3.11ポストミュージアム:資源循環型アートの構築に向けて--「仮設住宅」を舞台とした高齢者たちのチャレンジ(4)

「現代社会は完全神話を信じ込んでいる。」「完全なるもの」はこの世に存在せず、「完全」「不完全」の世界観は別個に存在するもではなく、連続的でスペクトラムな状態で存在しています。そして、どんな「不完全」なものであっても、それは全て「命」であるという考え方が大切です。

本の茶碗をお見せしましょう。 ワシントンのフリーア美術館所蔵です 。100年以上前の作品ですが、陶工がつまんだ指の跡が残っています。 しかしご覧の通り100年の間に割れた形跡も残っています。修復した職人は割れ目を隠すのではなく、金蒔絵を施して割れ目を強調したのです。この茶碗は一度割れたことにより、作られた時よりなお一層美しくなりました。 この割れ目は伝えてくれています。創造と破壊、コントロールと受け入れ修復と新しいものを作り出すこと。私たちは皆 、その循環の中で生きているのだと。

TED Julie Burstein

ジュリー・バースティン「創造力を育む4つの教訓

「現代社会は完全神話を信じ込んでいる。」

「完全なるもの」はこの世に存在せず、「完全」「不完全」の世界観は別個に存在するもではなく、連続的でスペクトラムな状態で存在しています。そして、どんな「不完全」なものであっても、それは全て「命」であるという考え方が大切です。

哲学者のフランシス・ベイコンは、このように言っています。

There is no excellent beauty, that hath not some strangeness in the proportion.

西欧の伝統的な美意識には、黄金比に起源するプロポーションの観念があります。しかし、それは反面、「階調であるがゆえに、退屈で魅力を感じない。むしろプロポーションが少し乱れたり、歪んだり、傾いたりしているところにこそ、本当の美がある。」という考え方です。

現代日本社会は新しいものがよいものとして、「モノ」も「スタイル」も経年変化を「劣化」と決めつけて廃棄し、次々と新しいものを消費してきました。また、現代日本人は「古いもの」「汚れたもの」「壊れたもの」に非寛容で、とりあえず視界から遮断する傾向にあります。それは時として問題の本質を隠蔽し、本当に大事なことを見失うことになります。

アートの力。

高齢者やチャレンジドが、元気と誇りを持って働ける地域に。

これからのアートはコモディティとして、社会の細部に至るまで重要な意味を持ち、都市や国家はそうした無数の小さなモノ=ピースの集合体としてのアッセンブリーだと言えます。21世紀の世界を変えるのは、従来の発想のアート教育を受けたアーチストと言われる人々ではなく、「アール・ブリュット」の感性を持った、ボトム・オブ・アーツのパワーです。今後の都市づくりのあり方は、単純な「ハコもの」の発想ではなく、「モノ」「ミセ」「マチ」がひとつひとつ、アートのアッセンブリーとして連続的・統合的に機能しなければなりません。

最近では福島第一原発を「観光地」にする「ダークツーリズム」という言葉が広がり始めています。被災地や戦場地など、人類の悲しみの記憶を巡る旅のことです。現場で哀悼をささげ、その悲しみを風化させることなく、他の地域や次世代に承継していく役割・機能があると考える一方で、遺族らから「見るのがつらい」。「見られるのがつらい」。との反対の声があがります。

また、東日本大震災の遺構として扱いが注目されていた、宮城県南三陸町の防災対策庁舎については様々な意見がある中で、町は熟慮の末、撤去する方針を固めました。また、第18共徳丸の解体もすでに完了しました。ツアーの企画者側は賛否があるのは当然だという説明ですが、被災者間で意見の対立や衝突を生むようなことを、今あえて大きく取り上げる必要があるのか甚だ疑問です。

もちろん、広島・長崎・沖縄などの例を出すまでもなく、風化を防ぐためにもそのこと自体は決して否定するものではありませんが、被災者の立場からすると被災地をバックに、ピースサインで写真撮影する観光客が現れるようなツアーを受け入れるのは精神的に容易ではありません。震災復興の風化を防ぎ、他の地域や次世代に承継していくことが本当に必要だとすれば、その「ランドスケープ」は被災者が一丸となり瓦礫や更地になった土地で懸命に生活再建に取り組む「復興の工事現場」や、苦難の生活を強いられながら、新たなコミュニティを懸命に模索する「仮設の住宅現場」でなければなりません。

そして、「観光ツアー」が本当に支援を目的とするのであれば、「復興」というコモディティとしての、オープンなフェスティバルに「観客」として参加し、共に作品を作り上げる役割を担っていくべきであり、そうした、「被災者」と「観客」ひとりひとりのキャラクターの参加による恊働の「ロールプレイング」自体に、アートの本質を探求していくべきではないでしょうか。

【永遠の工事現場―サグラダファミリア】

スペインのバルセロナにあるサグラダファミリア。誰もが一度はその目で見てみたいと思う大聖堂で、世界中から人々がバルセロナに集まり、そして多くの人が「変な建物だね」という感想を持ちつつも、「でもやっぱりガウディってすごい。」と感動して帰っていく。

実はこのサグラダファミリア、1882年に着工して121年たっていますが、未だに未完成で、「永遠の工事現場」と言われています。

(ガウディ没後100年の節目となる2026年に完成される予定です。)

【「へたっぴん」の美学―高鍋大師】

宮崎県高鍋町の高台にある『高鍋大師』。町を一望できるこの絶景スポットに、岩岡保吉翁がつくった、神仏混合のユニーク な 石像群 があります。相次ぐ古墳の盗掘に心を痛めた岩岡翁は、古墳の霊を鎮めるために彼が45才のときに、この地を手に入れ、仏像を作り始めたといいます。

1977年に87歳で逝去するまで、50年近く、岩岡保吉翁は自由な発想で700体以上の石像を制作しました。平成21年には県の観光遺産に指定され、「高鍋大師を、1年を通して花の楽しめる場所にしよう!!」と、高鍋大師を大切にしていきたいという思いをもった皆さんが集まり新しい動きも始まっています!!

国や行政が「復興」における都市概念として、現代建築や現代アートによるヨーロッパの都市再生モデルのドグマから抜け出し、既存の価値観と衝突しない、プリミティブな中長期の「仮設都市社会」への方向性を打ち出すだけで、経験や知恵に富む「高齢者」や、海外でも評価の高い、日本のアールブリュットの中心を担う「障がい者」たちが、「復興」の主役になることができます。そして、オートノミーやマスタリーなどによる大きなモチベーションが生まれ、「モノ」・「ミセ」・「マチ」のハンドメイドの復興や地域の再生は、ドラスティックに一気に進展します。

また、一部では原発による風評被害や心ない福島差別の問題もマスコミに取り上げられていますが、こうした風評被害を打ち消すためにも、アートが「復興」をリードして誰もが「あっ」と驚くような、一次元超えた「ポストミュージアム」としての、都市のリアリティーを呼び起こす必要があります。本来、アートの存在意義は大胆突飛な発想で、現存する身の回りの資源を活用し、マニュアルや図面を必要としない圧倒的な表現力を駆使し、「人々の心を揺さぶり、そして、社会を揺さぶる。」ことにあります。今ほど、アートの果たす役割が大きく問われている時代はありません。

(2014年3月5日「re-CONSCIOUS」より転載)

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