こんな時こそ勇気を持って、平和を求めよう。

後藤健二さんが亡くなってしまった。帰国されたら会ってみたいねと、話していた。残念でならない。

後藤健二さんが亡くなってしまった。

帰国されたら会ってみたいねと、話していた。

残念でならない。

でも、死は、違う命の始まりかもしれない。

その人の記憶や言葉が、心の中で生き続けるから。

後藤健二さんの死を生としてとらえること。

何を伝えて来たのか、何を伝えたかったのか知ること。

それなら、できる。

分かっている。イスラム国は残虐。

最大限の言葉で非難すべきだろう。

しかし、残虐なテロの結果だけに気を奪われて、

憎しみや怒りや、恐怖を増幅してはいけない。

憎しみは、憎しみを生み、

暴力は、暴力を生み出すから。

今、私たちがすべきこと。

それは冷静になって、後藤健二さんの

人生の軌跡に関心を寄せ、彼の人生を知り、

生きている私たちが、彼の人生を活かすこと。

そして平和を求めること。

とても共感する。一つの地球上で生きる私たち。

肌の色や宗教や国籍や境遇は違っていても、ほんの少し違うだけ。

共に平和に生きる道は、きっとある。

「何が起こっても、私はシリアの人たちを恨みません。

何が起こっても、責任は私自身にあります。

どうか日本の皆さんも、シリアの人たちに何も責任を負わせないでください。」

彼の言葉は忘れません。心の中で生き続けます。

そして日本がこれまでと同じように平和であり続け、真の世界の平和実現のために、日本らしい貢献を続けることを願います。

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