ホームエレクトロニクス・カフェのプラットフォームは「地域」と「ネットワーク」です。
地域のコミュニティーとしてだけはなく、行政区分や伝統的地理境界を超えたネットワーク社会の地理学やJeff Jarvisの提唱するパブリックネスの概念を包括しています。
◎pub・lic・ness〈パブリックネス〉
【1】情報・思考・行動をシェアする行為、またはそれらをシェアしている状態。
【2】人を集めること、または人・アイデア・大義・ニーズの周りに集まること。
【3】周囲とコラボレーションするために、プロセスをオープンにすること。
【4】オープンであることの倫理。
ホームエレクトロニクス・カフェのオープンは実に簡単です。ドアノブにプレートを吊るすだけで「自宅」は近隣住民や友人が集う社交場に早変わりします。誰しもが「自宅」というもっともプライベートな空間を、「パブリック」の場にすることには、少なからずとも抵抗があるのは確かです。しかし、「パブリック」と「プライベート」は対極にあるのではなく、「完全」、「不完全」と同様に、スペクトラムな同一線上にあります。「プライベート」の定義や受け止め方は個人でも、国や文化によっても異なります。「プライベート」が「パブリック」にされた時に感じるのは、社会が自分をどのように評価するのか、恐れにも似た感覚があります。「プライベート」が大きければ大きい程、その恐怖やストレスは比例します。特に日本人の特質として「本音」と「建前」の二重構造があり、現代社会はその構造を維持するために、多大なコストとストレスを強いられ、日本社会を覆う閉塞感の大きな要因にもなっています。
「パブリック」のメリットとしては"自然体でいられる"、"つながりが築かれる"、"他人が他人でなくなる"、"コラボレーションが生まれる"、"完全神話が払拭される"、"安心感が得られる"などが上げられます。
「朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまじ。」ー伊達政宗
本来、「店」と「客」との関係はお互いに正直に謙虚で、相手に対する気遣いのできる関係であるべきですが、日本では「お客様は神様である」。という言葉が一人歩きし、客はお金を払うのだから、「客は偉いものであるという」風潮が強いといえます。最近は日本の"OMOTENASHI"を、クールジャパンとともに、海外に売り込もうという戦略があるみたいですが、確かにそのホスピタリティ・マインドの思想自体はたいへん尊く、事実、日本においては古くから様々な業種業態において、日常的に「おもてなし」の精神が実践されてきました。しかし、最近はその奥にある精神を踏まえずに、マニュアル化した表層のカタチや言葉だけが飛び交う、過剰なおもてなしという場合の方が多いのではないでしょうか。一般コモディティのサービス業に対し、広範囲にマニュアル化した、無理な「おもてなし」のサービス基準を導入することによって、働く側のメンタルなストレスが顕著化し、高齢者や障がい者の雇用を閉め出し、さらに若者ですら、このような不況下の求人状況でもサービス業に人が集まらないという、雇用のミスマッチも生み出しています。確かに一見細やかな心配りというのは素晴らしいが、その反面細部への行き過ぎたこだわりが、過剰にモノの命を無駄にしている場合も多いの事実です。
ホームエレクトロニクス・カフェのスタートアップはドアにプレートを吊るすだけです。 しかし、その「最初の一歩」には、大きな勇気がいります。その一歩は、社会を揺さぶるイノベーションの「大きな一歩」でもあるからです。それを支えるためには、ここでは「最初の観客」が重要な役割を担っています。「最初の観客」はみんなにどのように利用すればいいか示す役割があります。「最初の観客」にも大きな勇気が必要です。「最初の観客」はこの物語を共に発展させていく重要なパートナーであり、「最初の観客」の存在が「高齢者」に勇気を与え、やがて本物の起業家や経営者へと変えていく「インキュベーター」の役割を果たしていきます。
空き家を生かした生涯現役の場づくりとして、元気をもらい気軽に助け合える実家。ここには、人に会え、人と話ができ、人と一緒に食事ができ、そして笑いがある。
新潟県内に2,000か所以上あるといわれている「地域の茶の間」は、新潟市在住の河田珪子さんが始めた有償の助け合い活動の事務所が、自然発生的に、子供からお年寄りまでの居場所となったことから始まった。
誰かに会いたい、誰かと話したい、誰かと一緒にお茶のみしたい、行くところがほしいという人々の願いに応えた毎日型の地域の茶の間。子どもからお年寄り、障がいの有無にかかわらず、誰でもいつ来てもいつ帰ってもOK。16畳程度の和室でおしゃべり、縫い物、囲碁、昼寝など思い思いの時間を過ごす。昼食時にはみんながおかずをまわしたり、箸が行き渡っているかを確認したりと一段と活気が出てくる。「いただきます」の号令をすることなく自分のペースで食べはじめ、おしゃべりも続く。みんなが主役の居場所。
平成15(2003)年には、常設型の「地域の茶の間」である「うちの実家」(新潟市)も開設された。ここに行けば、いつでも人に会い、話しができ、人と一緒に食事をとることができる。車椅子の人、認知症の人、目や耳が不自由な人、小さい子からお年寄りまで、お互いに助け合いながら、それぞれ好きなことをして過ごしている。
常設型地域の茶の間「うちの実家」
ドアノブにプレートを吊るしたら、FACEBOOKなどのSNSのネットワーク上でもオープンしてみましょう。ネットワーク上では世界中の「観客」があなたの「自宅」に訪れます。そして、「観客」との関係は一方的なものではなく、お互いの活動についてのコミュニケーションを図ることができます。「パブリック」と「プライベート」という概念は、フェイスブックなどのソーシャルネットワークの以前と以後では大きく変容しています。ホームエレクトロニクス・カフェはオープンな「フェスティバル」です。毎日のメニューやそのレシピ、イベントや活動の紹介だけでなく、「自宅」や「観客」についても、「パブリックにしてよいプライベート」という「第三の空間」と言えます。「自宅」も「ネットワーク」もどちらも重要な「社交場」であり、何らかの発信をすれば、普段出会えないような人々との、予期せぬ収穫がいっぱいあります。そして、この「フェスティバル」は日本だけにとどまることなく、世界中の国や地域で増殖していきます。東北の「被災地」だけではなく、日本全国や世界の「疲弊地区」や「紛争地区」などで暮らす人々や、「高齢者」・「障がい者」・「女性」などのチャレンジドたちが、地球上で起こっているHECP(人権・環境経済・コミュニティ・パブリック)の諸問題に対して連帯して取り組んでいくことで、本当の意味での「絆」やお互いのつながりの実感を得ることができます。
この「フェスティバル」には、様々な人々が集まり、様々なドラマがあります。それは「復興に立ち塞がる苦難」ばかりではなく、「観客との出会い」、「仲間との友情」などのエンターテインメントなエピソードが満載です。そして、この「オムニバスの物語」は、、ショートストーリーとして作品化され、YouTubeなどの動画配信をはじめ、FACEBOOKやTED、THE HUFFINGTON POSTなどの、ソーシャル・ネットワーキング・メディアや、映像ジャーナリストやフォトグラファーたちとの恊働により、「ひとつ、空の下。」世界中の人々に発信されていきます。
(2014年3月4日「re-CONSCIOUS」より転載)