南京で私が経験したこと。そして、心に起きた変化

印象に残った南京での経験を、当時の日記に書いたまま、ここに記します。

2007年~2008年にかけて、私は、夫のポール・コールマンと共に、中国を歩いて木を植える旅をしました。

旅の間、ほとんど毎日、日記をつけていました。泊まる場所が見つからず、40キロ、50キロと歩いて、もう、地面に足をつけたくないと思うほど、足が痛んだことや、小さな町の食堂で出会った中国人の男性が、私たちがしていることを知って、「ありがとう」と100元を寄付してくれたこと。

また、福建省の山の中にあった食堂では、私が日本人であることを知ったお婆さんが、腕まくりをして私に近づいて来て、自分の腕と私の腕と並べ、「あんた、中国人だと思ったよ。日本人なの?驚いたね~。同じ肌の色をしているんだね」と言い、「ほら、みんな、見てごらんよ。同じ色だよ。日本人と中国人は同じなんだね」と食堂のお客さんに、嬉しそうに見せたことなど。

その時につけていた日記の中から、特に、印象に残った南京での経験を、当時の日記に書いたまま、ここに記します。

南京城壁 PHOTO: PAUL COLEMAN

2008年5月12日(月)於:南京

今日は、仏陀の誕生日らしい。(脚注1)今日は、私にとって、新しい人生の始まり。歴史の暗い部分、日本にとって恥ずべき部分、隠されている部分を見たから。気持ちの悪い灰色の雲が全て晴れて、心の中に青空が広がっているような、すっきりした気分。

本当に昨日、行ってよかった、南京大虐殺記念館。もう、南京と聞いても、嫌な気持ちにならない。南京と聞くと、何か行きたくない場所、何かわからないけれど、昔、日本人が、とてつもなく、ひどいことをして、まだ、謝っていないので、日本人に対する感情がとても悪いところという、もやもやした、はっきりしない理由で避けたい場所というイメージがあった。

でも、この旅の始めに、ポールが、「南京には、必ず行く。平和のために木を植える旅で南京を外すわけには行かない」と言ったときに、それなら、私は日本人として、平和の木を植えたいと決めたのだった。

だから、南京に来て、大虐殺が起こった場所へ行って、何が起きたのか、写真や映像で見て(脚注2)、どのようにして日本軍が30万人を皆殺しにしたのか、どのようにして、女性たちを強姦したのかを知った。

子供から年寄りまで、女性であれば年齢を問わず強姦されたので、女性はみな、頭を剃って、顔を真っ黒に塗って、男のふりをしたが、それでも、見つけられ、連れて行かれ、抵抗すると殺された。道端に強姦され、放置され、下半身を露にし、放心状態のままの女性の写真がたくさん展示されていた。

皆殺しの仕方は、残忍で、首を切り落とす、後ろから銃剣で刺す、妊婦であっても腹を刺して殺す。あるいは、手足を切り落として、しばらく苦しませてから、胴体を木の枝につるして、銃剣で刺した。

そういうことを知って、南京は何かわからないけれど、恐い、行ってはいけない所というイメージはすっかりなくなった。事実をきちんと知れば、自分で判断ができるので、得体の知れない恐怖を感じることがなくなる。例えば、誰かに「日本人は悪い」と言われても、素直に、その通りだと思える。だって、ひどいことをしたのだから。だから、ジョイ(脚注3)に「どう思う?」と聞いて、彼女が、「日本人は悪い」と言ったとき、「その通りです。ごめんなさい」と言えたのは、とても、よかったし、気持ちがすっきりした。

南京は、もう、何だかわからないけれど、暗雲が立ち込めている場所というイメージは、全くなくなった。戦争についても、何か、避けたい話題だなあという気持ちもなくなった。後ろめたいような、罪の意識もなくなった。

南京で起こったことは、地獄だった。ひどいことを、日本兵はした。それは、紛れもない事実。何万人もの気が狂った殺人鬼が、見る人全てを殺していたような状態だった。だから、もう、そんなひどいことは繰り返さないということが大事なんだ。

中国の人は、とても心が広いと思う。私たちが出会った中国の人たちは、日本人を温かく迎えてくれた。友達だと言ってくれた。親切にしてくれた。日本がしたことを、知れば知るほど、中国人の大らかさを知る。

気持ち悪い、なんだか、わからない、嫌な感情というのは、もう、なくなった。はっきりと事実を知ったので、喉のつかえが下りたように、すっきりした。

すっかり戦争の呪縛から解けた気がする。これで、戦争のこともきちんと話せる。きちんと人の話も聞ける。もう、無闇に攻撃されているんじゃないか、とも思わない。素直に、日本のしたことは、悪かったと言える。たとえ、犠牲者の数が何人だったとしても、やったことは、非人道的なことで、残酷極まりないことなのだから。

もう、隠されたことは何もないので、後ろめたいような罪の意識もない。日本軍、日本政府、当時、日本という国がしたことは間違っている。それを認めると、すっきりと前へ進める。個人としては、それが、私が出来る最良のことだと思う。

犠牲者が埋められた日付とその数が記録されている慰霊碑 PHOTO: PAUL COLEMAN

南京では、歩いている時に、たまたま、通りかかったテレビ局の皆さんのおかげで、万人坑の記念碑のある場所に、平和の木を植えることができました。万人坑とは、当時、中国人が殺されて埋められた穴のことで、穴の中には、一万人が埋められたと言われています。南京にはこのような場所が何ヶ所かあると聞きました。(脚注4)

南京での植樹の模様が放映された(雨花TV) *英語字幕つき

また、玄武湖公園でも植樹をしました。その日の日記には、こう書いていました。

玄武湖公園は、市の中心にある公園。ほとんどが湖で、緑が多い素晴らしい公園だ。明朝時代に建てられた城壁には、銃弾の跡が残っているが、ほとんど、蔦で覆われている。戦後の焼け野原も70年経つと、立派な森になっている。そこへ、桂花の木を植えられたことは、素晴らしい。

緑が美しい玄武湖公園で植えた木   PHOTO: PAUL COLEMAN

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脚注:

1)中国では、仏陀の誕生日は、中国暦の4月8日。年によって異なるため、2008年は、5月12日でした。参照

2)1937年末から南京市内に安全区域を作り、25万人の中国人を保護した外国人たちの日記と、当時撮影された写真や映像、元日本兵らの証言などを元に製作されたドキュメンタリーの一部が、館内で放送されていました。虐殺された人数については中国の公式発表は30万人以上、日本では数千人〜20万人と幅があります。

3)ジョイは、中国人の大学生の女性。日本語が話せるため、数ヶ月、一緒に歩いて通訳をしてくれていました。

4)この旅は、「グリーン・オリンピック・ウォーク」と名づけられ、環境保護のメッセージを伝えることが目的でした。また、ビデオの中でポールが「私が木を植える時には、平和のためにも木を植える。平和がなければ、緑の地球もないのだから」と言っているように、彼は1994年から「平和と環境の再生」をテーマに戦没者のためにも植樹をしています。

(2016年7月6日「Gift Of Giving」から転載)

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