受験に失敗しても悲観する必要は無い

入試のシーズンですね。定員がある受験は合格者と不合格者が出ます。全員が自分の力を出し切ったとしても、必ず不合格者が出てしまう残酷なものなのです。

入試のシーズンですね。中央大学でも入試が始まり、キャンパスの中に受験生を見掛けるようになりました。

受験生の皆さんには悔いが残らないよう、自分の力を出し切れることを祈っています。

とはいえ、定員がある受験は合格者と不合格者が出ます。全員が自分の力を出し切ったとしても、必ず不合格者が出てしまう残酷なものなのです。

最近は結果重視ではなく、プロセス重視とも言われます。

AKB48の「365日の紙飛行機」の歌詞で、紙飛行機の飛距離よりも、どう飛んだかが大切、というのもプロセス重視ですね。

しかし、それでも入試で落ちてしまったら本人、家族の方は落胆するでしょう。

月並みな表現ですが、受験で失敗しても悲観する必要は全く無いと思います。

私は東大、中央大学に勤務し、その他にいくつかの国立・私立大学大学で講義を持ったことがあります。

私の経験は限られたものですが学生を見ていると、大学の差よりも個人のやる気の差の方がはるかに大きいと感じます。

東大から中央大学に移った時には、「研究のアウトプットは落ちるのではないか」とファンディングエージェンシ・役所の方などから言われました。

しかし、実際には研究成果である論文数は増えています。

幸運なことにやる気のある優秀な学生に恵まれ、研究室に居る学生の数は1学年あたり、東大の時の2名程度から8-10人にまで増えました。

1月末から2月はじめは、重要な国際会議の論文投稿が続きますが、今年は5件の論文を投稿することができました。

また、4月のIRPS(International Reliability Physics Symposium)という、半導体デバイスの信頼性物理に関するIEEEでは最も権威ある国際会議に、3名の学生が卒業論文の成果を発表します。

学部4年生がトップ学会に3人も論文が採択されたのは、東大の時にも無かったことです。

むしろ今の研究室では、学生が研究成果はたくさん出しているのに、論文を書く部分がボトルネックになってしまっています。

レベルの高い国際会議に論文が採択されるためには、簡潔に成果を纏め英語で説得力のある文章を書くことが必要です。さすがに学生だけでは難しいですから、論文を執筆する時期には私も徹夜が続きます。

東大で4年半、中央大学で4年弱勤務した感想では、MARCHレベルの大学の優秀な学生は、飛び抜けた天才タイプは居ないかもしれないけれど、平均的な東大生に(少なくとも研究では)引けを取らないのではないでしょうか。もちろん、東大のトップ層は非常に優秀です。

学歴無用論、などと言われますが、こうした学生が社会に出てから活躍するのは当然です。

入試が当てにならない理由として、「ペーパーテストの点数では能力が評価できない」とも言われますが、評価手段としての入試があてにならない、とも思いません。

入試だけでなく、入学後の講義での試験でもそうですが、ペーパーテストの点数は、努力し続けることができるという内面的な部分も含めて、やはり学生の能力のかなりの部分を反映させるように感じます。

工学部では数学、物理など基礎学問の積み上げが必要ですから、勉強を怠ったら研究はできません。

普段の講義の試験で高得点を取った学生が、やはり研究でも成果も出すことが多いのです。

時には座学はやる気が出なかったけれども、研究という実践的な場になるとやる気を出す学生もいますが。

むしろ学生に差があるとすると、やる気の格差、いつやる気のスイッチが入ったのか。

どんなに恵まれた環境に居ても、周囲がプレッシャーを掛けたところで、本人が本気にならなければ、やっぱり人は成長しません。

「いつになったらうちの子にスイッチが入るのか」と心配されている親御さんもおられるでしょう。

周囲が色々な形で刺激しても、いつやる気になるかは、本当にわからないものです。

いつかはスイッチが入るだろう、とひたすら待つのもつらいものです。

受験で失敗して、初めてやる気のスイッチが入った、という人も現実には多いのではないでしょうか。

入学した学校は第一志望校ではないけれど、そこからやる気を出して勉強を始め、卒業時には第一志望校の学生たちを上回るようになった、というケースも多いのではないでしょうか。

それが、一見、「学歴無用」に見えるのではないかと。

ですから万が一、受験に失敗しても悲観する必要が無いのと同時に、第一志望校に入学できても、油断してサボっていたら、受験に失敗した人たちにやがて追い抜かれるのです。

まずは入試で全力を尽くす、そして不本意な結果になったとしても、受かったところで頑張る。

やる気さえあれば、人生は挽回可能なのですから。

(2016年2月11日「竹内研究室の日記」より転載)

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