選挙結果を見ながら日本における全ての『改革』について考える(後編)

この記事は、先日の衆院選直後に、この結果に「不満」な人にも希望が持てる道筋を示そうという意図で書かれたものですが、長過ぎてハフィントン・ポストのシステム上途中でカットされてしまったので、前後編に分けて再掲載しているものです。

この記事は、先日の衆院選直後に、この結果に「不満」な人にも希望が持てる道筋を示そうという意図で書かれたものですが、長過ぎてハフィントン・ポストのシステム上途中でカットされてしまったので、前後編に分けて再掲載しているものです。

前編の記事では、日本におけるあらゆる「ナアナアに全ての改革が通らずに終わってしまう状況」に不満を抱いているのは、安倍政権への賛否問わず実はほぼマジョリティといっても良いほどなので、

A・「左翼ざまぁ!」的な凱歌を上げている人

B・「とりあえずほっとした」という人

C・「絶望した!右傾化する日本に絶望した!」

という反応が今回の選挙に対して大まかに分けられるわけですが、「Cの人はBと連携をしながら、結果としてAの人も実は喜べる・・・という形での合意形成を目指す」ことが、「安倍政権が嫌いな人」にとっても納得がいく方向性が日本に生まれるためには必須だろうという話をしました。

その問題をより深く掘り下げると、日本における「改革」がなぜ進まないのか、安倍政権的なものがなぜ強いのか・・・という原因は、

「古い国体」vs「ものすごく荒っぽい改革主義」的な二者択一

になってしまうからであり、そこで「前に進まなかったこと」の強みと弱みが表裏一体となった部分にこそ日本のユニークネスはあるわけです。

つまり、日本人はアメリカ型のグローバリズムに馴染まない丁寧さを総体として持っている分、過去10年の「ゴリ押しの改革」においては遅れを取っているが、「そこに乗りきれなかったからこそ」残っている強みを一貫して発揮していくことで、「末端のあらゆるみんなの生活」に対する抑圧を発展的に昇華していくことができるんですね。

しかし、そのためには「グローバリズム的な最大公約数の世界」だけしか知らずに生きている世界中の人たちに、「その先の密度感がある」っていうことを理解してもらう一貫した売り出し方を発明していく必要があります。

こういう「勝ち方」ができるようになれば、その「売上の流れ」自体が「日本の安定感」を無理なく支えてくれるので、「右傾化」とかが必要なくなって、「よりオープンで風通しの良い改革」を進めて行ってもいろいろな問題が起きなくなってくるんですよね。

逆に言うと、「この売り込みフロー」が動いていないならば、日本は内向きにならざるを得ないし、右傾化せざるを得ないし、今回の選挙結果に不満なあなたの願いは抑圧され続けるだろう・・・という、「キーレバー」がここにあるわけです。

もちろん、それには「一般論じゃない個別解」=「そのための特注品の戦略」を共有していくことが必要です。

それについて話すのが後編の主題であり、その「戦略」を実現するためにこそ、日本における左翼メディアや人文系の知識人(つまり多くの場合安倍政権が嫌いな人)の力が必要であり、あなたがたの良心や矜持を遺憾なく発揮できるフィールドがあるのだということを、ぜひ理解していただきたいと思っています。

では、後編のはじまりです。

以下、ちょっとマッキンゼー風のチャートでご説明します。別仕事の流用品ですが、結構真面目な出来なので、見慣れない方には新鮮さを感じていただけるかと思います。(全てクリックで拡大します)

こういうのは、「現場の力は凄いあるけど全体的連携は皆無」的な(多くの)日本の会社の文化で生きておられる方にとっては新鮮さがあるチャートだと思います。

このチャートはもともとはある特定の会社のある特定の商品について作ったものを改造して一般化したものなので、たとえば「入口商品」ってどういうものなのか・・・というような細部がわかりにくいかもしれませんが、その辺は想像力で補っていただきながらちゃんと読んでもらえると、色んな産業の色んな商品に応用できるはずです。(場合によっては"入り口商品"でなく"勝てるタイプの顧客"にフォーカスすることが鍵の業界もあると思います)

もしあなたの会社で応用できそう!と思ったら、この画像をダウンロードして、著作権フリーで使ってくれて構いません。印刷したりタブレットで表示したりして、ぜひお仲間との議論の土台にしていただきたい。(元データでないと細部が読めないと思うので、それぞれクリックして別窓で開いてから保存してください)

こういうフレームワークを元に、特に3枚目の各階段ごとの、「施策ABC」と書いた所などが自分の会社の場合どういうものにあたるだろうか?とあなたの会社で公式あるいは非公式に議論されると、「そういやこの前出てたアイデアはここにあてはまるのか」的に整理されるはずです。

「Aが大事だ派」と「Cが大事だ派」がお互いが敵だと思ってケンカしてたんだけど、実は同じ一連の戦略の2つの「部分」を主張してただけだったよね・・・ってなったりすることもある。(入り口商品になりそうな"アイデア重視"派と、"フラッグシップ機"的なものが好きな人はキャラ的に不倶戴天の敵になりがちなんですが、"もうそういう時代じゃないぜ"vs"うっせー黙ってろ"的な対立を超えて、一貫した戦略でやれば"両輪"になるんだ・・・と思えるといいですね)

体験的にいうと、こういうフレームワークが出せた場合、それぞれの「箱」に入れるべきアイデアは今から新しく考え出すまでもなくすでにその会社内で「何度も提案」されていたりすることが多いです。ただ単発のアイデアではうまく社内で合意形成できなかったり、実行してもコワゴワものすごい低予算しか出さなくて失敗した残骸のようなプロジェクトがホソボソと惰性で続いていたり(一度始めたら今度は辞めない 笑)するんだけど、「こういう全体像のこの部分ですよね!」という合意で「点と点を繋いで線にしていく」とうまく行く可能性が一気に高くなる。

こういうのは、わざとらしく「囲い込むぞ!」って思ってもあんまりうまく行かないことも多いんですが、今の時代それほど消費者側から見て「囲い込まれ感」があるものじゃなくてもスマートに自然に「keep in touch」状態にできるIT的なしくみって沢山ありますからね。そのへん、「線にしていくぞ」という思いと、「中心にある本当の価値」に対する自信さえちゃんと裏付けされた確実なものとして持っていれば、だんだん自然と繋がってくるはずです。

日本の会社は現場が賢い分、末端の末端までゴリゴリと欧米的トップダウンでやろうとしても、「箸の上げ下ろしまで口出されてやってられっか!」みたいなギクシャク感が生まれるんですよね。でもこの調度良い"中間的な抽象度"の「フレームワークレベルのこと」を共有して、「この全体像の流れの中の施策ABCについて全力をあげよう」という 「全体像の意志共有」さえできれば、あとは優秀な現場の人たちが「まだ何も言ってないのに!」というレベルで先に先に意志を具現化してくれてうまく行くことがあります。

最近、日本型ROE重視経営だとか、コーポレート・ガバナンス改革だとかの掛け声が盛んですけど、「本来やったら凄い良いのに合意形成が全然だから困ってたんだよね」という問題について、こういう「フレームワークレベルの合理性の共有」が進むのであれば、むしろ日本経済の起死回生の一歩になるでしょう。

しかし、そういう「下からの合理性を上から権威付ける」形にならずに、ただ「上からの論理を押し付ける中身のない議論」ばかり暴走するようになると、ただなんのビジョンもない自社株買いが横行したりするだけに終わります。金融技術による官製相場のお化粧がハゲた時には日本は本当にシャレにならない酷い状況に陥ることになるでしょう。

もちろん、個別の改革の現場レベルでは常にある程度は「断固とした意志を示す」ことも必要ではありつつ、その「環境」を整備していくためのマクロな文脈として見た時においては、「反発する人たち」を「時代遅れの抵抗勢力」扱いしないことが大事なんですよね。「反発があるということは、"本質的な合理性"からはまだ遠い上滑った論理しか通せてないからなんだ」というような発想にしていかないと。

この問題への解決が「必殺技」的な定型化したパターンに定着できれば、凋落する日本ブランドの大きなムーブメントとしての復権につながる可能性があるんですが、具体化レベルになると私の所のように経済思想家業と二足のわらじで一人でやってるコンサル会社にはビッグイシューすぎるので、各界の賢人の皆さんで協力しあって実現していってほしいなあと切に思ってるんですよ。

そのためには、ネット小売直販やバイラルメディアやSNSマーケティング的なのに強かったり、それぞれの進出先の国に根を張ってビジネスをしていたりというような「現場叩き上げ」的なプレイヤーも、グローバル経済的な論理をシッカリ共有していこうとするプレイヤー(ファンド・外資コンサルファームその他、狭義の"グローバル"な文脈で動いている働き手)も、電通博報堂的な意味での「クリエイティブ」さんたちも、そして、「それら一連の"意識高い系"とある程度隔絶していて、時代の下らない流行に惑わされない日本人の集団的安定感の存在」も、全部等しく必要なんですよね。

で、それぞれの「文化」が他の「文化」を押しつぶしてしまってそのイビツさにあとから復讐されてしまわない形で、日本全体としての「最適な連携」を生み出していくには、ある種の「市場主義」を旗印として動かしていくしかないんですよ。

おそらく、それぞれの「文化」を代表する「伝統的な会社」そのものではなくて、その良さを身につけつつも後に独立して個人でやってる身軽なプレイヤーたちが、ワンテーマごとに「7人の侍」とか「オーシャンズ11・12・13」みたいにうまくチームとして集って「日本の伝統的な大会社」と自由に連携して動けるようになると、日本は一気にスムーズな「全体的戦略」を通せるようになると私は考えています。(そういう連携が生まれてくれば、"個人プレイヤー"が、日本の強みである"集団プレイヤー側"の人間を憎悪してその強みごと解体しようとしがちな幸薄い現状を超えて、お互いの良さを出しあえればいいよねという当たり前のコンセンサスを持てるようにもなるでしょう)

でもどんだけ「みんなのための全体最適的な良いこと」を考えているチームができても、日本の縦割りな大会社の連携の弱さ・・・というのは全く「戦前日本の失敗と全く同じ問題そのもの」的な状態にあるので、そこに「横串を通していく大義名分としての市場主義」っていうのがものすごく重要になってくるんですよね。

そういう「上からの論理と下からの論理をちゃんと引き受けるロジックのありよう」を、日本のビジネスマン間の暗黙知として分厚く共有できるようになってくれば、あとはコーポレート・ガバナンス的な市場メカニズムによる統治によって、「みんなのための良識」が通るようになるし、それにあえて「抵抗」する意味も価値も正当性もないからみんな受け入れようぜ・・・という流れにもなるでしょう。

前編の記事で紹介したアトキンソン氏が、「さすがに80歳まで年功序列で果てしなく職人の給料あがっていって、それで若者を正社員にできなくて技術が衰退してったら本末転倒だよね」という決断をくだせたような、「そりゃここに決着するのが当然のフェアなあり方でしょう」というところに、ちゃんとみんなを持っていく大義名分としての「市場主義」の運用を、技術として日本社会が共有できるように持っていくのです。

最近、日本の高級オーディオメーカーが親会社からファンドに切りだされて独立し、身軽さとシッカリした当事者意識を手に入れて世界的に攻勢に出る例が増えていますが、まさに「そういう連携」を増やしていくことが、「日本の密度感」と「グローバルBtoCビジネス」を繋いでいく突破口となるでしょう。

そういう「良識と市場主義の結合」によって一歩ずつ改革が進めば、「抵抗勢力をぶっつぶせ!」的なことを吠えているだけで結局押し戻されてしまう「知恵の輪ができなくてかんしゃくを起こしたバカな怪力男」状態を脱却して日本における「改革」が最後まで進むようになるわけです。

最近、拡大主義で来たホンダがリコールを連発したり、タカタのエアバッグの問題が拡大したりと、ある種の「攻め気」に集中しすぎた日本企業の屋台骨が揺らぐような問題も発生していますからね。

だからといって「守り気」だけになって国内に閉じこもり続けていると、グローバルに本来取り込めるはずだった富の原資が枯渇して、「日本の美点」を守ってる人たちすらさらに根腐れ状態になってくるわけですよね。

だからこそ、「良識ある市場主義の共通了解」を分厚く共有していく中に、ありとあらゆる人の立場をいれこんでいって、それで持って「メッシュが高精細で柔らかく受け止められるサスペンション」をつくることが「さらに一歩でも前に進むための必要最低条件」になっているんですよ。極論が暴走する環境だと、危なっかしくて最初の一歩すら踏み出すことが不可能になる。

そうならないためには、「攻め気」と「守り気」がちゃんとバランスされたままグローバル展開していくことが必要で、そしたら「もうちょっとやってみようか」「いやそれはやりすぎだったな」っていうような揺り戻しを経ながら進んでいかないといけないのは誰しもわかることですよね。

そこで、「開国だ!」「いや鎖国だ!」的な極論同士の争いにならずに、「もうあとほんのちょっと右」「あ、いきすぎ?」「もうちょっとだけ左」と超高精細に一瞬一瞬に微調整が続けられるような形での意思決定文化の共有がないと、危なっかしくて「改革」なんて一歩も進められないわけです。

要するに今までの日本の「改革」は、

この絵↑の左側のように、「アクセル踏んじゃえ!」vs「ブレーキまだ付けてないんですけど!」という子供のケンカだったと言えます(この絵、かなり気に入ってるんですけど・・・これ見たらなぜ今の日本が内向きになってしまっているのか、あるいは"ならざるを得ない状況にあるのか"が一発でわかりますね)。

本当は、絵の右側のように、「ブレーキ付けました。テストも終わってます。じゃあアクセル踏みましょう」にしないといけないんですよね。

4・英国的良識との連携と、日本の人文系の思想家(及び左翼メディア)の可能性が最後の鍵

前編の記事で書いた、アトキンソン氏の活躍を見ていて思い出したんですが、私の最初の著作、『21世紀の薩長同盟を結べ』では、「英国風の物事の見方」と日本は積極的に連携していくべきだ・・・ということをかなりの分量を割いて書いている部分があるんですよ。

日韓関係と朝日新聞問題についての記事でも書いたように、アメリカの一極支配の終焉とともに、「あたらしい価値観」を世界は切実に必要としているわけですが、それは二極分化する極論ではない「ど真ん中」の良識を「適温」に 保ってくれるようなものが必要なんですよね。

そして、日本の中にその「次世代の希望」の「卵」自体は確実にあるんですけど、それを「孵化」する時に「日本の中だけの議論」だけで温めると世界的に見て「特殊事例」になりすぎて、理解されなくなっちゃうんですよ。それはどんな立場の人にとっても不幸なことなんですよね。

そこで、「アメリカ的な杓子定規さが嫌だ」からといって、「アンチ・アメリカ」的な感覚だけで、例えば大陸欧州や東アジア諸国やイスラム諸国と強固に繋がっていってしまうと、そういう関係は"気持ちの交流自体が勇気をくれる"というレベルでは凄く大事なんですが、それをより大きな政治経済ムーブメントに転換していこうとすると、「英語世界の完全に整備された世界共有システム」的なものと「完全に敵対」する形で盛り上がっていってしまって、もうファシズム政権ぐらいにならないと前に進めなくなってしまうんですよ(そうならないために、結局"ほんとうはこうなのにねえ"と遠い目で愚痴りあう程度にしかならず、現実的にはさらに果てしないアメリカ追従が世界中で続いてしまうし、アンチ・アメリカのイスラム国的暴走もさらに過激化していくんですよね)。

しかし、英国的な思考様式(イメージ的には"アメリカのシカゴ学派"みたいなゴリ押しじゃない、ダーウィンやアダム・スミスみたいな究極的な抽象度の見通しのあり方)からは、日本と「ある意味凄く遠いけれども理解しあえる」関係を作り出すことで、「日本の中にある次世代の希望の卵」を、「オープンな社会システムと無矛盾に接続する」という、まさにデーヴィッド・アトキンソン氏がやったような転換を生み出していける可能性がある。

そしてそういう連携から生まれたものは、そのまま英語世界へ移植でき、その英語世界の向こうにある「アングロサクソンシステムに溢れんばかりの怨念を抱いている国々」にもちゃんと『希望』として(しかも精緻に組み上げられた現代の世界運営のシステムと噛み合った形で)響いていくことになる。

アトキンソン氏に限らず、ここ数年私が読んだ本でふと思いつくだけでも、ジョセフ・ヒース氏(カナダ人)ジョン・クィギン氏(オーストラリア人)のような、「ドグマに陥らないバランスの取れた見解」を求める英領連邦の人たちの志向性・・・というのは、それと「日本人の奥底の良さ」を表裏一体に貼りあわせられれば「革命の種火」になり得る可能性を秘めていると感じられます。(それを考えると、やはり王室や皇室に対する信頼のありようが、"理屈万能のゴリ押し感"への慎重さを産むよく考えれた社会装置なのだと言えるかもしれません)

そういう方向性の詳細については、『21世紀の薩長同盟を結べ』をお読み頂きたいのですが、ただ、そういう組み合わせを実現していくためには、日本国内の知識人的存在が、幸薄い左・右対立みたいなものを超えてある程度はまとまっていくことが必要になります。

と、言うのも、アメリカ人みたいに形式的原則を押し通して末端でどんなカオスなスラム街が大量に生まれても開き直る・・・ってことが日本にはできないので、「オープンなシステムを入れ込んだ」だけの「良識の共有」っていうのは物凄くキッチリと力をかけてやらなくちゃいけないからです。

アフリカとかの政情不安の国では、選挙があって政権交代があったら毎回内戦が起きるのが普通・・・みたいな国だってあるんですよ。欧米社会だって今のシステムを始めた直後はギロチン祭りに欧州全体と世界中を巻き込む何度もの戦乱に・・・で大変だったわけで、「目指す理想」としてはともかく「それだけ追求すりゃみんな幸せ」なわけがないですからね。

アトキンソン氏は日本のそういう「防衛反応」について結構厳しい言葉を投げておられますけど、イギリスが「良識」を維持してるのは、彼らがある時期以降他民族に征服されたことがなくて、自分のところのお国言葉が世界中に通用する上に、アホみたいに大量に金持ってる世襲貴族が「"良識の維持"自体を仕事」として生きているからだったりするわけなんですよ。(それらの条件において日本は全部壊滅的ですよね)

さらにはそれだけ条件が揃っているイギリスでも、あまりにオープンなシステム原理主義的発想が行き過ぎて現地現物の微妙な差異をなぎ倒してしまう結果、現代世界の紛争の火種をそもそも撒いた国ナンバー1か2と言えるぐらいだし、まあこんな悪口は言いたくないけど、「料理がまずい」とあっちこっちに言われ続ける結果になってるのもそういう原因の「結果」なわけですよね。

君らちょっとニブいとこあるから教えといたるけど、そういうとこが、お隣のフランス人に影で嫌われてたりするとこなんやで。気ぃつけや!

スーパーの寿司や回転寿司もそれはそれで良いものですけど、「おまかせコースしかない大マジな寿司屋さん」って、それとは「別物の素晴らしさ」がやっぱりありますよね。もしあなたが行ったことがなければ、二人で数万円の予算の旅行に行くのを一回諦めてでも、ネットで評判の店を調べて予約して行ってみるといいですよ。それなら学生さんでも年一回の記念日とかならなんとかなる予算ですし。世界観がマジで変わります。

あの「カウンターの向こう側の立ち位置」に対して、下らないアカウンタビリティとか素人消費者のワガママとかが排除された空間が確保されてるのが、やっぱり「残すべき文化」だと私は思います。

だって、所詮消費者は寿司のこと四六時中考えたりしない人間ですからね。でも「寿司職人の世界」において徹底して四六時中それを考えて、千変万化する色んな魚の旬や食べ頃や料理法のほんのちょっとした違いに対して研鑽してる、ライバルの職人に負けてなるものか・・・と常に切磋琢磨している人間がそこにいるんですから、アレルギーで食べられないネタとかがある場合をのぞいて、「"押忍"の精神で出されたものをありがたくいただく」という場になっていることの「社会システムとしての意味」っていうのは物凄くあります。究極的には商売としてやってるわけですから、無意味な独善性に陥っていけばどうせ勝手に排除される一線は守られていますしね。

結局「アングロサクソン的オープンシステム」が世界中で紛争の火種になってるのは、「現地現物のこの豊かさ」を破壊しまくってるからなんだ、と言ってもいいぐらいで。

でもさっき少し書いたように、そういう「思い」だけで例えば日本とフランス人が「共感」ベースで動いていこうとしても、あまりに他の世界との差が広がりすぎて怨念が満ち溢れてくるんですよね。

こんな感じで↓。

「あいつらわかってねーよな!」「ウイー全くその通りですねー」的な感じで盛り上がることは、寿司職人とパティシエが自分の仕事へのガッツを保つための友情としてはとても良いものですけど、それを社会全体に押し広げることの大問題は歴史が証明しているところです。

だからこそ、「ある意味一番遠くて、ある意味一番近い志向」の「英国風に一段高い視点のオープンシステム」と「日本人一億人強が高度に空気を読みながら生きている毎日の生活の総体そのもの」を化学反応させていけば、そこに「アメリカの支配力の退潮を代替するあたらしい基準点」を生み出すことができるわけです。

こういう絵↓の感じでね。(ちょっと上の絵↑とこれ↓の二枚絵も凄い気に入ってるんですよね。ぜひともこういう世界にしたいもんです)

そういう「アメリカのものより高精細なあたらしい世界基準形成プロセス」を日本側で受け止める基盤として、つまり「アングロサクソン的オープンシステム」に「現地現物のリアリティを再解釈して入れ込む役割」として、昔日本はもう少し学歴社会になった方がいいというブログを書いて、そこそこ評判になったことがあります。

ある意味、「学歴なんて下らないよねと安心して言えるぐらいは学歴社会」になってないと、「アメリカ的分断」を回避する良識担保機能が崩壊寸前になって日本は余計に防衛的に引きこもり国家にならざるを得なくなるんですよね。

似たような意味で、多少の経済格差があっても、「一億総中流」を無理して目指すよりは「日本の良さ」を引き出しやすい社会になる可能性はあると私は思っています。

アトキンソン氏が凄い頑張って本来の様式で京町家を修復したのに、ヤンキーっぽい営業マンが来て「潰してマンション建てませんか?」って言われて唖然としたって書いておられましたけど(笑)、そんな感じで単なる「一億総中流」になるとあまりに「大衆化社会」的な暴走をしすぎて、結局また「良識の担保機能」が風前の灯火になってしまうからなんですよね(結果としてまた内向きで消極的になって何かを守り通さなくちゃいけなくなるスパイラルにハマる)。

余談ですが、アメリカ社会があれだけ経済格差を"必要"としているのも同じ理由だと私は考えていて、全世界的なオープンシステムの維持作用に日英的な連携によるより広範囲の人心を巻き込める調和が加われば、あのアメリカの超絶的経済格差が適切なところに落ち着いても人類の共通了解システムは崩壊せずに済むようになる・・・・結果として格差是正は進むでしょう。

そういう問題は「明らかにある」のに、今の時代「ないことになって」しまって両側がゴリ押ししようとするから、現実的に一歩ずつ前に進むってことが不可能になるんですよね。

だからむしろ、アメリカに比べてそれほど中下層と断絶していない「中間層の上」「上層のボリュームゾーン」あたりにいる日本人に、「アメリカの同じ層みたいにあと10倍儲けたりしなくていいから、もっと色んな人との調和の中で納得して儲けられるあり方を模索したい」という分厚い「良識担保機能を担える層の願い」が日本にはあると私は実感していて、「そこ起点のムーブメント」を巻き起こすことで、逆に「中流層の崩壊」もある程度防ぐことが可能になるはずだと私は考えています。

結局、例えばトヨタのこういう領域の良さっていうのは、本当に「世界最高」で、それこそ「オベンキョウができるだけの人間」の本来的機能を超えた独善性が暴走しないように、「色んなタイプの人間の良さ」を世界最先端のパフォーマンスにうまく吸い上げる力を持っている現代社会の希望だし、なんか読んでると私は涙出てくるぐらいなんですけど。

でもこういうのは、「その良さを理解できるレベルに奥行きのある知的さ」を持った人がかなり分厚く存在していないと、「グローバリズムの威を借る狐」によって果てしなく崩壊させられていくんですよ。で、アメリカみたいなスラム街と大富豪が完全分断された希望のない世界にマッシグラになってしまうわけです。

「そこ」だけは絶対に守りぬかなければいけない。それは人類が日本人に信託している砦を守ることでもある。ウソ臭い意識高い系の果てしない暴走によって人間にとって大切な「何か」が崩壊しないための最後の砦がここにあるんですよ。

で、ちょっと話が突然なようですけど、そういう「共有基板」に対するあたらしいビジョンの提示という役割が「人文思想」の世界にいるあなたの役割であるはずなんですよね。「永続敗戦論」界隈(に限りませんけど)にいる人の、本来の能力と意地とプライドを全力で発揮できるフィールドがここにあるはず。

最近、人文系の大学なんて金かけても意味ないからやめちゃおうぜ的なことを言う人が結構出てくるようになって、そういうのについては「何言うてんねんアホか」と私も思うんですが、しかし「人文系の知」が「やるべきことをやってない感」がないかというと物凄くそれは「ある」と思っています。

ここまで「市場っぽい話」ばっかしてますけど、実はここに「人文系の知識人」がやるべきことってメチャクチャ沢山あるんですよ。もう第二次大戦のマンハッタン計画に集まったアメリカの物理学者たち・・・ってぐらいの位置づけの「大事な仕事」があなたがたにはいくらでもあるんですよ!

「英国風のオープンシステムへの信頼」が崩壊しない形式で、「日本の本来の良さ」と「グローバルな流れ」をちゃんと繋いでくれる「あたらしい文明」の定式化がなされないと、日本人は"右傾化"したり"社会の指導層から女性を排除して"それを補完することを続けるしかないし、クールジャパンは結局アニメと漫画と自販機と定刻運行する電車だけってことになる。いやそれもいいけど、日本の良さってそれだけ?って感じじゃないですか。

大企業だけでなく中間層が再度復活する(いわゆる"トリクルダウン"が本当に起きる)ほどまでの巨大な「売り込みムーブメント」をしかけるためには、小手先の金融技術なんかじゃない「人文的な深みまで巻き込んだ思想」が必要で、「あたらしい文明」を規定する「思想」こそが「人を本当に動かすウリ文句」を作るんですよ。

そうやって日本人1億人が根幹的なところで世界代表として大事にしている「何か」の売り方が「最も深い人文知のレベルまで巻き込んだ必殺技」として定着してくれば、右傾化も必要なくなるし、女性の社会進出が進んでも崩壊するものがなくなって女性もいろいろ我慢せずに伸び伸び社会参加できるようになるし、見てて気恥ずかしい感じの「日本礼賛本」とか「凄いぞ日本!的テレビ番組」も、そういうのはちょっと恥ずかしいから辞めようぜってことにできる。

「古い国体」の中から「良い部分」だけを分析的に取り出して明確に対象化することが日本の人文思想や左翼メディアにはできるはずだし、そうすれば「大きく売り込めるムーブメント」になると同時に、「古い国体の良くない部分」だってはじめて排除できるようになるわけです。

今まさに、他の国の人文思想家や左翼メディアにはできない大きな使命が目の前に転がってるんですよ!!

あなたがたが敵視する「右」の人たちや「ガサツな財界人たち」に対して、「てめーらにはこんなことできまい!」と鼻をあかしてやれるような、エレガントかつ華麗な論理展開を駆使して、「日本の中にある"あの部分"」さえキッチリと欧米人にわかるロジックで正当評価できる論陣を張ってくれれば、日本中があなたがたに感謝して、「人文系の学問にも予算つけなきゃね」って誰しもが思うようになりますよ。

そりゃね、弥生時代の古墳の分布とか、源氏物語の時代考証とかにだって全人生を捧げる人間がちゃんといてくれないと困るっていうレベルの話はありますけど、でも分野的に「今の課題」に真剣に取り組む必要がある、それでこそ輝く・・・っていう分野だって沢山あるはずじゃないですか。

20世紀のある時期に、フランスの思想家群が世界中の圧倒的スターであれたような、そういう活躍ができるはずの「目の前の課題」があるのに、やってないからバッシングもされるんですよ。

今まさに世界最先端の課題に取り組めるチャンスがあるのに、小さなサークルの中に引きこもって欧米の人工的な基準の惰性的な延長で「日本の自然性」を裁いて悦にいる・・・みたいなことを続けてるのはぜひともなんとかしていただきたい。こういう問題については、『日本がアメリカに勝つ方法』の中に、人文思想なんかに全然興味ない読者からしたら「なんでこんなに?」って眉をひそめられるぐらい触れてあるんでぜひ読んでください。

私のように経済分野にいる人間が片手間にやってるようなのだとどうしてもアマチュア的に「方向を示す」ぐらいしかできないですからね。「その先」を「本式のアカデミズム」ベースでしっかり構築していってくれる人が(まあこういうのは人文系アカデミズム世界の中でも結局はハグレモノの仕事なんでしょうが)出てきてくれないと!とずっと思っているので、この経済世界から人文世界へ向かって「暗闇に延々投げ続けてるパス」を誰か受け取ってください。お願いします。

結局、安倍政権の強さは、「20世紀的な左翼性の無責任さの裏返し」みたいなところがあるんですよね。あまりにもメッシュが粗い議論ばっかりしているから、「現実的に受け止める」には、菅官房長官みたいなコワモテにいてもらわないと危なっかしくてかなわんよね!ってことになる。

だから、今回の選挙結果に不満で、安倍政権の「右傾化」を懸念してるというようなタイプのあなたには、「なぜ彼らがどうしてもその道を行きたがっているのか」について「敬意を払って理解する」姿勢が必要なんですよ。

そうすると、彼らが「やらせはせん、やらせはせんぞぉ!(機動戦士ガンダムのドズル・ザビのセリフ)」的に守っているものが、グローバリズム世界における「果てしない両極への分断を土俵際で守り通そうとする必死の免疫反応みたいなもの」なんだと理解できる。

彼らの「右傾化」が、「左」の人間の議論があまりにメッシュの粗い議論しか持てていないことの裏返しであることも理解できるようになる。

もっと言えば、戦争終結時に当時の日本の指導者層がなぜあそこまで「國體護持」にこだわったのか。そして当時の日本人の多くがその決定を支持したのか。確かにそれは現代的価値観からすると「道義的に問題ある」かのように見えるかもしれない。しかしそれでもなお、そういう「決断をした」という日本人の集合意志が「どうしても守り通したいと思っていたもの」は一体なんだったのか。

そう考えると、そこには「この世界の現在のメジャーな価値基準で言えばどうしようもない悪人扱いされてでも、 彼らが人類代表としてどうしても守りぬかないといけないと思っている大事な何か」があったりするんですよ。

「そこに敬意を払って理解する」ことが、20世紀的な左翼に今必要とされていることなんですよね。

そして、「理解してこそ理解される」という言葉がありますけど、「彼らが守りたかったもの」を別の形で実現できる目算さえ生み出せれば、明日にだって「古い国体」はポイー!ってやっちゃうのが日本人なわけですよ。その本能を信じましょう。

それに、以前このブログ記事で書いたように、「そこにあるネジレ」は、韓国人や中国人も毎日痛切に感じている『悲しきエイジアンボーイズの悲願』として直接共有できるものなんで、あいつが悪いこいつが悪いとか非難しあい続けるようなのじゃない、もっと直接的に東アジアの新時代の平和の起点だってここから生まれてくるわけですよ。

結局、「古い国体」=「無責任の体系」に参加しているのは自民党政治家と官僚と財界人だけじゃないんですよ。ありとあらゆる日本人が、いろんなものを押し付けあった結果としてどこかの誰かに苦難が押し付けられてしまうのが「古い国体」なんですからね。

「あたらしい国体」を準備して、そこに乗り換える情勢を作れたら、「古い国体」に対する倫理的問題を、思うさまボッコボコに追求してくれて構いません。しかし先にやることがあるはずですよね。

それができないうちは、「彼らが必死に護持してきたもの」の人類的役割分担の可能性・・・によって、あなた方の「改革」は常に跳ね返され続けることになるでしょう。

最後になりましたが、この記事に「今までにない可能性」を感じられたら、ぜひ12月4日に出た私の最新作、『「アメリカの時代」の終焉に、生まれ変わる日本』をお読みくださればと思います。

また、単純で一方向的すぎる議論があふれるこの世界の風潮に騙されずに、この記事の価値が理解でき、長い記事をここまで読み通したあなたこそが日本の「転回の起点」となると思っているので、あなたの周りにおられる「わかりあえる相手」とこの記事を共有していただければと思います。あなたの「1フェイスブックいいね!」「1リツイート」「1わかりあえるレベルの親友や仲間へのメールやLINE等でのシェア」をお待ちしております。

今後も、こういうブログ記事は続いていく予定ですが、最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造

経済思想家・経営コンサルタント

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