新年あけましておめでとうございます。
新春の風に早(はや)その香を託すかの如く、京都 北野天満宮から作新学院に寄贈された御神木「寒紅梅」が、愛らしい紅をほころばせ始めました。
北野天満宮は、菅原道真公を御祭神として祀る全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本山。
境内・敷地には、道真公ゆかりの梅50種約1,500本があり、花の時期には約2万坪の境内一円で紅白の梅が咲き競います。
その北野天満宮様から昨年、学院創立130周年を記念し設立した「作新アカデミア・ラボ」の竣工を祝い、四体の御神木(梅木)が下賜されました。
菅原道真公と言えば学問の神様。
しかしながら北野天満宮から御神木が学校に寄贈された例は滅多になく、富士を越えての東下りはもちろん今回が始めてのことだそうです。
贈られた御神木の先陣を切って、高貴で愛らしい花を咲かせてくれた寒紅梅。
道真公は、崇敬する人たちからは「菅公(かんこう)さん」と呼ばれ親しまれていますが、その名を冠す寒紅梅は、文字通り他の梅木に先駆け寒中に紅色の八重咲花を咲かせます。
それにしても、12月下旬からの開花は些か早過ぎるのではと思い、天満宮にご報告したところ、
「当地は本年、殊の他寒冷であるのか、まだ一輪たりとも蕾も結んでおりません。それはもう驚きで、学院の瑞兆に他なりません。」
と、送り出した御神木の順調な生育の証である開花を寿いで下さいました。
実はこの寒紅梅、一目見た瞬間から、精霊と言うか、何かただならぬ神性が宿っているのを直感しました。
もちろんお迎えしたどの御神木も、身分違いのお姫様に遠路遥々、東下りの末にお輿入れをいただいたようで、どこか申し訳ない気持ちをずっと持ち続けてはいましたが、中でもこの寒紅梅への思いは格別でした。
神々しくて、勿体無くて、近づいて見ることすら憚られるような霊気(オーラ)を放っているのです。
その枯淡な枝ぶりから伺えるように、もう相当の齢を重ねていることもあったのでしょうが、実は移植後なかなか水揚げが思うに任せず、担当の造園家さんは毎日どころか、日に幾度も見回って下さり、地面への注水を重ねて下さいました。
アカデミア・ラボの責任者も我が子のように朝に夕なに気にかけ、他の御神木に先がけ早々に葉を落としてしまった際には、人知れず心を痛めていたそうです。
命に代えてでも御神木を枯らしてはならないという造園家さんの丹精が、大神様に届いたのでしょうか。
10月の半ばを過ぎたある日、突然、寒紅梅が数輪の花をほころばせたのです。
その日は奇しくも、私が北野天満宮にアカデミア・ラボのグランドオープンが無事終了したことを報告に伺う、前日のことでした。
「作新アカデミア・ラボ」は、加速するグローバル化や来るべきAI時代に対応できる"人間力"を育成する、新たな教育機関です。
混迷を深め、不確実性が高まる未来を切り拓き、これからの世界や地球を担って行ける人財を育てる上で、最も重要で必要不可欠な教育の場であるという、自負と確信のもとに設立しました。
しかしながら今のところ、「日本の教育のあり方そのものを刷新する」という志への共感は、地元では希薄と言わざるを得ません。
その証左として、アカデミア・ラボのグランドオープンへの報道取材は、衆議院の解散当日と重なってしまったこともあったかとは思いますがゼロでした。
未来への危機感と現在の日本教育への焦燥感に突き動かされ、何かにとり憑かれたような勢いで立ち上げたアカデミア・ラボ。
施設をようやく完成させ、稼働にまでは至ったものの、実際にその志を実現して行く上では、人材の確保や育成を筆頭に、課題は肥大化するばかりです。
やはりこんな先進的な教育機関を、きわめて保守的な地方都市に作ったこと自体、そもそも間違いではなかったのか。
信念が揺らぎ、絶望と恐怖に押し潰されそうになっていたその時、寒紅梅開花の知らせが届きました。
どんなに厳しい冬にも、身を切るような寒風に向かい、誰よりも先んじて道を切り拓く。
「革新」こそが「作新」の使命。
京の都より格段に厳しい下野の地にあっても、どの花よりも早く凛として可憐に咲く寒紅梅に、今一度そのことを教えられた気がしました。
御神木に、いつの日か学院の守護神となっていて頂けるよう、まずはとにかく人事を尽くさねばと心に誓いました。
まだまだ心定まらぬ不束者ですが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。