パタゴニアで先を急ぐ者は、時間を無駄にする

「なんとも、長い一日だった!!でも、素晴らしい旅だったな」

原生林と川と湖と氷河に囲まれた南米チリのパタゴニア地方で暮らす私たちの日常のストーリーを綴っています。今回は、その18回目です。

「シンプル・ライフ・ダイアリー」 9月8日の日記から。

今朝、水を汲みに外へ出ると、みぞれが降っていた。デッキの上に降ったみぞれが、シャーベットのようになっている。

「この天気で、山越えするのは、心配だなあ」空を見上げながら思った。

今日は、有機農業協会のディレクター、セルジオの車に乗って、300キロ南のコヤイケへ行くことになっていた。明日行われるキノコ・フェスティバルの会場に有機農業協会のブースをセッティングし、そこで、自家採取の種を売り、キノコ栽培の講習会に参加する予定だった。

ところが、出かける間際に、セルジオからテキスト・メッセージが入った。

「バッテリーが上がって、エンジンがスタートしないので、少し遅れる」

うーむ。あまり幸先の良いスタートとは言えない。パタゴニアでは、「少し遅れる」=「何時間も遅れる」ということにもなりかねない。しかし、バッテリーをチャージするだけなら、30分ぐらいだろうと思い、コーヒーを飲みながら、待つことにした。

ところが、1時間経っても、セルジオからは、何の連絡もなかった。メッセージを送るが、返事がない。

「どうして、そんなに時間がかかっているのか?」とも思ったが、車の故障もよくあることなので、辛抱強く待つしかなかった。

Paul Coleman

結局、セルジオが迎えに来てくれたのは、予定より、3時間遅れの午後1時だった。

「やあ、ごめん、ごめん。バッテリーはすぐに充電できたんだけど、車の部品が一つ、なくなっているのが、わかって。代わりを見つけるのに、あちこち、走り回って、時間がかかった」

セルジオは、申し訳なさそうに言った。個人経営の小規模な自動車修理工場が数軒あるだけのラフンタで、代わりの部品が見つかったのは、ラッキーだった。

さらに、ラッキーなことに、セルジオを待っている間に、みぞれは、止んで、晴れ間が覗いていた。車窓から太陽の光が射し込んで、車内は暖かく、気持ちが良かった。

ラフンタからコヤイケまでは、パタゴニアを南北に走る一本道、「アウストラル街道」を走る。街道の両側には、牧草地が広がっていて、生まれたばかりの子牛や子羊が草を食べたり、日光浴をしたりしていた。今日のルートは、美しい温帯雨林の森を抜け、谷を走り、フィヨルドや川、湖、滝を見ながら、雪山を越え、氷河を抱くケウラット国立公園の中を通って行く。絶景が続く、素晴らしいルートだ。

40分ほど走ると、プユアピという小さな漁村に着いた。フィヨルドの入り江に位置するこの村は、1930年代にドイツ人の家族が定住して切り開いた村で、羊毛で作る手織りのカーペットが有名だ。

プユアピを通り過ぎ、何キロか走ると、車が10台ぐらい列になって、フェリーを待っていた。ここから、フェリーに乗って、工事中の道路を迂回するのだ。

Paul Coleman

このセクションは、絶壁を削って道路が作られているので、道幅は狭く、一歩間違えば、崖からフィヨルドへ落ちてしまいかねないくらい危険な場所。おまけに、ここ数年、舗装工事に伴って道幅を広げるため、絶壁をダイナマイトで爆破していて、土砂崩れが起きたり、落石があったりと事故が絶えず、数ヶ月前、往診中の眼科医が二人、落石の下敷きになって亡くなるという事故が起きたばかりだった。事故が起きたのは悲劇だったけれども、そのおかげで、地元の人たちの嘆願の声がやっと政府に届いて、建設会社は政府からの命令を受け、重い腰を上げて、コストのかかるフェリーサービスを始めたのだった。

フェリーを待っていると、工事の作業服を来た人が、トランシーバーを片手にやって来て、「今、ダイナマイトを仕掛けて爆破しているので、10分待って下さい」と言った。すると、数分後に、ドカーンという爆音が聞こえ、その後、車がフェリーに乗船し始めた。乗用車数台と小さなトラックが一台乗ると、フェリーは、一杯になり、セルジオが狭い隙間に車を停めると、助手席のドアがほんの少し開くだけの隙間しかなかった。

「写真を撮って来るよ」

フェリーが波しぶきを立てて走り始めると、ポールは、ドアを開け、大きく息を吸い込んで、お腹をへこませ、辛うじて開いたドアの隙間から外へ出て行ったのだが、「いやー!!寒い!!」と叫びながら、あっという間に車内に戻って来た。風は思ったより強く、冷たかったようだ。

Paul Coleman

デッキでは、フェリーの作業員と何人かのドライバーが立ち話をしていた。何か、冗談を言い合って、大笑いしている。パタゴニアの人は、よく冗談を言って、よく笑う。どんな、厳しい環境でも逞しく生きていくバイタリティーがある。

考えてみれば、この道路ができるまで、地元の人は、みな、馬で旅をしていたのだ。牛を売るためには、プユアピから船に乗せなければならなかったので、ラフンタの人は、みな、牛の群れを連れて、馬で旅をした。ラフンタからプユアピまでは、一週間以上かかり、特に、雪が激しく降った時などは、道中で人が亡くなったり、牛も寒さで凍え死んだりした。もちろん、橋もなかったので、人々はボートで川を渡り、牛や馬は、川を泳いで渡っていた。街道ができたのは、ほんの35年前。橋ができたのは、25年前で、それまでは、大変な思いをして旅をしていたのだと思うと、地元の人が逞しいのも当然だと思えた。

フェリーは、30分ほどで船着場に到着した。フェリーを下船して、ドライブを続けると、すぐに、できたばかりの橋に到着した。ここは、2ヶ月前に橋が崩壊したところだ。道路工事用のトラックが3台、一度に橋を通ろうとして、重量制限を大幅にオーバーし、橋が真ん中から2つに折れて、川に落ちてしまったのだ。幸い怪我人が出ただけで、死者は出なかったけれど、そのせいで、緊急用の橋が架かるまでの1ヶ月間、通行する車は、フェリーに乗って、迂回しなければならなかった。

緊急用の橋は、幅が3メートルしかないので、セルジオは、ゆっくりと運転して、橋を渡った。下を見ると、氷河から流れてくる川が、大きなしぶきを上げ、激しい勢いで海へ流れ込んで行くのが見えた。ここから、道は上り坂になり、ケウラット国立公園の中を、登って行く。幸い今日は、山道に雪は少なく、山を登りきったあたりに少し雪が残っているだけだった。

ここで、私たちは、車を降りて、コイウエの大木の写真を撮り、「コンドルの飛翔」と呼ばれる滝を見るために、見晴台で車を止めた。滝は何百メートルも上の崖から、爆音を立てて、一直線に落ちていた。私は、大きく深呼吸をして、甘く、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。周りを見渡すと、360度ぐるりと森に囲まれ、森は天まで届き、同時に深い谷底まで続いていた。

Paul Coleman

「今日は、あまり雪がなくて、ラッキーだったね」

車に戻ると、セルジオが言った。

「この間、バスで通った時には、ものすごい雪だったんだよ」

セルジオは、何週間か前、バスでこのルートを通ったのだが、その時は、雪が深く、バスや乗用車やトラックなどが、山道で立ち往生してしまったのだと言う。その中の一台、ラゴ・ベルデから来たミニバスは、乗客が少なく、山道を登るには重量が足りなかったので、セルジオと他の乗客は、ミニバスに乗り替え、峠を越える手助けをした。一方、セルジオが乗っていたバスのドライバーは、シャベルを持っていなかったので、セルジオはミニバスのドライバーからシャベルを借りて、雪かきをした。ところが、雪かきをするそばから、道路が凍ってしまって、結局、セルジオが乗っていたバスは峠を越えられず、ラフンタに戻らざるを得なかったのだと言う。

「結局、僕らはバスを降りて、ヒッチハイクしたんだよ。ミニバスにスペースがあったし、他の乗用車とか、トラックとか、みんなが僕らを拾ってくれたんだ」

おお!なんという旅だろう!想像しただけでも、凍えてしまいそうだった。

Paul Coleman

しばらく走ると、道路のすぐ傍に、小さな滝があった。車を止めてもらい、ポールは外に出て、びしょ濡れになりながら、水筒に水を汲んだ。

「ポール、びしょ濡れになってるよ!」

セルジオは大笑い。でも、ポールは、嬉しそうだった。

「うーん、美味しい!」

戻って来て、水筒から水を飲みながら、ポールが満足そうに声を上げた。

「嬉しいなあ。どこを見ても、水だらけだ!」

私も、水を飲んでみる。キーンと冷たく、まろやかで、甘い味がした。

山道を降りると、景色が変わり始めた。森が開けて、谷が広がり、道の両脇は、また、牧草地になった。しばらく、川に沿って走り、小さな集落をいくつか過ぎると、コヤイケに着いた。ラフンタを出てから7時間。あたりは、すっかり暗くなっていた。

セルジオは、今夜の私たちの宿となる友人のマグダの家まで送ってくれた。マグダとは、久しぶりの再会を喜び合い、近況を報告し合ったりと、話に花が咲き、一晩中でもお喋りしていたかったけれど、あまりにも疲れていたので、早々にベットに倒れ込んだ。

「なんとも、長い一日だった!!でも、素晴らしい旅だったな」

「パタゴニアで先を急ぐ者は、時間を無駄にする」と言う諺がある。

その諺を思い出しながら、とても幸せな気分で、眠りについた。

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