミング教育のための研修時間を確保しなければならないとしたら、その分だけ子どもたちと向かい合う時間が失われかねないことを、教育行政を司る方々にはよく認識していただきたいと思います。

たとえ既存教科の内容を応用することでプログラミング教育を実践するとしても、その負担を小学校教諭だけに負わせるのはあまりに酷なことです。企業や大学・研究所あるいはそうした組織をリタイアした方々などによる人的支援を、全国の小学校に幅広く行き渡らせることが、プログラミング教育の成功に向け必須であると思います。

第三は、「指導方法・教育教材」の開発・普及です。

論理的な思考力や問題解決能力を養うためのプログラミング教育とは、一体どのように実践すればよいのか。

その具体的な指導方法や教育教材が示されない限り、ほとんどの教諭は指導ができません。もちろん中には、特別な知識やスキルそして意欲を持って取り組める教諭もいるでしょうが、全国にプログラミング教育を普及させるためには、指導方法や教育教材の開発が人材の養成・確保とともに欠かせません。

しかも、開発した内容が実際に浸透し実践されていくまでには、啓発や普及に膨大な時間や努力が必要であることも忘れてはならない点です。いち早くプログラミング教育を「Computing」という教科として位置づけ取り組んでいる英国でも、いまだ従来のICTリテラシーや情報活用能力の習得の指導にとどまっている学校もあるとのことで、指導者のトレーニングや新教科の普及・啓発が当面の課題であると報告されています。

プログラミング教育が未来を拓く教育プログラムとして本当に重要であるのだとすれば、「他の国に後れをとってはいけないから、とりあえず必修化してみました」というような、中途半端な導入の仕方はやめるべきです。ましてや、プログラミング教育の実施により恩恵を受ける関係団体や企業だけが潤って、投入した税金が結果的に死に金になるというような事態は絶対に避けなければなりません。

授業時間、指導人材、教育教材、この3点を確保するために、政府は教育現場のIT化を電子教科書の導入をはじめハード面だけでなく、ソフトやコンテンツの面からも全力で推進してほしいと思います。

ただ、予算も授業時間数も人材も、すべては限られています。是非、プログラミング教育導入を契機として、思考力や読解力、問題解決力や問題設定力を高めるため、「教育内容のリストラ」について、文科省の審議会や懇談会はもちろん社会全般で議論を深めて行くべき時に来ているのではないかと思うのです。

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