なぜ国家プロジェクトの研究予算は右肩下がりになるのか

いわゆる霞ヶ関の常識では、どうやら予算というのは時とともにドンドン減っていくものらしいのです。

政府が推進する国家プロジェクトの研究予算というのは、一般的に年を経るに従って右肩下がりになります。

例えば5年プロジェクトであれば、最初の2年程度の間に多めの予算がつき、3年目以降に段々減っていくイメージです。

これは研究予算に限らず、いわゆる霞ヶ関の常識では、どうやら予算というのは時とともにドンドン減っていくものらしいのです。

最初に手厚くサポートしたから、後は自力でやっていけ、ということかもしれません。

あるいは、新しい政策が毎年のように打ち出されるため、以前立てた政策は段々と色あせ?、優先度が落ちていくのかもしれません。

研究開発の国家プロジェクトの場合、こうした右肩下がりの予算が合理的な分野もありました(今でもあるとは思います)。

典型的なのは、高額な装置を購入して何らかのモノ(材料でも良いですが)を開発する場合。

この場合は、プロジェクト開始直後に高価な装置を買うため、多め予算を手当てし、後の年度では部材費などの変動費や人件費だけをあてることになります。

しかし、このやり方は、どうにもソフトやサービスのプロジェクトには合わなくなっていると感じています。

こうした分野では大して高価な装置は必要としないため、研究開始当初にさして高額な予算は必要としません。

むしろ、じっくりと考える時間を設けて、腕の良い少数のエキスパートがアイデアを練り、コンセプトの設計を行うことが大切になります。

そして、アイデアが固まったら人を増やして詳細な設計を行い、最終的には実装や実証実験を行います。

つまり、予算としては小額で始まり(スモールスタート)、成果を見ながら段檀と大きくしていく、右肩上がりの形になります。

つまり、今まで常識と考えられてきた、「右肩下がりの予算」とは正反対なのです。

これはモノづくりが中心のハードと、人が発想することが中心の設計、ソフト、サービス、デザインという分野の本質的な違いなのかもしれません。

パソコン、テレビ、スマートフォンを例にあげるまでもなく、ハードのコモディティ化が止まりません。IT化が急速に進む車もいつまで日本企業が競争力を持ち続けるのか。

日本が向かう方向としては、今までのハード偏重から、ハードの強みは生かしつつも少しずつソフトやデザインも重視していかなければいけないでしょう。

そのためには、国家プロジェクトの考え方も変えていかなければいけないのではないでしょうか。

(2015年11月15日 竹内研究室の日記「なぜ国家プロジェクトの研究予算は右肩下がりになるのか」より転載)

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