南米チリのパタゴニア地方、アンデス山脈の麓で暮らす私たちの日常のストーリーを綴っています。今回は、その14回目です。
「シンプル・ライフ・ダイアリー」8月14日の日記より。
昨夜は、バケツをひっくり返したような土砂降り。風が強く、台風のようだった。朝には、雨は止んで、山の上に粉砂糖のような雪が積もっていた。通りで昨夜は冷え込んだわけだ。家の後ろにある小川が、ゴウゴウと音を立てて流れて行くのが聞こえ、滝が大きな音を立てて落ちて行くのが聞こえた。
まだ、寒いとはいえ、春がすぐそこまで来ているのを感じる。今朝は、チリアン・フリッカーという鳥(キツツキの仲間)が、歌を歌うように囀りながら、庭を横切って飛んで行った。いつの間にか。チャイブやニンニク、ルバーブの瑞々しい緑の芽が、地面からニョキニョキと生えている。水仙が美しい黄色い花を咲かせ、昨夜は、初めて、カエルの声を聞いた。森で冬眠していたカエルが、池に戻って来たのだ。
日増しに、日の入りが遅くなり、一日が長くなって行く。まったく、知らなかったのだけれど、昨夜、チリでは、冬時間が終わって、時計が一時間進んでいた。ポールが、今朝、パソコンの時計が、棚に置いてあるデジタル時計より一時間進んでいるのに気がついたので、ネットで調べてみると、午前零時に、冬時間から夏時間に切り替わって、時計が一時間先に進んでいたのだった。
「今日、どこかに行く予定がなくてよかったね。ミーティングとか、バスに乗るとか」ポールが、言った。
「本当だね。もし、どこかに行く予定があったら、大変だったね」そう言いながら、何年か前に起こったことを思い出していた。
ある冬の早朝、私たちは、寒さに震えながら、道端でバスを待っていた。ところが、一時間経っても、バスは来なかった。「おかしい」と気づき、もしかしたら、冬時間から夏時間に変わったのかも知れないという嫌な予感がやって来た。そこで、道に止まっていたトラックの運転手に聞いてみた。
「今、何時ですか?」すると、運転手は携帯を見て言った。
「ええと、7時だよ」私たちの携帯の時計は、6時を差していた。
「バス、とっくに行っちゃった!」ショックだった。落ち込んでいても仕方がないので、ヒッチハイクをしようと、バックパックを背負って歩き始めた。ところが、なかなか、乗せてくれる車がない。12キロ歩いて、やっと、トラックの運転手に拾ってもらった。
「ありがとう!」私たちは、山のように薪が積まれているトラックの荷台に乗った。トラックは、砂利道をゴトゴトと走って行く。時々、大きな穴があって、そこに、ガツンとタイヤが入って、かなり揺れ、積んである薪が落ちそうになる。私たちは、次の町のプユアピに着くまで、落ちそうになる薪を拾っては、積み直し続けたのだった。
だから、今日、どこへも行く予定がないのは、良いことだった。雨もまた降り出したことだし、今日は作業を休むことにする。このところ、二日間、冬の間に、ものすごい勢いで生い茂ったシダなどを刈り取る作業をしていた。何年かかけて、2000坪ある敷地内に、いくつか遊歩道を作ったのだけれど、シダなどの植物が生い茂って、道を塞いでしまっていたのだ。
こんなに生い茂った植物たちを見ていると、7年前には、まるでビリヤード・テーブルみたいだったことが、信じられない。今では、まるで、ジャングルだ。ポールは、歩道にはみ出している木の枝を剪定したり、枯れたナルカ(チリアン・ルバーブ)の葉やシダの葉を刈り取ったりして、植えたばかりの木に太陽が当たるようにスペースを作った。他の植物の陰になっていたとはいえ、2年前に植えたアラヤンの木が大きくなって、レモンのようないい香りを放っていたので、ポールは、ご満悦だった。
「うーん、いい香りだ。嗅いでごらんよ」
アラヤンの葉に顔を近づけると、甘い柑橘系の香りが漂ってきた。周りの植物を刈り取ったので、アラヤンの木は、伸び伸び育ち、夏になったら、白い可愛らしい花を咲かせ、秋には、甘くて、薬用効果のある黒い実をつけるだろう。私は、落ち葉や、ポールが剪定した枝やシダを集め、歩道の脇に積み上げた。後日、これはコンポストにしたり、畑に埋めたりする。自然界に、無駄はないのだ。
「何年か前に、ボランティアの人が、『どうして、こんなにたくさん遊歩道を作るのか、わからない』って言ってたの、覚えてる?」ポールは言った。
「でも、僕には、植えた木が大きくなって森になったら、手入れをするために遊歩道が必要だって、わかっていたんだ。当時、どういう風に森を作りたいか、イメージしていたんだけど、今、こうして、イメージした通りに出来上がってきているのが、本当に嬉しい。5年後には、もっともっと、美しくなる。最終的には、どの歩道にも、緑のトンネルを作りたいんだ。遊歩道には、全部、名前をつけて、サインボードを立てる。ここに来た人が楽しめるように、ベンチもたくさん作りたいんだ」ポールは、さらに続けた。
「これは、良い仕事、真摯な仕事だ。こういう仕事をすると、僕はすごく幸せな気持ちになる」ポールは、私たちが作り上げた小さな森から、たくさんエネルギーをもらったようだった。
ポールは、15年間、歩きながら木を植える旅をしている間に、感覚が研ぎ澄まされ、いろいろなエネルギーを感じるようになったと言う。私も、この土地に住み始めてから、エネルギーを感じるようになった。大自然の中で暮らしているうちに、感覚が敏感になったのだろう。
家の外に出て、森や山や鳥たちを見ると、柔らかく、繊細で、純粋無垢なエネルギーを感じる。それは、シンプルな、一つの周波帯だ。でも、都会に行くと、まるで、ラジオの電波が混線しているかのように、様々な周波数のエネルギーが入り乱れているのを感じる。幸せではなかったり、怒っていたり、ストレスを感じてイライラしたりしているエネルギーが、あちこち、飛び交っているのだ。
東京で仕事をしていた時に、毎朝、会社に遅刻しないようにと、駅の構内の人混みの中を、イライラしながら、突進していたことを思い出す。電車に乗り遅れないようにと、走って、誰かにぶつかったり、前を歩いている人たちの間を押し分けて行ったり、「ごめんなさい」とか、「すみません」と言うこともせずに、黙々と、突き進んで行った。他の人も、みな、同じだった。少しぐらい、誰かにぶつかっても、それは、普通のことで、特に、謝ることでもないという雰囲気だった。ところが、ある日、ふと気づいて、立ちすくんだ。
「あれ?ちょっと、待って。私、ものすごく、意地悪な人になってる。こんな生活、やめなくちゃいけない」
先を急ぐ群衆の中で、一瞬、自分だけが異空間に入ってしまったような感覚だった。
ポールも、都会のエネルギーを敏感に感じる。特に、東京の地下鉄に乗ると、気持ちが悪くなってしまって、2駅しか乗ることができない。そんな時には、地上に出て、公園を探し、木の下にあるベンチに座ると、気分が良くなるのだった。そういうことを何回か繰り返して、最終的には、少しお金はかかるけれども、都内を移動する時には、タクシーに乗ることにした。そんなわけで、二人とも、都会に出かけることは避けていて、ここ数年は、旅をするのは、年に一度か二度、それも、自分がたちが住んでいるアイセン州の中で、あとは、ほとんど自分たちの土地から外に出ていない。ここにいるだけで、満足なのだ。
8年前、ここで家を作り始める前に、土地に挨拶をしておこうと、ネイティブ・アメリカンからもらったホワイト・セージを焚いて、セレモニーをした。セージから白い煙が空に上がって行くのを見ながら、ポールが言った。
「この土地に出会うことができて感謝しています。この土地に生きる、生きとし生けるすべてのもの、この土地を訪れる、生きとし生けるすべてのものが、この土地から恩恵を受けられるように、僕らは、ここを美しい場所にします」
ポールが言ったことは、その通りになった。自然の中で、私は生きる速度を落とし、今、ここに生きていることの素晴らしさと美しさを味わっている。